2009年12月27日

塊魂モバイルが350円でセール中

アフィリエイトリンクのテストを兼ねて。傑作の誉れ高い塊魂モバイルが、クリスマス限定で600円→350円に。もう終わっていてもおかしくないか。
i Love Katamariお好きな方はお早めにどうぞ。
ラベル:塊魂 iPhone
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2009年12月22日

イングロリアス・バスターズを観た


クエンティン・タランティーノの新作「イングロリアス・バスターズ」が不入りとの評判を聞いてあわてて駆けつける。正月映画が年内に打ち切りになるわけがないんだけど。果たして館内は半分以下の入りではあった。もったいないことである。こんなめちゃくちゃな映画はそうそう観られるものではない。

一応「絶賛公開中」らしいのでネタバレは避ける。ただ、アメリカの戦争映画なのにドイツ軍人がドイツ語を喋りフランス人がフランス語を喋る(当然ドイツ人はフランス人にフランス語で話しかける)というところでまず笑いがこみ上げる。ドイツ人女優が英語しかできないアメリカ人を馬鹿にする場面もあったりして。
そしてアメリカのユダヤ人によるナチ抹殺特殊部隊(何しろ虐げられた同胞の復讐なのでどんな残酷なことをしてもいいんである)のいかれ加減に悶絶。野に放たれた破綻者の群れが嬉々として気高いドイツ軍人を虐殺して回る様に唖然とするしかない。戦争映画のゆかいさはそのままに、善玉悪玉の構図をまるごとひっくり返したかたちだ。

善玉と書いたが別にナチが善行を施すわけではもちろんない。クリストフ・ヴァルツ演じるハンス・ランダSS大佐は多国語を操り言葉で相手を追い込む存在で、この長い(約二時間半)映画のかなりの部分は彼の活躍を描写することに費やされる。戯曲の映画化かと思えるほど場面転換は少なく、戦争映画の癖にアクションのある場面は非常に希だ(それゆえに時折吹き荒れる暴力が極めて印象的でもある)。

面白いな、と思ったのは、延々と続く会話劇によるサスペンスの演出される場面は必ず飲食を伴っていることだ。とりわけラパディット農園でのミルク、カフェでのシュトルーデルはその白さで強い恐怖を表象していた。見知らぬ他人との食事は極度の緊張を強いる。それが悪意を秘めた存在であればなおさらだろう。会食が苦手な人間として大いに納得した次第だ。

作中で上映される映画の画面構成や登場人物が口にする映画や名優の名前は、きっと映画マニアならば直感的に理解できるコードを含んでいたに違いない。クライマックスの相撃ち場面や炎に浮き上がる嘲笑のイメージにはどこか日本映画にも通じるテイストを感じたのだが、原典がわかろうはずもない。「ホット・ファズ」のときに感じた残念さをまた味わうことになった。
まあいい映画とは必ずまたどこかで出会えるはずだから、それまでにいろいろ観ておくさ。タランティーノ元ネタ総解説、みたいなサイトも既にあるかもしれないし(それはそれでまた味気ないかもしれぬが)。

ともあれ巷間に伝わる史実がどうとかいう話は忘れて映画館に赴けば、せわしない師走の二時間半を費やすに足る映像体験ができることは請け合う。クリストフ・ヴァルツの鬼のような名演技もいいが、唇を歪めて馬鹿(というか性格破綻者だ)に徹したブラッド・ピットの阿呆ぶりもまた観るに値する。負けたことに無頓着な馬鹿ほど始末に負えないものはないよな、本当に。
posted by NA at 09:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月16日

すばらしきアホの交響曲第七番

官僚な人からまたまた読売日本交響楽団定期@サントリーホールのチケットをいただく。先月にも同じ読響のシュニトケづくしを聴いたのだが(感想未記入。気が向いたら書くけど、なかなかの演奏だった)、今度はフィンランドからアホの交響曲第七番+ベートーベンの交響曲七番、というラインアップ。
今宵の指揮はオスモ・ヴァンスカ。細身で長身、という北欧イメージそのままの指揮者で、体を大きく使うシャープな棒さばきに見とれた。背を二つに折って低い位置から音を掬い上げるような所作が美しい。絵になる指揮者だ。


現代音楽家アホの曲を聴くのは初めてだ。予備知識のないまま、「この曲も今回聴いたら一生二度と出会うことはないのだろうなあ」と思いつつ着席。最近そういう曲ばかり聴いてるし。
パンフレットでもともとがオペラ作品だったと聴いてさらに期待度は低減する。言葉や所作抜きで舞台作品を聴くのはしんどいよなあ。まあベト七で盛り上がればいいや。

違いました。いやーこりゃ面白い面白い。冒頭楽章は変拍子で打楽器どんどこのよくあるゲンダイオンガクの予感で始まったのだが、複雑に綾なす管楽器との絡みが起伏に富んでいて実に愉快。指揮者の情報量の多いキューに応えるオケの妙義を堪能した。
そしてオーケストラをこれでもかこれでもかとフルに鳴らしきる過剰な音響が実にライブ向きでよろしい。六楽章中頂点の乱痴気騒ぎである五楽章では二階両サイドに配置されたトロンボーン二本ずつのバンダもここぞとばかりに吹きまくり、サントリーホールの広大な空間が飽和しそうになるぐらいだ。
きっと楽界では十分名を成した作曲家で、拾い物扱いしたら失礼になるのだろうが、うれしい誤算だった。作曲から二十一年経っているため最新とは言えないものの、十分新しくなおかつ意味のある音楽だったと思う。ずっと前にメシアンの「クロノクロミー」を聴いたときと同じぐらい感動した。読響ぐらい高性能なオケでなくてはなかなか難しいレパートリーだとは思うが、ぜひ他の所でも舞台にかけてお客を驚かせてほしいものだ。作曲者のアホ本人も来場していて、盛大な拍手を再三浴びていた(名前を呼ぶ人はいなかった)。よかったねえ。


ベト七も極上。オスモ・ヴァンスカの指揮は曲間に余韻を残さない快速な演奏だった。一楽章も指揮台に立ったと思ったらいきなり始まり、オケも意表を突かれた様子で若干入りが乱れたぐらいだ。でもそこがよい。四楽章では弦の楽譜に特殊奏法記号でも書いてあるのかと思えるほどノイズでまくりの激しいボウイングを強いて、でこれがまた実によろしい。限界まで煽る棒にオケもよく付いていった。弾むリズムに思わず体が動きまくりましたよわたくし。いつものことながら後ろの席の人ごめんなさい。
食傷ぎみの年末興行でも、オスモ・ヴァンスカの第九なら行ってもいいかなと思える、そんな演奏会だった。読響はもっと彼を呼びなさい。
posted by NA at 11:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

持てる者が奪われるドラマを観たい

九日間にわたった、政府の行政刷新会議による事業仕分けが終わった。もとより人間のやることに無駄がないはずがない。不断の洗い出しは当然行われるべきで、そのことに異を唱えるつもりはない。また個々の仕分け判断の当否については既に様々な議論が繰り広げられており、特に付言できるような内容も思いつかない。ただ、それ以上に興味を持ったのは「事業仕分け」そのものに対する一般の関心の高さだ。残酷な期待の強さとでも言おうか。

従来密室で行われていた予算策定のプロセスを公開の場に移したアイデアは画期的だった。そしてマスコミによる報道のみならずtwitterやUstreamによるダダ漏れが可能になったことが新たな報道スタイルをつくりネットユーザーの関心を惹きつけたのは間違いない。
だが何よりも大きかったのは、「事業仕分け」が決して十分ではないにしても表題に書いたような一般国民の願望を叶えたからではなかったか、と私は思う。

少なくとも郵政政局以来、日本の市民感情=世論の最大の原動力は嫉妬ではなかったか。既得権益を享受している人・グループの存在を明らかにすれば、有権者の怒りはそこに集中する。全体におけるバランスやその結果何が起きるかなどの影響が顧慮されることはない。そんなむずかしいことを言われても怒れないからだ。
持てる者への嫉妬の感情は無論新しいものではないが、以前はそれを無分別にあらわにすることへの躊躇もまた併存していた。いつかは自分もまた持てる者になれるかもしれないから、という希望が歯止めをかけていたのだと思う。成長が自明の前提だった時代が終わり格差の固定化が露呈した頃から、日本人は内面の嫉妬を押さえ込むことをやめた。

夏の終わりの総選挙では自民党は既得権益の側に立つ政党とみなされ、ゆえに惨敗させられた。そして事業仕分けでは、説明に奔走した官僚が実際どこまでの権限を握っていたかはわからないが、彼らは既得権益を代弁する側とみなされ公開処刑よろしく持っていたとされたものを奪われるゲームの主人公となった。
さて、奪われるドラマの次の主人公は誰だろう。総選挙で辛うじて生き延びた自民党長老らあたりが似つかわしい気がする。生存者を新たな災厄が見舞う第二幕。官僚らは彼らの口利きや工作の記録を山ほどファイルしているに違いない。いかに彼らが人脈や金脈を駆使して私腹を利していたか、来年の参院選の前あたりを狙ってひとりまたひとりと暴き立てる戦略を民主党が講じていてもおかしくはないだろう。走り出した革命はギロチンにまで行き着かねばならない。やり場のない怒りは世界のすべてがなくなるまで燃え尽くさなくてはならない。我々の文化大革命は始まったばかりだ。
posted by NA at 11:04| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

必要ほぼ十分なAspire1410に携帯PC時代の終わりを予見してみた

少し前からtwitter利用頻度が高まり、もともと私の言いたいことなど140字以内で収まるものばかりなのでブログとはかなり疎遠になってしまった。日本語の140字と英語の140字では包含される情報の性質がかなり違う。英語のそれが省略語頻発の瞬間芸もしくは単なる外部サイトへの誘導元の様相を呈するのに対し、日本語だとニュアンスは尽くせなくともひとつの話題として起承転結まで備えた文章には十分なり得る。twitter内だけでかなりの情報流通が完結している。
では果たして中国語ではどうなのだろう。イラン大統領選の例に倣って、遠からず訪れる(本当か?)中国全土での人民蜂起の日、衛星インターネットサービスを経由して140字内の簡体字情報が飛び交うのだろうか。ちょっと楽しみではある。

閑話休題。秋から仕事環境が変わったのを機に表にPCを持ち運ぶ機会が激増し、社有品のA4ノート(3kg超)ではさすがにつらくなってきたので、Windows7発表と同時に出たAcer Aspire 1410を購入した。ノートPCと言っていいのかどうなのか知らないが(CULVノートとかモバイルブックとか、このへんのジャンル分けはよくわからん)、携帯できるPCとしてはそこそこよさげでしかも安い。ATOM搭載のネットブックと違っていちおうデュアルコアのCPU積んでいて、画面解像度も11.6インチで1366x768pxと家のテレビと同じだ。衝動買いしておもいっきし後悔の涙に暮れたLOOX Uの二の舞にはなるまい、と信じて手を出した。デフォルトでWindows7の64ビット版搭載なので、メモリは4GBに増設した。ちなみにメモリカバーのねじはなめやすいので気をつけよう。

んで結論は、キーボードなど一部で値段相応の安っぽさも感じられはするけど、実用上はほぼ不満無し。出先用ゆえそれほど重い仕事をやらせているわけではないということもあるが、文書作成やネット利用などの日常作業に関して言えばストレスを感じず使えるレベルだった。性能とは関係ないところで言うと、ぴかぴかの筐体が指紋だらけになりやすいところがちょっとアレではあったが、まあ些末な問題ではある。
webカメラも付いているしUSBポートは三つあるしメモリカードも読めるしまだ使ってないけどミニHDMI端子もあるしで、拡張性にも不満はない。これが5万円内外で売られているんだからすごいよなあ。

PCのコモディティ化もいよいよ最終コーナーにさしかかった気がする。外付けでそこらへんの薄型テレビを容易に利用できるのであれば本体のLCDがこれ以上高解像度になる必要はない(横1366は十分広いが)。いずれ出るGoogleOSはおそらくブラウザ関係以外の余計なサービスを切り捨てて相当軽量になってくるであろう(そうだといいな)から、CPUが現在以上の高性能を要求される局面は少なくなるだろう。
もはや10万円以上のモバイルPCはほとんど息の根を断たれたと言っていいのではなかろうか。デスクトップ市場同様、ここで付加価値をつけて勝負し続けるのは相当厳しい。熱心な信者がいるSony VaioとPanasonic Let's Note、Lenovo ThinkPadも盤石とは言えないのではないか。ましてやキャラの立っていないその他のメーカーは言わずもがなだ。東芝のかつての栄光今いずこ。富士通?何ですかそれ。

遠からず出先でのネットワーク利用は、至る所に用意されたネット端末か高機能化した携帯の二極に収斂するのだろう。ここ20年ほど続いたキロ単位の端末を持ち運ぶ時代はもう終わりに近づいていると思う。個人的にはこれが自分で買った最後のノート(だか何だか)パソコンになるのかもしれない。
posted by NA at 06:39| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 買物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

魚づくし

uo.jpgしばらく使っていなかったiTunesを起動してiTSに行ってみたら、文字がすごいことになっていた。寿司屋の湯飲み状態。程なくして9.0.2へのバージョンアップを促すポップアップが出たので、おそらく既知の不具合だったのだろう。……と思って待っていたら直ってないぞコラ。もちろん予定していた買い物は中止だ。

ここでようやくまじめに検索して(およそふた月前に旬な話題だった模様)、iTunes 9 for WindowsでiTunes Storeにアクセスすると文字化けする問題 : Safari Realizedのコメント欄で紹介されていたiTunes.cssの書き換えによって解決した。
もともと変な字形だったのが気になっていた「MS ゴシック & MS 明朝 JIS2004 対応フォント (KB927489)」をこの際アンインストールしようかと思ったが、「プログラムの追加と削除」にもはやエントリが見あたらないため消しようがなかった。メイリオの行間は広いので若干表示が間延びした感はあるが、さほどの問題ではない。

綿密に探したらオフィシャルサイトでの何らかのアナウンスがあったのかもしれないが、少なくともGoogleで上位に来るのはユーザーによる発信ばかりだ。Apple Japanのこれまでの対応を鑑みると、今回も知らぬ顔を決め込んでいたとしても不思議ではない。
個人的にはJIS2004対応の有無が問題になるような文書を作ってはいないし、Microsoftのフォントが何らかの標準に反していたのが原因だった可能性もあるのかもしれないが、それでも後発のソフトウェアの不具合の解決策が既存のフォントのアンインストールということではやはりまずいのではないか、と思う。
周辺で利用者が増えてきたこともあり、次のノートPCを思い切ってMacBook Proにするか、と考えていた矢先だったが、尻込みさせるには十分なできごとではあった。Macだけ使っている分には問題はないのかもしれないけど。
ラベル:itunes 文字化け
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2009年10月20日

映画版「カイジ」はなかなかの拾いもの

いくらなんでも藤原竜也がカイジって無理ありすぎだろ、顎丸いし。と思っていたらあに図らんや、なかなかのはまり役だった。あなどってはいけない。
冒頭のコンビニでバイトをするあたりの演技は世を拗ねた青年というよりは頼りない坊主の風情だったが、物語の進行と共に原作譲りの大仰な台詞がちゃんと似合うようなキャラづくりをしていた。えらいえらい。
多額の予算を注ぎ込まなくとも、原作と主人公キャラがしっかりしていれば骨格がぶれないいい映画ができるという好例だと思った。たとえエスポワール号がぜんぜん豪華客船に見えなくとも、物語の妙味は損なわれていなかった。

画としては単純極まりない「鉄骨渡り」がしっかり見応えあるドラマになっていたのも収穫。原作の感動が損なわれていなかっただけでも評価に値する。失敗する負け組たちを見て喝采を上げるセレブの描写には月並みながら本当に敵意を覚えたもんなあ。そして石田さん役の光石研が好演。彼の演技がこのシーンを光らせた。
そういえば好演といえば地下飯場班長役の松尾スズキもだ。今うさんくさい人間を演じさせたらこの人の右に出る俳優はいないだろう。オーバーアクトぎみの香川照之もマンガっぽくてよかったです。

長大な原作のあちこちを摘んで130分にしているのでかなりせわしい(限定ジャンケンはオリジナルのルール通りにやってほしかったが、まあ細かい心理ゲームは映画向きではないよなあ)し「その展開はないだろう」というところもままあったが、若手女優を出して恋愛展開、みたいな余計なことはせずに直球勝負しているところに好感を覚えた。ほぼ紅一点の天海祐希は事実上男役だからいいのだ。ビバ宝塚。
カイジといえばおなじみ「ざわ...」の音声化には笑った。これから行く人は聞き逃さないように。

ところで公式サイトのフラッシュは重すぎるのでどうにかした方がいいと思った。全部を見て回るには時間がかかりすぎる。暇で金のない負け組の人が観ていればいいということか。
ラベル:カイジ 藤原竜也
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2009年10月19日

動画の音声フォーマットだけ変換する方法

極めて特殊なハードの組み合わせでの話なので汎用性はないと思うけど、一応自分用備忘録ということで書いておく。検索エンジンで見つけてこの頁に来た方のお役にはあまり立てないかもしれませんが、そのへんどうかご容赦を。

相変わらずYASHICA DVC588なる低価格低性能DVカムを使っている。どぎつい緑などのすっごい色やズームするとすぐピントがずれてぼけぼけになる画像を見ているともう少しましなHDカメラがほしくなるが、まあとりあえず人が動いて映っていればいいじゃん程度の用途であればこれでも十分ではあるのだ。
ただ、撮りためた画像をこれまた以前に買ったPopcornHour A-110にて観ようとすると音が出ないのが困りものだった。どうやらMicrosoft ADPCMには対応していない様子だ。公式サイトの掲示板を探ってみても「早く対応してくれよう」という声しか見つからない。

というわけで適当なフリーソフトを漁ることにした。VirtualDubあたりでいけるかと思ったが、VFWコーデックがないとかだだをこねられたので、結局選んだのはOxelon Media Converterだった。これがなかなかの優れもので、動画ファイルのビデオの方はDirect Stream Copy設定で、音声だけ任意のフォーマットに変換できる。
上記組み合わせでは試行錯誤の末、「PCM Signed 16 Bit Big-Endian」にしたらなぜかうまくいったので、理由はそれ以上追及せずこれで使うことにした。変換早いしファイルサイズも増えてないそれほど大きくなってはいないようなのでとりあえずは問題ないかと。

ただタイムスタンプを変更せずに変換するオプションはついていなかったので、これもフリーソフトの井上博計氏制作CopyTimeにてオリジナルの日付・時刻に書き戻す。「いつ撮ったか」は重要な情報なので、できれば時間情報は保存しておきたい。あるいはファイル内部で持っているのかもしれないが。

それほどヘビーに動画を撮っているわけでもないので、とりあえずはこの方法でしばらくやってみるつもり。もしほかにもっと簡便な方法があればご教示ください。>詳しい方
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2009年10月12日

困った映画「しんぼる」


「要らないからあげる」と知り合いから「しんぼる」のチケットが回ってきた。天才松本人志の映画に対してなんたる侮辱、と怒らなかったのは、前作「大日本人」を観ていたからだ。そして今作の風評(というかほとんど悪評)も聞いてはいた。
もっともただでなら行ってもいいか、と思ってチケットをもらったのが大間違いではあった。こういう困りものの作品を野放しにしていていいものだろうか。

人生の時間は限られている。93分を費やすましな選択肢は他にいくらでもあるはずだ。果たして劇場内には休日の夜にもかかわらず(休日の夜だから?)一桁しか観客がいなかった。我が県の民度にはかねて大いに疑問を抱いてはいるが、この映画については順当な反応だと思う。

「大日本人」を観ていなかったならばあるいはもう少し楽しめただろうか? 松本人志の興味はどうやら壮大な「間の悪さ」の現出にあるらしい、という前作に対して抱いた感想は間違っていなかったようだ。
二つの世界(メキシコのプロレスラー一家の物語と謎の白い部屋に閉じ込められた男の物語)が並行して描かれて終幕近くでクロスする、という、まあよくある手法ではあるが興味を繋ぐやり方としてはそれなりに有効な構成をこの映画は取る。だが、構図が明かされたときに待っているのは失笑だけだ。
ちなみに「大日本人」での特撮ヒーローの活躍は仮面レスラーに置き換えられ、前作のかわいそうな祖父の役回りは「しんぼる」ではルチャドールの小学生の息子に振り返られている、というしょうもない類似点を指摘するぐらいしか書くことがない。メキシコパートは真相が明らかになるまではそれなりに観られるシーンが作られていた(プロレスの試合場面はなかなかいい感じだったのだ)だけに、オチのつけ方がまったくどうにも納得できないのだが、所詮そういう映画ではないのだから仕方ない。咥えタバコで乱暴な運転をする修道女(ルチャドールの娘)はなんで物語に絡んで来ないのか、などと怒ってももうまったく本当にどうしようもないのだ。

前作の感想にも似たようなことを書いたが、松本人志が既存映画と違う感触を表現することを強く指向しているのはわかる。だが、それに意味があるかどうかはまた別の問題だ。少なくとも私は用意周到に「がっかり」を演出されて楽しめるほど人間ができてはいない。
白い小部屋での独り芝居として展開する松本パートがもう少し面白ければまた別の意味を見出すこともできただろうが、残念ながら監禁状態からの脱出などの描写に目新しさはなく、ひねりの少ない凡庸な進行に終始したと言わざるを得ない。
どちらかと言えば、終盤直前までモキュメンタリー形式を取っていた「大日本人」の方がまだ映画らしかったと思う。映画のふりをした何物かが二作続いたわけだが、さすがにこの路線での三作目はあり得ないだろう。吉本興業が何らかの理由で映画部門で赤字を量産したいか、松本人志の評判を地に落としたい理由でもあるのならば別だが。

人から貰った券で観てきてなお文句を言うとは私もずいぶん器が小さいが、繰り返す。人生の時間にはもっとましな使途があるはずだ。この映画のことは忘れていい。
posted by NA at 01:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

今頃驚いていてはいけないのだが

今から五年もの昔、トレンドの象の墓場とも言われる朝日新聞紙上にて既に紹介されていたというのだから知らない方がおかしいのかもしれないが、女子高生の間ではファーストキッチンを「ファッキン」と略するのが一般的であることを今日知って少なからぬ衝撃を受けている私がここにいるわけですよ。ああ、認めたくないなあ。

まあ可能性ほぼ皆無ではあるけど、女の子の父親になってでもいたら狂死していたかもしれないな俺は。女子の人たちよ、君たちはそれで本当にいいのか。余計なこと言ってすまんね。
posted by NA at 22:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 重箱 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする