2009年10月01日

「空気人形」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観た

何だか人形づいてるこの頃である。


エヴァについて。
劇中曲「今日の日はさようなら」と「翼をください」は、誰の演奏かは知らないがおそらく意図的に下手な合唱を使っていると思った。下手というか、いやなエスプレシーヴォの入った歌というか。
ほとんど使徒との激烈な戦いに終始していた108分で、あれよあれよという間に見終わる。

私はテレビ版・旧映画版の熱心な視聴者や観客ではなかった(未だにこの物語が拠っている世界観はようわからん)けど、かつてのバージョンで登場していた場面・シチュエーションが違うかたちで読み替えられていることには気づいた。もちろんストーリーの自然な展開としてのさりげない引用なので、旧作を知っている人には意表を突かれる楽しみがあり、知らない人にも別に鑑賞の妨げにはならない。人気アニメの再映画化ならではの賢いやり方である。この工夫は物語のより深いところに関わっているのかもしれない(次作以降で前作の世界とパラレルワールドであることが明示されるとか)けど、ともあれ庵野監督に拍手を送りつつ次を楽しみに待ちたい。
鑑賞後、ゲンドウの冷徹無慈悲さや綾波の自己犠牲を厭わぬ底知れないまでの献身を思い返して、父性や母性という言葉はあるのに子性ってないんだな、と脈絡なく思ったりした。


空気人形」はペ・ドゥナの裸を見られてよかった。とだけ書くと馬鹿であることがばれてしまうのでもう少し何か書くか。
ラストで映画に登場した人物がすべて揃って主人公に「おめでとう」を言う映画、と要約するとこれまたエヴァンゲリオンになってしまうのだが、文字通りからっぽの存在である空気人形(ダッチワイフ)の切ない生を描いたファンタジーだ。最後で勢揃いする主な登場人物の誰もが内側に何らかの空虚(脇役の少女ですら)を抱えており、彼女はそのすべてを代表する存在として置かれている。
何分ダッチワイフなのでコスプレさせられたり常識がなかったり空気が抜けたりはするが、ふつうの素朴な少女の恋愛を描いた映画として違和感なく観ることができた。恋愛映画としては目を背けたくなる悲惨な場面やちょいグロ描写もあったりするのでそのへん要注意だけど。
ところでこの映画も調律の合っていないピアノがサウンドトラックで多用されていた。下手な音楽を使って耳を欹てさせるのが流行なのだろうか。

今更言うまでもなくペ・ドゥナはよかった。
もともとお人形さんのような大きな目と整った顔立ちなので当然のはまり役ではあるが、少し前のドラマで速水もこみちが演技の下手さゆえロボット役を振られていたのとはまったく違う意味で(もちろんたどたどしい日本語を逆に生かすという狙いもあっただろうけど)人形役を好演していた。命を得て身の周りの世界をひとつずつ体験し少しずつ「心」を育んでいく様子、愛しい相手から息を吹き込まれて宙に浮くシーンには観ていて胸が温かくなった。基本的に決して明るいトーンの映画ではないのだが(むしろ痛ましい映画と言っていい)、彼女の無垢さが救ってくれた部分は大きいと思う。
しかし相手がARATAであればまあ仕方ないとは思うが、空気人形の持ち主役の板尾創路には大いに嫉妬せざるを得ない。うらやましい。中年男のいやらしさ炸裂の岩松了は、何というかいつもながら登場カットは多くないのに印象に残る演技ではあった。

台湾や香港映画で活躍している撮影監督のリー・ピンビンの仕事がすばらしかった。隅田川界隈のこれまで何度も見たことのあるはずの風景が、逆光ぎみのアングルで柔らかい空気を纏って見たことのない映像になっていた。そういう人が撮っているとの知識がないまま観たが、冒頭のゴミ収集の景色(ある意味伏線になっていた)からして漂う雰囲気の違いからして「何が違うんだろう?」と不思議に思えたほどだった。さすが。空気の映画には空気をしっかり撮れる人がふさわしい。
デートムービーには向かないけど、ひとりで空いた時間があれば行った方がいい映画だと思った。都会に住んでいるあなたはぜひ。
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2009年09月26日

たまさか人形堂物語(津原泰水)

人形をめぐる六つの物語。
本題に入る前にこの表紙デザインはないだろう、と苦言を呈しておく。おそらく従来の津原読者以外に手に取らせようという出版社側の魂胆なのだろうけど、およそ内容を反映したものとは言い難い。

今は亡き講談社「Beth」の創刊号から廃刊号まで連載された「人形がたり」を改題改稿した連作長篇、らしい。すぐドラマに見立ててしまうのがわたくしの悪い癖なのであるが、深津絵里主演でワンクール行ける内容なのでフジテレビ関係者はぜひ鋭意検討されたい。もっとも男ふたりに女ひとりただし色恋沙汰に発展する気配まるでなし、という原作のトーンを維持したままのドラマ化は、日本のテレビの現状を考えるとあり得ないんだろうなあ。残念。何を勝手に残念がっておる。

津原さんの端正でありなおかつ同時代性を併せ持つ日本語のすばらしさについては今更書くまでもないだろう。強靱で明瞭な文体は本作でも当然健在だった。人の姿を取り人にあらざるものの魔性と魅力を最短距離で書ききった、そんな感じの作品集だ。というかこれで終わってしまうのが惜しい。各篇とももう少し長く読みたかったとも思う。綺麗にまとまっており続篇はなさそうなつくりなのでいよいよ残念極まる。
ラブドール(作中では「ラヴドール」と表記)を扱った「恋は恋」が女性誌に載ったというのは結構すごいことではなかろうか、と思ったりもした。人形に憧れる日本男児の思いを、同誌のターゲットと目された「キレイ系オタク」少女たち(ってどこにいるんだ?)は受け止め得たのかどうなのか。
掉尾を飾る「スリーピング・ビューティ」の趣向も心憎い。このエピソードで扱われる人形とは主人公自身だ。もとより小説内の人物はすべて作家に操られる人形ではあるのだが、彼ら彼女らに対する津原さんの人形愛が滲み出た一篇。やはり人形の物語には御伽話のような結末が相応しい。
ラベル:津原泰水
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2009年09月23日

臼井儀人さん逝く

生前の臼井儀人さんに一度だけお会いしたことがある。デビューされて六、七年目ぐらいだろうか。もちろん個人的な知己だったわけではなく、仕事を通じての打ち合わせだった。
会食もしたが、ずいぶん昔のことで仕事の詳細もそのとき話した内容ももう覚えていない。ただ、漫画「クレヨンしんちゃん」の印象と違ってとても穏やかで常識的な人だな、と思ったことはよく覚えている。あまりのあくのなさにむしろ拍子抜けした。

もちろん漫画家と漫画は別のもので、作者本人がおしりを出して町中を駆け回ろうものなら手が後ろに回るに決まっている。赤塚不二夫のような人の方がむしろ例外なのだ。だが、たぶん我々はそのとき臼井さんに対して「何か漫画みたいに面白いことを言ってくれ」と期待していたのだろう。もしかしたらあからさまにそういう言動があったかもしれない。ああ恥ずかしい。しかし、実際にはより多く喋っていたのは私と私の上司であり、気がつくと臼井さんは「ほうほう」と相槌を打つ聴き手に回っていた。
今にして思えば、あれは取材だったのかもしれない。取引先を接待する(接待になっていなかったが)我ら馬鹿会社員の姿が、もしかしたらその後「しんちゃん」のどこかに出てきたりしてはいなかっただろうか。

子持ちの友人ら(特に母親)には概して「しんちゃん」は評判が悪い。子供がアニメのしんちゃんの真似をして屁理屈の捏ね方、口答えの仕方を覚えた、と彼女らはこぼす。アニメが原作をどれほど忠実に反映しているかは知らないが、しんちゃんの口にする言葉にはそれだけリアリティがあったということなのだろう。
想像でしかないが、漫画化する過程で大幅にカリカチュアされたにしても、「しんちゃん」のエピソードは多くが取材の産物なのではなかろうか。五歳であそこまでませた子供はそうはいないだろうが、言葉にはできなくとも大人を観察する能力は誰もが持っているはずだ。「しんちゃん」は子供の感情に言葉を与えた。だから子供からはこよなく愛されたのだろう。

毎日.jpに臼井儀人さん死去:がけ下撮影、滑落か 遺品カメラに写真――版元会見という記事が出ていた。
 人気漫画「クレヨンしんちゃん」の作者、臼井儀人(本名・臼井義人)さん(51)の遺体が群馬、長野県境の荒船山で見つかったことを受け、版元の双葉社が21日、東京都内で記者会見を開いた。赤坂了生編集局長は「臼井先生の無事を祈ってきたが、このような結果になり無念。大きなショックを受けている」と語った。
 島野浩二編集局次長ら同社関係者は20日、身元確認のため現地入り。群馬県警下仁田署で、遺品のデジタルカメラなどを見せられたという。約30枚の写真が残っており、最後に転落したがけから下を撮影したとみられる風景が収められていた。島野局次長は「好奇心旺盛で、よく写真を撮る人だった。撮った瞬間、足を滑らせたのでは」と話した。
きっと臼井さんは最期の瞬間まで取材をしていたのだろう。

「クレヨンしんちゃん」は物語を紡ぎ出すプラットフォームとしても極めて優れていた。ジャンルを超えた名作映画「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」はしんちゃん一家や友達、幼稚園の先生らのキャラクターを存分に生かした群像劇になっていたが、これも原作からアニメを通じて育まれたそれぞれの造形の秀逸さゆえだろう。
臼井さん亡き後も、豊穣な「しんちゃん」の世界がいつまでも続くことを願ってやまない。それが故人に対しても何よりの供養となるだろう。すばらしい作品を残してくれた臼井さんに心からの感謝を捧げたい。どうか安らかにお眠りください。
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2009年09月22日

すごい色のカメラ

PENTAXがデジタル一眼レフk-xのボディとグリップの色をカスタマイズできる新サービスを始めていたらしい。⇒PENTAX K-xモデルシミュレーション
家にデジカメ及びデジカメ機能を持つ道具がいくつあるか数えてみたら優に十を超えていたので今更買うわけにはいかないのだが、しかしこれはすごい。何だこの組み合わせは、という配色が続々。
可処分所得と浮気心を持ち合わせた大人におすすめ。もしかしたらいずれプレミアつくかもしれないし。

しかしど派手なカメラで撮されるというのはどんな気分だろう。直前にささっと取り出されてぱちりとやられたら、なんだか微妙な表情が残されそうな気がする。
ハイスペックをカラフルに楽しもう。簡単操作の小型軽量デジタル一眼レフカメラPENTAX/ペンタッ...
ラベル:K-x デザイン PENTAX
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2009年09月20日

「ホップの真実」を飲んでみた

近所のスーパーでキリンの新製品「ホップの真実」を見かける。紺色と金色のパッケージってサントリー「金麦」だよなあ、と思いつつ「ホップ」の一語に釣られて買ってしまう。
ちくわをかじりながらちびちび飲む。確かにホップ感横溢。というか、ビールという飲み物のパロディのような感じがする。苦み成分が異様に拡大されたビールのような飲料。盛夏に飲んだ方がもっとうまかっただろう。若干時期を逸したか、という気がしないでもない。

もともと酒税法の抜け穴をくぐるため造られた「第3のビール」だったわけだが、ビールの特徴をひとつひとつ解析して喉越しや苦みや麦芽の旨味などに個別に焦点を絞った商品が市場に出てきたことで、結果として「ビール」というジャンルを解体しているように思えるのが興味深い。苦みが欲しければホップをどっさりぶちこめばいいじゃん、みたいな身も蓋もない割り切りが「ホップの真実」(意味深な命名ではある)にはある。
この商品が来シーズンまで生き延びるかはここ数ヶ月の売り上げ次第なのだろう。マーケティングとは須くそういうものだ。その結果として「ビール」需要そのものが磨り減っていくにしても。

それにしても、本格的なビールでホップを増量して造るのは製法上何か問題があるのだろうか。業界の雄キリンにはむしろそちらの方を期待したいのだが、もはやビール本体では冒険はできなくなっているのだろうか。

キリン ホップの真実 350缶1ケース 24本入りキリンビール
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2009年09月10日

捕手ほど素敵な商売はない(松下茂典)

捕手出身の名監督二人(森祇晶と野村克也)を主人公に、戦後のプロ野球史や戦術論、野球業界の裏話などを様々に語る趣向。読書情報誌での連載をたまたま読んだときは、紹介されていた個々のエピソードがとても面白く感じた。だが単行本になってみると、何だかまとまりがなくて読みづらさを覚えた。本を構成するのはむずかしいものだ、とつくづく思った。

それほど厚い本ではないが情報量は豊富で、当事者の発言もあるいは秘話に属するものが数多く含まれているのであろう。腹心だった森の西武監督就任を阻止しようとした広岡達朗の裏工作の話などは初耳で意外だった(プロ野球通には広く知られた話なのかもしれないが)。森・野村寄りのスタンスからの著作ゆえ、登場人物の白黒がはっきりしているのも本書の特徴ではある。

森と野村というキャラクターはそれぞれ屈折していて魅力的だが、どちらかひとりだけの話を一冊読むのはよほどの通でなければしんどそうではある。それゆえ共通項でくくって一冊の本にするという企画になったのだろう。しかし主人公をふたり立てたために叙述の視点移動が頻繁に起き、結果として先に書いたような散漫な印象をもたらしたことも事実だ。タイミングが微妙にずれている両者の選手時代の活躍を等分に描写しようとして年代を行ったり来たりするのは、あまりいい工夫ではなかったと思う。
クライマックスの日本シリーズ対決も、もっと紙幅を取って書き込んでほしかった。
posted by NA at 01:34| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月06日

首相指名選挙で「白票」はないだろう

政治に対する関心は(今だけかもしれないけど)高いものの政界方面の常識が備わっていないためか、報道を見ていて意味や理由がよくわからないことが多い。たとえば、首相指名選挙 自民、白紙投票へ(各紙で報じているがソースはTOKYO Web)とか。何をしているのだこの人たちは。
 自民党は四日、特別国会の首相指名選挙への対応について、白紙投票で臨む方向で調整に入った。執行部は当初、麻生太郎首相に投票する方針を示していたが、衆院選敗北の責任がある首相への投票に党内で反対論が相次ぎ、方針変更した。(中略)政府高官は四日、首相指名選挙について「党内は白紙に傾きつつある。白紙から出直すということだ」と述べた。
 町村派など党内の一部には、首相指名選挙で新総裁名を投票できるよう、総裁選を特別国会前に前倒しするよう求める意見も出ていた。しかし、首相と党三役は二日の会談で、総裁選の前倒しは日程的に困難との認識で一致。首相は「白紙でも何でも党内がまとまる方法でやってくれればいい」と述べていた。
総理大臣を指名するのは国会議員の権利であり有権者から委託された義務であるはずだ。「んなこと言ったってどうせ鳩山由紀夫になるに決まってんだから」ということなのだろうが、選挙で生き残った人材の中で最適な選択肢を早急に提示できない政党に危機管理能力があるとはとても思えない。例によって反対論者として石破茂氏ぐらいの名前しか挙がっていない(ほかにもいるはずだろうに)のが、自民党の現状をよく表していると思う。マスゾエはどこに行った。

民意から壮絶にダメを出された麻生氏を今更首相には推せない、というのはわかる(著名ブロガー玄倉川さんは「麻生総裁の名を書くべし」と主張しておられるが、選挙結果をまったく省みないのはどうかと思う)。選挙中とは別の判断が早急に求められているのだ。
ここで憂国の弁を振るって自らに党の再生を委ねることを訴える議員のひとりやふたり出てこなくては、まったく先行きはおぼつかないと言わざるを得ない。民主党首班が成立した後に党総裁選をやったところで、どれほど気勢が上がることか。主役を張りたければ自分で舞台を造れ、と言いたい。何怒ってるんだ俺。

民主党の組閣騒動も何だかよくわからない。だいたいこの党にはご立派な「次の内閣」なる名簿があったはずではないか。党のサイトを見たら2009年5月19日付の「次の内閣」閣僚名簿があったので、なくならないうちに備忘録として貼っておく。
大 臣
ネクスト総理大臣鳩山 由紀夫
ネクスト副総理大臣小沢 一郎  菅 直人  輿石 東
ネクスト国務大臣岡田 克也
ネクスト官房長官直嶋 正行

大 臣副大臣
ネクスト総務大臣原口 一博黄川田 徹加藤 敏幸
ネクスト外務大臣鉢呂 吉雄武正 公一白 眞勲
ネクスト防衛大臣直嶋正行(兼務)山口 壯一川 保夫
ネクスト内閣府担当大臣松井 孝治泉 健太藤本 祐司
ネクスト財務大臣中川 正春松野 頼久大塚 耕平
ネクスト金融担当大臣(経済財政担当)大畠 章宏下条 みつ 大久保 勉
ネクスト厚生労働大臣藤村 修山井 和則中村 哲治
ネクスト年金担当大臣長妻 昭蓮 舫
ネクスト経済産業大臣増子 輝彦大島 敦藤原 正司
ネクスト法務大臣細川 律夫加藤 公一松野 信夫
ネクスト文部科学大臣小宮山 洋子牧 義夫鈴木 寛
ネクスト子ども・男女共同参画担当大臣神本 美恵子西村 智奈美島田 智哉子
ネクスト農林水産大臣筒井 信隆笹木 竜三高橋 千秋
ネクスト国土交通大臣長浜 博行後藤 斎室井 邦彦
ネクスト環境大臣岡崎 トミ子伴野 豊ツルネン マルテイ

ネクスト官房副長官長妻 昭(年金担当大臣兼務)    福山 哲郎
この方たちが政権奪取の暁にはそのまま大臣となってスムーズに山積する懸案処理に移行するものとばかり思っていたのだが、何か違ったんでしょうか。落選していれば仕方ないがそういう事情でもなさそうだし。
民主党に必要なのは、拙速を恐れず目まぐるしいぐらいに諸々の滞っていた案件を処理する能力であろう。もし方針が間違っていたらソッコーで直せばよい。ごめんで済めば警察イラネ、と言われるかもしれないが、国民が停滞よりも混乱をいとわず変化を望んだのが今回の選挙結果なのだ。政権を取ってから熟慮してどうする、と言いたい。この日が来ることを計算に入れてなかったのなら何をかいわんや。

ということで民主も自民もよくわからない理由でおたおたしてないでさっさと先に行け、選挙は終わった次は実践だ、という話でした。まどろっこしくて厭になる。

追記:
自民党内のいざこざからは距離を置き、きっちり議員としての仕事をしている人もいる。⇒衆議院議員 河野太郎発行メルマガ「ごまめの歯ぎしり」ブログ版 » 質問主意書
「民主党政権になったらまともな副大臣が来るだろうから、きちんと資料を整理しておく」のくだりに苦笑。えーと、前任者は誰だったかなっと。
posted by NA at 03:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月01日

ガンダムを見に行く

二年前から延々継続していたプロジェクトがようやく終わった。気がつけば八月も晦日になっている。どたばたと銀座のビストロでチーム員と打ち上げ兼送別会(終わりを見越して翌日付で人事異動させられたメンバーも数名いた)を開き、ひたすらワインの栓を抜く。

プロジェクト自体は、いくつかの大きな損失発生、志と異なる仕様変更の数々を度外視すれば成功という毎度ながらの煮え切らない結末だった。世の中そうそううまくはいかない。
ただ、今回は遂行のプロセス全体を可視化できるように交渉の過程や行政、取引先などによる紙資料もすべてフォーマット化して徹底的に一元管理することを心がけた。ふつうの会社ならば基幹システム刷新の際に実現していそうなことではあるが、上下関係に基づく旧態依然の馴れ合いとニコポン主義で運営されてきた我が社にとっては、この程度でも現場にとっては大変革ではあり抵抗も強かった。とりわけ地方営業所の年嵩の連中は書面で報告を出すことを嫌がり、パソコン操作を「できない」と抛り出す始末。深夜に電話で個別サポートを求められ、「ではcコロン円マーク……」「なんやコロンって。さっぱりわからんわ」と不毛な会話を繰り返す羽目になった。

まあいい。とりあえず仕事は終わったのだ。そして誰ひとり休みを取れなかった夏もとうに盛りを過ぎて、季節は秋との間の曖昧な何ものかに移り変わっていた。
ビストロで数十人で始めた宴会はバーにはしごしてラーメンを食べる頃には男女四人にまで減っていた。零時過ぎ。だが何か物足りない。プロジェクト完遂の興奮が冷めず名残惜しい。酒や飯はもういい。今から盛り場に移動して踊るには我々は疲れすぎている。我々の居場所はどこにあるのか。

ガンダムだ。きょうが公開最終日だった」ひとりが突然そう叫ぶ。タクシーで行けばすぐの距離。夏の終わりのガンダムか。
「公園の中に立っていたんだよね。まだ解体されてない?」
「わからん。でも造るときにも脚から少しずつ、結構手間取っていたみたい」
「今から入れる? 閉まってない?」
「表から撮った写真とかもあったと思う」
「とにかく行ってみようよ。ダメもとで」
大学生でもないのになんだこの会話は。そうだ、俺たちにはガンダムがあったのだ。

潮風公園は幸い閉鎖されていなかった。探すことしばし、検索するとどうやら等身大ガンダム像は「太陽の広場」なるところに建てられたらしい。
暗い公園をそぞろ歩きする四人。なんだ真夜中過ぎなのにこの人通りの多さは。なんだこの期待の高まりは。
女の子が悲鳴のような声を上げた。木立の上に何かが突き出て見える。走り出す。
視界が開けた。

gundam.jpgガンダムはそこに待っていた。
東京湾の夜景を背に、微動だにせず(当然だが)。思っていたよりも大きく、量感は圧倒的だった。
「でけー」
「すごーい」
間抜けだがそれ以上の言葉は出てこない。皆呆けたように見入るほかなかった。別にガノタでもないのに、涙が出そうになった。
アニメーションの中で誰かが想像したものが、実体としてそこに存在するということ。単純なその事実がこれほどまでに感動的だとは思わなかった。

日蝕。らりピー事件。総選挙。あと何があったんだったかな。すべてそっちのけで仕事に明け暮れた夏の最後にガンダムを見た。何の脈絡もないけど、終止符の打ち方としてこれ以上のものはなかったと思う。2009年の夏は、夜景の中に浮かび上がるガンダムの姿と共に永く記憶に残るだろう。
posted by NA at 13:00| 東京 ☁| Comment(1) | TrackBack(1) | 日乗 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月29日

(選挙後の)自民党に期待する

総選挙の結果はどうやらこのまま民主党の圧勝で終わりそうだ。
自民党がjimin.jpドメイン内で展開している、ネガティブキャンペーンというよりはもはや公認怪文書(「怪」は出所不明の意味ではなく内容についてだ)とも言うべき悪口雑言の数々は、1955年以降ほぼすべての期間で日本の政治を担ってきたこの政党の断末魔を示すものとして末永く記憶とウェブ魚拓に残るだろう。
他方で民主党のラベルが貼ってあればそうとうめちゃくちゃな候補も議員バッジを獲得する状況にあるらしく、このへんは1989年、1993年、2005年あたりの選挙と何ら変わりはない。自民党にも石破茂のような真っ当な人間はいるので、彼らが引き続き国政に携われるよう、各選挙区の有権者の慧眼に期待するほかない。

改めて思うのは、明治維新との類似性だ。ビバ維新、ということではなく、一度「政権交代」の流れができたらとにもかくにも意義そっちのけで重心が一気に傾いてしまう付和雷同的国民性の変わらなさ、の方に関心がある。
歴史について専門に学んだわけでもない私が書くのも僭越だが、もともと尊皇攘夷を掲げて蜂起したはずの反幕府勢力が、列強との差の大きさや政治制度を学ぶにつれて当初の主張はどこへやら、とにかく形式的には大政奉還というかたちで政権奪取は貫通したものの理念的にはまるで違うかたちの結末を迎えたのが明治維新だったと思う。
93年総選挙も政策的には既存政党とどこがどう違うのかよくわからない新党ブームで一時は自民党が政権を失うところまで行ったが、今回のえじゃないか的民主党政権樹立(明日の夜の話だが)もその意味では同じだ。政策は選択肢ではない。マニフェストの詳細を取り上げて「だから民主党政権はとんでもない」と論ずる自民党のスタンスは、そもそも前提からして間違っている。誰もそんなもの読んでもないし気にしてもいないんだから。

93年は55年体制最後の切り札だった社会党カード(この政党は野党でありながら、最後まで総選挙で過半数を窺えるだけの候補者を立てることはなかった)を使うことでアンシャン・レジーム側が政権奪還に成功、さらに2001年にはこれまた禁じ手だった小泉純一郎の登用でさらに延命してきた自民党ではあったが、小泉内閣はまさしく人工心肺でしかなく、外したら機能が停止するだけの存在だった。というわけで2006年以降の自民党は政党としては事実上脳死状態で、個々の臓器だけが長らえていたのだろう。

まあそんなことはどうでもいい。
選挙後にこの党が「自民党」の看板を保つかどうかはわからないが、おそらく相当数の重鎮が落選するか、比例区で復活するにしても党内基盤の多くを手放し権力を喪失することになる代わりに、若手が台頭して精悍な保守主義を軸とした機能的政党に生まれ変わるならば、次回以降の選挙で必ずや国民に必要とされるであろう。
明治維新の主役は10代を含む若い志士たちだった。各地で誕生している30代市長は、今この国を覆う変革機運がもたらした以外の何ものでもない。本人は政治に直接かかわることに興味があるかどうか知らないが、切込隊長のようなイデオローグを中核に据えて若い世代の意見を中心に建て直しを図ることが急務だろう。まあだったら「自民党」でなくてもいいじゃん、ということになるのかもしれないが。

二大政党制は結局よく似た双子の鵺のような政党を現出させるだけで、あらゆる権益層に配慮しまくってばらまき合戦に勝った方が政権を獲得するということになるのかもしれない。だが、大敗して既存のしがらみから一度すっぱり切れた後の自民党だったら、あるいは別な展開もあり得るのではないか、と思う。
2ちゃんねるあたりに棲息している頭でっかちにイデオロギーを振り回す自宅警備の若者らに媚びを売る必要はないが、官僚であれ産業界であれ、老人の支配に飽き飽きしている若い世代に必要とされるような、そういう政党に生まれ変われるのであれば今回の大敗も決して無駄にはならないだろう。死亡宣告はまだだけど、自民党の復活に期待したい。
posted by NA at 14:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年08月24日

比例区は自公民以外に

新聞各社が次々「民主党300議席」を打ち出す中、BIGLOBEニュースに民主党 歴史的大勝で比例区候補が足りない!という記事が出ていた。元ソースは日刊ゲンダイ。
 たとえば北海道だ。民主党は12の小選挙区で全勝の勢いだ。となると、比例区で救われるのは単純比例候補だけになるが、民主党は4人しか名簿に登載していない。
「4年前は比例の獲得議席は3でしたが、今度は4議席が確実。もし5議席なんてなったら、候補が足りなくなります」(民主党関係者)
 前回総選挙では、大勝した自民党が東京ブロックで比例候補が足りなくなり、他党に“当選枠”を回した。それを教訓に、民主党は東京、南関東ブロックなどでは比例候補を十分用意している。だが、中国ブロックは1人だけ、九州ブロックも2人である。地方の方が民主党へのなだれ現象が起きているだけに、「候補が足りなくなった」なんて事態も大ありだ。
おめでたい話ではある。比例区候補ひとり当たり600万円の供託金を惜しんだばかりに当選をフイにするケースがあちこちで出てくるかもしれないとは。
まあどのみち民主党圧勝の勢いは変わらないのだろうから彼らにとっては些細な問題なのかもしれない。だが、小政党にしてみればその一議席は喉から手が出るほど(なんというホラーな比喩)ほしいに違いない。

ブログ「Munchener Brucke」のkechackさんが東京―社民党保坂展人は国会からさよならか!!というエントリーを書いておられた。民主党圧勝の勢いの陰で、社民党や新党日本は厳しい選挙戦を強いられているという。
 今回の新聞報道を見て、民主党が勝ちすぎてよくわからない比例単独候補を国会に送り込むより保坂展人や有田芳生を国会に送った方が役に立つと思って、民主党支持者の中でも比例は社民か新党日本に切り替えようという選択投票をする人も出てくるではあろうが、民主党は組織選挙ができない党なので、党本部の支持で戦略的票分けみたいのは難しい。
個人的に保坂展人の「かんぽの宿」売却問題の追及やネット規制反対の立場からの発信能力の高さはかねて高く評価していた。党派を超えて必要と思える数少ない議員のひとりだった。そして有田芳生が議員になって国政調査権を手にしたら、必ずや統一教会の日本での違法な活動を暴き出し自民、民主議員らとの癒着を白日の下に曝してくれるに違いない、と思っていた。
そうか、この二人ともだめなのか。東京の有権者でない私としてはただ残念としか言いようがない。

二大政党がいずれも過半数に届かない場合は、間を埋める中小の政党がキャスティングボートを握ることになる。2005年までの公明党はその好例で、党自体はごく一部の支持しか得ていなかったのに実力以上に様々な影響力を国政に行使して地域振興券を配り大臣を輩出したわけだが、今回はどうやらその心配はなさそうだ。社民党や新党日本が党として生き残るかはどうでもいい(社民党がどういう政党であるかは以前のエントリで党員の方から話をうかがってよくわかった)が、国会議員になれば数人分の活躍が期待できる彼らの前途を閉ざすのは、この国にとって損失であるとすら思う。

どこのブロックにせよ、有権者がもし変革を求めて民主党候補に投票するのであれば、比例区こそ人物本位で政党を選んでほしいと願ってやまない。具体的には自民、民主、公明以外で、議員たるにふさわしい人が上位に掲げられている政党の健闘を祈りたい。
何も考えずに投票した結果、名簿搭載候補不足で意図せぬ政党に議席が渡ってしまう失敗だけは避けたいものである。いや本当にもったいない。
posted by NA at 13:14| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする