2010年06月30日

小沢一郎は大芝居を打っているのだろうか

民主党幹事長から退いたはずの小沢一郎(敬称略)をめぐる話題がなんだから急に増えてきた。以下は両方asahi.com。
「約束、実行しなきゃ駄目」 小沢氏、菅執行部を批判
 民主党の小沢一郎前幹事長は28日、党が子ども手当の満額支給断念など昨年の衆院選マニフェストを見直したことについて「約束は実行しなきゃ駄目だ。政権取ったら、カネがないからできません、そんな馬鹿なことがあるか」と述べ、菅執行部の対応を批判した。愛媛県今治市での会合で語った。
 小沢氏は公示日の24日は山梨、25日は青森と1人区を中心に選挙遊説を続けている。新執行部が人事や政策で「脱小沢」路線を進めたことに対し、様子見の姿勢を示していた小沢氏だが、選挙戦が始まってからは執行部批判を鮮明にした。

枝野幹事長「小沢氏は無責任だ」 公約見直し批判に反論
 民主党の枝野幸男幹事長は29日、衆院選マニフェストを見直した党執行部を小沢一郎前幹事長が批判したことに対し、「税収の大幅な落ち込みにあわせ、やむを得ない場合には国民に理解を求める。硬直的、形式的に物事をすすめ、かえって国民に迷惑をかけるのは無責任な大衆迎合だ」と激しく反論した。
いったいこれは何なんだろう、と思う。よろず経済評論家の山崎元氏は消費税で迷走する菅直人首相にトドメを刺す小沢一郎氏の「正論」という論考で
「『政権をとったら、金がなかったのでできません』などと、そんな馬鹿なことがあるか。約束したことは守るのが政治であり、約束できないなら言うな」
 この批判は、あまりにも鋭い。菅首相に対して、国民の多くが抱いているであろう、もやもやした違和感をこれだけ的確に言い表した言葉を筆者は聞いたことがない。こう言われると、多くの人が、スッキリと分かったという気分になるだろう。
 しかも、今のタイミングで、小沢一郎氏にこう言われたのでは、菅首相も立つ瀬がない。
 菅氏から「しばらく、静かにしていろ」と言われた小沢氏だったが、ほんのしばらくの間確かに静かにしていて、口を開いたら、それがトドメを刺したというのに近いのではないか。
と小沢の発言を支持している。要するに参院選は民主党の負けと見切って造反に出た、という見立てである。政治のプロでない当方としては「ふーん」と思うほかない。鈍いかもしれないが、さほど注目も浴びていない菅内閣が大勝することは絶対にあり得ないだろうが、さりとて大敗もしないような気がするからだ。

もしかしてもしかして、小沢一郎は2005年衆院選で自民党に圧勝をもたらした「抵抗勢力」をひとりでやっているのではなかろうか。つまり菅首相とは出来レースだったのだ。彼一人で守旧派抵抗勢力側を引き受け、選挙終盤に菅がばっさり小沢を切る筋書き。世論はやんやの喝采を送り、支持率再びV字回復。とかなんとか。
民主党が選挙で圧勝するにはこれぐらいの仕組みが必要だと思う。どうだろか。はてさて。
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2010年05月18日

「カールじいさんの空飛ぶ家」は主役ではなかったという話

DVD鑑賞。およそ主人公は皆異形の存在だったピクサー(「Mr.インクレディブル」は超人一家だったし)がふつうの人間を中心に据えたドラマを描くとどうなるのか、という興味は、実はあまりなかった。キャラが怪物でも魚でも極上の人情劇に仕立ててしまえるのだから、どうせうまいに決まってるじゃん。
いやいやそうではありませんでした。うまくなかったわけではなく、想像を遥かに超える泣かせ場面をよりによって冒頭に持ってくるという反則技。これはいけません。これはいけません。いきなりクライマックスですよもう。少年少女の出会い、結婚、そして別れ。シンプルに誰もがわかるエピソードを連ねて、その上感動させる。これはずるいです。これはずるいです。しかし参った。だからしょうがない。開始10分経たないところで感動は早くも頂点に達する。

そう、この映画は冒頭で終わっていると言っていい。家が空を飛ぶであろうこと、妻との約束が果たされるであろうことは、すべて冒頭のエピソードで確定してしまっているからだ。ピクサーが映画を作る以上、バッドエンドはあり得ない。果たしてまだ冒険が始まってもいない段階から、どうドラマを盛り上げるのだろう。

未見の方のためと自分の手抜きのために詳しくは書かないが、驚くべきことにこのドラマはここから別の話になるのである。もちろん伏線らしきものは数本貼ってあってちゃんと後で回収されるが、それは物語の首尾を最低限一貫させる程度のはたらきしかなく、老齢に達した主人公カールは否応なしに新しいストーリーの中を進み始めるのだ。単なるプロローグと言うにはあまりにも冒頭のラブストーリーはよくできすぎていた。本編の方が軽くとも、このまま進むしかなかったのだろう。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番第一楽章みたいなものだろうか。オケとピアノの前奏が豪華すぎてメインテーマと勘違いしてしまうのだが、曲全体の位置付けとしてはただの序でしかないという理不尽。カットするのももったいないので、バランス度外視で残した、というところではないか。

冒険映画の常としてこの映画にも悪役が登場するのだが、いかにも座りの悪い悪役である。正直、悪役を演じさせるにはかなり無理があるキャラクターだ。どう考えても彼(男性ね)の長年の苦労とその目指した成果が「悪」の名の下に断罪されてはいかんのではないか、せっかくの努力が最後にはあれかよ、と思わざるを得ない。子供の気まぐれがそんなに貴いか、とか、大人目線からはいろいろ注文をつけたくなる。それぐらい釈然としない。
しかしそれもこれも、大事な部分が終わったあとの話なのでまあ仕方ないか、と思わせるだけの説得力が、くどいようだが一番頭のところにあるのだ。

ピクサーはそんなに意地悪ではないので老人たちがふつうに冒険を貫徹させて日常に帰るところまでをちゃんと描くが、家がガス風船の力で地上から飛翔するところからはすべて死を間近にした老人の幻覚だった、ととれる含みを残しても面白かったかもしれない。原題「UP」の示す内容とはまさしく昇天そのものであって、ほんとうは「空飛ぶ家」の映画ではなかったのだ。
空飛ぶ家の空中旅行は始まってすぐに終わる。家が飛んだらどんなに楽しいでしょう、ということに長い描写を費やすこともなく、カールはあっという間に旅の目的地までたどり着いてしまう。「サツキとメイの家」は見世物になったが、カールじいさんの家はたぶん無理だ。

作画より何よりシナリオ作りに大変な力を注ぐという触れ込みのピクサー映画だが、それでもこのような重心の狂った映画ができるというのは(悪い意味でなくて)何だか楽しい。というか悪くない。ハリウッドの組織力で非の打ち所のない映画を目指すよりも、作家性に寄り添って魅力的な偏りで人を惹きつける映画を作ってほしいと思う。手本は宮崎駿。この調子で頑張れピクサー。
ラベル:ピクサー アニメ
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2010年05月12日

嘘を吐くのは犯罪だと思う

青臭いことを書く。

インターネット上の情報は原則無料でアクセスできるものであるから、中には多少いい加減なものが交じっていても仕方ない。嘘は嘘と見抜けない方にも責任がある。そういう物言いを積極的にか消極的にか知らないが肯定してきた結果、今のネット空間は玉石混淆の情報が散乱する場となった。
もっともそうだからこそ、ソーシャルブックマークやリコメンドシステムなどのサービスやテクノロジーも発展して集合知でございということにもなったのだが、それらを生む原因となったもともとの不自由や不便に対する批判を忘れてはよくないのではないか、と思う。それがネットのダイナミズム、と思考停止してしまっていいのか。具体的にいえば、嘘を書いている屑情報サイトを野放しにしていいのか。自分で見に行かないからいい、と放置していて本当にいいのか。

spammail.jpg既にメールは絶望的な状況になっている。
長くうっちゃっていて久しいものの、年に一度ぐらい物覚えの悪い知人が間違ってメールを送ってくることがあるため捨てるに捨てられないフリーメールアカウントがあるのだが、ここがもう本当にひどい。某Yahoo!はスパム業者の育成保護を任務と心がけているのかどうか知らないが、どれだけ捨てても迷惑メール設定をしても平気で2038年1月19日からスパムがどしどしがしがし届く。フリーメールだからダメで有料サービスだったらましなのか、と思ったら知人によればぜんぜんそんなことはないらしい。

個別に確認したわけではないが、書いてあることは皆嘘だと一目見ればわかる。人に嘘を吐くことがなぜ何かの犯罪を構成しないと思うのだろうか。何が「私の性欲を満たしていただけませんか?」「取り急ぎ、1回10万なら出せます」だ馬鹿。のぼせた頭から水でも被ってろ。「昔は普通のサラリーマンでした。でも、今は、時間も自由に月収80〜150万円を安定的に稼ぐ事ができています」寝言は寝て言え情報商材マルチの末端野郎。メールを瞬殺してもしてもきりがない。時間さえあれば被疑者不詳でいいから全員片っ端から詐欺で告発したい。早く来い老後。

昔はメールをまとめて出す手間の容易さに対して、受信者が個別に送信者に抗議するのが難しかったという事情はあったかもしれない。だが、明らかに人を害する目的で出されているこれらのメールが野放しにされた結果、今やメールは安全でも何でもなくなり、現実社会のダイレクトメールでパンパンとなった郵便箱と同じものもしくはそれ以上の屑箱をネット上に大量に作り出したのだ。これを根絶する方策とテクノロジーがないわけがない。現に機能していない迷惑メール防止法みたいなザル法ではだめだ。

メールもぜひとも今からでも正しいツールに戻したいものだが、同時に腐れサイトの跋扈を今許していては将来間違いなくメールで起きているのと同じ無政府状態が訪れると思う。嘘を吐いてアフィリエイトに誘導したりくだらんポップアップをやためたに開いてマシンの挙動を不安定にしたりする糞サイトどもは、表現の自由のボーダーからは億万光年離れた外道世界で生きる存在であって、それらを排除することは決して言論弾圧ではない。断じて。
街を汚す奴には文句を言わなくてはいけない。俺はこの街が好きだから汚されたくない。家の色が赤だといかんとかテラコッタだからいいとかは議論の余地があろうが、そういう微妙な趣味の問題でなくてここで排除すべきはあくまでもうんこの家だ。うんこの家はあちこちに建っていて異臭を放っている。うんこは誰が見てもうんこだ。もう間違いなくうんこだ。うんこうんこ。連呼してどうする。ともあれ頼むからみんなもっと怒れ。糞サイトはネットだから存在していても仕方ない、んじゃない、俺たちが黙認しているだけなんだよ。本当に。どうにかしなくては。
ラベル:スパム 糞サイト
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2010年05月06日

鳩山首相はもうどっか行っていいから本当

勝手にハードルを上げまくったあげく右からも左からも袋叩きに遭う道を選んだのだから何ともはや。asahi.comの普天間、県内移設を要請 首相、沖縄知事にから。
 鳩山由紀夫首相は4日、就任後初めて沖縄県を訪問し、宜野湾市の米軍普天間飛行場の機能の一部を県内に移設させる方針を仲井真弘多知事らに伝えた。首相は鹿児島県徳之島も移設先として検討していることを認めたが、具体的な内容について説明しなかった。「最低でも県外」としていた首相に沖縄県側は反発を強めており、今回の訪問で5月末決着が絶望的な状況を打開することはできなかった。
 首相はまず、沖縄県庁で仲井真知事と会談。「県外移設の実現を期待する声が高まっている。普天間飛行場の危険性の除去と、沖縄県の基地負担の軽減に取り組んでいただきたい」との知事の要請に対し、「現実に日米の同盟関係、近隣諸国との関係を考えた時に、抑止力という観点から(国外移設は)難しいという思いになった」と説明。
 さらに「(普天間の機能の)すべてを県外にというのは現実問題として難しい。沖縄のみなさんにもまた、負担をお願いしないとならない」と県内移設に理解を求めた。
私は夢想が好きだ。もしかしたら平和憲法をタテに在日米軍の駐留を撤廃する大技を鳩山首相が仕掛けてきて世界中上を下への大騒ぎ、という事態を心のどこかで期待していた。もちろん鳩山首相が優柔不断の坊ちゃん政治家であって自主憲法制定論者でもあって、地方政治に対する影響力はゼロに等しいであろうことはだいたい想像できていた(しかし沖縄行が就任後初めてだとは思わなかったなあ)。懐刀たるべき官房長官にあのような融通の利かない人間を選んだんだか押し付けられたんだかでは込み入った利害の調整などできるはずもなく、ひどいことになりそうな予感は募るばかりだったが、それでもなんかウルトラCはあるんでないか、沖縄でちっとはましなことを話すんではないか、と心の底でちみっとは思っていたのだ。

いやあ、大間違いでした。この人問題の所在がぜんぜんわかってなくてそれをそのまま喋ることが誠実だと思ってました。我々は米国の属国であることを公然と認めました。もう本当しょうがないこれは。誰が相手かわからないけど笑ってごまかしたい。なんというか、身内では全然ないけどスーパー身内の恥感覚。穴掘りたい。

就任後の第一声あたりで「沖縄の米軍基地はしかるべき期間中に全廃する」とかなんとか打ち上げていれば、おそらく米国も「すわ大変だ」と懐柔大行進なり公式の抗議なりを打ち返すなどして、オープンな場であるべき日米同盟の未来像を協議する契機をつくることはできただろう。もちろんこれは大博打であってこの提案自体の成算は非常に薄いが、政権交代というものの意義のひとつは前例にとらわれない問題提起にこそあるのであって、結果として基地は残るにしても、これを機会に対等の立場で議論を行うことはできたはずだ。でも彼と彼の政権はそれをやらなかった。というか怠った。八方美人的に振る舞って掛金のレートを一方的に上げたあげく高転びした。馬鹿ではないのかもしれないが馬鹿のやることをやっているので馬鹿と言ってもいいと思う。

と書いて、これは自分が仕事などで失敗するときのまさしく王道パターンと同一であることに気づいた。同僚や取引先に気兼ねして強いことを言えず仕事を抱え込むだけ抱え込んだあげく納期には遅れる予算足を出す出来は最低、というコンボ。日本人気質の最悪の部分、というと「俺は違う」と怒る方も少なくなかろうが、我が国がかつて第二次世界大戦で逆ギレの末に大炎上をやらかしたロジックもまたこれと相似形であって、そういう意味では政権交代の節目に全く我々にふさわしい首相を我々は選んだのかもしれない、と思う。であればこその身内の恥感覚か。

ともあれ、この強烈な終わった感は何なんだろう。次の首相(もう代わると決めてかかっている)は選挙でも経ないことにはゼロからのスタートはできないので、取れる方策などたかが知れている。日米当局者が大規模部隊による上陸戦がどこで起きうると思っているのか知らないが、海兵隊の日本駐留自体は今後も既成事実として積み重ねられていくのであろう。迷惑施設押し付け合いでしかない米軍基地移設論争の不毛もまた続くのだろう。
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2010年04月16日

香里奈3姉妹ではない

なんか妙におかしかったので。asahi.comの現在のトップ画面がこうなっていた。
asahicom.png偶然なのかわざとなのか知らないが(たぶん意図的)、人数が合っているのに大笑い。それは着ぐるみであってTシャツではない、とかあちこちでツッコミを誘発していることだろう。

よく見たらその他の記事見出しも変なものばかりだ。画像内の記事以外に、右側にある「注目コンテンツ」ボックスで「常識破り、角道開けずに振り飛車退治」てなものが載っていたが、いったいどこの将棋雑誌だおまいは。「新年度、新しいバッグを選ぶ」このサイトは個人の日記か。リンク先が物販ページというのもあざとい。

asahi.comもお堅いイメージから脱皮しようとしているのだろうが、こういう暴走は嫌いではないのでまあせいぜい頑張ってほしいものである。有料にはしないでね。
ラベル:asahi.com 香里奈
posted by NA at 08:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 電網 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月12日

さようなら井上ひさしさん

本の世界に導いてくれた作家が亡くなった。以前、山下勇三さんが死去したときのエントリに書いたが、朝日新聞で連載されていた長篇「偽原始人」が、私にとって初めての自覚的な読書体験だったからだ。
asahi.comの作家・劇作家の井上ひさしさん死去 「吉里吉里人」などから引用。
 軽妙なユーモアをたたえた優れた日本語で「吉里吉里人」「國語元年」など多くの小説や戯曲、エッセーを書き、平和運動にも熱心に取り組んだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさし(本名・井上廈)さんが、9日午後10時22分、肺がんで死去した。75歳だった。
 山形県小松町(現川西町)生まれ。5歳で父と死別し、経済的な事情から一時、児童養護施設で育った。仙台一高から上智大フランス語学科に進み、在学中から浅草・フランス座で喜劇台本を執筆。卒業後、放送作家となり、1964年にNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を山元護久氏と共作し、鋭い風刺と笑いのセンスで注目された。
 69年には劇団テアトル・エコーに「日本人のへそ」を書き下ろして本格的に劇作家デビュー。72年、江戸の戯作者(げさくしゃ)を描いた小説「手鎖心中」で直木賞、戯曲「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞を受賞した。
 東北の一寒村が独立してユートピアをめざす小説「吉里吉里人」(81年)をはじめ、「不忠臣蔵」(85年)、「東京セブンローズ」(99年)、戯曲「天保十二年のシェイクスピア」(74年)、「化粧」(82年)など、壮大な想像力と平明で柔らかな日本語を駆使し、大衆的な笑いと深い人間洞察を両立させた秀作を多数執筆。エッセーや日本語論でも活躍した。
 83年には自作戯曲を上演する「こまつ座」を旗揚げ。「頭痛肩こり樋口一葉」(84年)、太宰治を描いた「人間合格」(89年)、林芙美子が主人公の「太鼓たたいて笛ふいて」(02年)などの優れた評伝劇や喜劇を次々と上演。97年には新国立劇場の開場公演「紙屋町さくらホテル」を手がけた。同劇場には庶民の戦争責任を問う東京裁判3部作「夢の裂け目」(01年)、「夢の泪」(03年)、「夢の痂(かさぶた)」(06年)も書き下ろし、10年4月から3部作連続上演が始まった。09年に初演した「ムサシ」が10年にニューヨークとロンドンで上演される。
「吉里吉里人」が30年近く昔の小説だとは思わなかった。あの鈍器のように重く分厚い単行本を、中学生だった私はこともあろうに数日がかりで全編本屋で立ち読みしたのだ。
小説新潮連載中から「すごい作品だ」という世評を聞いて、読みたい思いが募っていた。餓鬼の悲しさ、小遣銭は文庫本を買うのがせいぜいで、さりとて図書館に入るのを待っていたらいつになるかわからなかった。だから腕の疲れを感じながらそれでも朝から晩までずっと立ち読んでいた。週末だったのだろうか、なんでそんなに時間があったのかは覚えていない。おおらかだった駅前書店に感謝したい。

「日本人のへそ」「表裏源内蛙合戦」「天保十二年のシェイクスピア」「しみじみ日本・乃木大将」といった初・中期の戯曲は大好きだった。全共闘運動の失敗を踏まえた「それからのブンとフン」の苦さを少年の頃どこまで理解できたことだろう。思えば前記の舞台作品も「偽原始人」も「吉里吉里人」も敗北者たちの物語ではあった。「珍訳聖書」もふざけた題名に比して沈痛な読後感をもたらす戯曲だった。
私の十代は井上ひさしの小説とともにあった。「黄色い鼠」「十二人の手紙」「青葉繁れる」「ドン松五郎の生活」「手鎖心中」「下駄の上の卵」「イーハトーボの劇列車」「四十一番の少年」……ああ、思い出せばきりがない。筒井康隆と井上ひさしは少年時代の私のヒーローだった。
初期の珠玉の短篇「あくる朝の蝉」は日本ペンクラブ電子文藝館で閲読可能だ。兄弟を題材にした古今の小説の歴史に残る名作だと思う。再読して、孤児院という特異な環境に適応してしまった「弟」の振る舞いに、昨今の幼児虐待事件に通じる痛ましさを覚えた。井上ひさしが幼い頃から向かい合ってきた闇がここには映し出されている。

著作リストを見ていて、最後に彼の本を買ったのは十年以上前になることにも気づいた。長期連載の末に結実した長篇「東京セブンローズ」は、緻密な考証に基づく前半の太平洋戦争下の庶民の生活描写の素晴らしさと、イデオロギーが色濃く打ち出された後半の失速があまりに極端すぎた。なぜここまで丁寧に育てた舞台をただの主張のための小説にしてしまうのか、と残念に思ったのを覚えている。
作家井上ひさしの行動原理となっていた平和主義が小説の中で主張として展開されたとき、それをただのお題目としか読めなかった当時の私の狭量にも問題はあっただろう。今読み直したらまた別の景色が見えるかもしれない。しかし、政治活動に傾倒していく中で発信される彼の言葉の数々は残念ながら私の心に響くものにはならなかった。俺はその意見にはおおむね賛成だけど小説で読みたいとは思わない、と。

しばらく交渉の途絶えていた、でもとても懐かしい知人の訃報を前に、今私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。晩年の訴えにも耳を傾けるべきものはあったかもしれない。私は彼から読書の習慣をはじめ多くの知を手渡されたのに、ついにふさわしい敬意を払うことのないままだったから。せめて残された本にもう一度会いに行こうと思う。文豪という呼称は決してふさわしくない、わが友井上ひさし。
ラベル:井上ひさし
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2010年04月01日

HDD Regenerator最強

年度替わりにはなぜかパソコンのエラーが多発するらしく(しばらく使ってなかった社用マシンを異動で返却する段になって異常に気づく、というケースもあった)、結構いろいろな人の環境復元などをボランティアで手伝う羽目になった。会社にも当然ながら機器管理担当者はいるのだが、こやつらがまったくあてにならず二言目には「リカバリーしかないっす」としか言わないので、私のような下手の横好きに相談が持ち込まれるのだ。

その中で一番難渋したケースがかの有名なブルースクリーンのエラー番号0x0000007B、すなわち「INACESSIBLE_BOOT_DEVICE」だった。会社のWindowsXP機でこいつが発生し、起動用フロッピー六枚組で立ち上げようとしてもふたたびBSoDが出るという最悪のパターンである。光学ドライブからUbuntu Linuxを使ってディスク修復させることも試みたが、「メディアがない」とか抜かしてあてにならなかった。
持ち主は「USB外付けディスクにデータコピーしようとして不正終了し、その後BSoDになった」とおろおろ話す。きっと作動中にUSBが抜けるか何かしたのだろう。本体のCドライブには重要なデータが入っているとの由。最悪サルベージだけでもなんとかしたい。様々なツールを使って数時間試行錯誤するも、なかなかドライブの中に辿り着けない。

というところでふと「HDD Regenerator」の存在を思い出す。垢抜けないインターフェース、設定できるオプションの少なさなど愛想はないものの、とにかく絶大なる不良セクタ修復能力を誇るシェアウェアだ。原因は特定できなくともこいつに任せたらなんとかしてくれるのでは、と夜通しの修復作業でいい加減疲れて面倒くさくなってきたこともあって、ユーティリティをブート可能なCDに焼いて走らせて放置した。

100GBのディスクを数時間かけてリペア、そのうちバッドセクタはなんとひとつだけだったが、そこが修復されたことで元通りOSが正常にブートするではないか。結構感動ものだった。
今後も何か問題があったらまずはHDD Regeneratorを走らせてからだな、と思った。シェアウェアではあるが、成功時の効果に比して決して高いソフトではないし、何より手軽である。データをあきらめる前に一度試して損はない。
posted by NA at 22:44| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 電網 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

「アバター」についての今更コメント


2009年末から年明けにかけて大ヒットした3D映画「アバター」の感想を書くのを忘れていた。基本的にはよくできた今風電影見世物でありあまり深読みせずに楽しむのがよかろう、と思ったのでとりわけ書く必要も感じなかったのだが、あとになっていろいろ思い出してきたので。以下当然のようにネタバレだらけなので行間ちょと空ける。
 
 
 
 
 
 
 
・主人公が下半身不随の元海兵隊員、というシナリオ設定は要するに「強靭な肉体を取り戻すことを切望する、極限状況に適応可能な人材」という位置付けだったのか、と納得。最初にアバターと接続したときに見せる興奮状態はなんだか大袈裟過ぎて変だと思ったが、あそこまで強調しないと人類を裏切り異星人のために戦うことになる動機付けにならない、と判断したのだろう。「ナウシカ」や「もののけ姫」などで異種共存物語に慣れすぎている(というかこの手の異種対立ストーリーの落とし所は基本的に共存共栄っしょ、みたいな)日本風作劇術との感覚の違いを少し感じた。
・ところでやっぱり宮崎アニメの影響ってあったんですかねえこの作品。誰かインタビューで触れていないのかな。
・ベトナムのジャングルとインディアンの延長(赤だと露骨だから青く塗った)みたいな原住生物ナヴィが登場する本作は、アメリカ合衆国の原罪に対する告発か、みたいに気負って観始めたが、まあよく考えたら直接間接的にそういう見立てのできる映画はキングコング以来今までにも随分あったわけで、特に強調することでもないのだろう。ただ侵略を指揮する海兵隊の大佐(スティーヴン・ラング好演)が、筋肉馬鹿でまるっきり問答無用の悪役という扱いなのには少し驚いた。途中で命令放棄して反旗を翻す女性パイロット(ミシェル・ロドリゲス)の扱いもちょと新鮮だったかも。
・3D表現(もちろんこっちで観た)は、すごいというよりも物語の中で浮いていないことの方に驚くべきなのだろう。いかにも3Dでござい、というこれみよがしな利用(観客の方に物を飛ばしてスリルを味わわせる式の。昔は多かったなあ)はほとんどなく、全編が当たり前に3Dで表現されていた。
ただ私の観た上映館だけの問題かもしれないが、思ったほどジャングルの雰囲気が立体的に表現されていなかったのは、ひとつには音響がうまく使われていなかったからではないか。もっと密林感を演出するサウンドの使い方があったと思う。視点が切り替わるたびに音の方向が変わるのも不自然だが、見た目の奥行が増した3D映画での音響効果の扱いは今後大きな課題になるのではなかろうか。
・シガニー・ウィーバーは樹木と一体化して惑星の意思を体現する存在になるのではなかろうか、と思っていたが外れた。地球人は所詮よそ者、そこまで出しゃばってはいけない。しかし彼女はどこでもシガニー・ウィーバー役以外をやっていないような気がする。大女優というのはそういうものか。
・3D映画は盗撮は難しいし家庭での再現も金がかかりそうなので、短期的にはブロックバスター映画の主流を占めそうな気がする。3D再生設備が広く一般的になれば、映画以外のソース(オペラとか歌舞伎とか人気歌手のライブとか)も流すビジネスが大きく育つだろう。違法コピー対策にはコピーできないものを、という、大量複製を前提とした20世紀の手法を否定する新たなメディア展開がここから始まるのかもしれない。
ラベル:アバター 3D
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2010年01月16日

シベリア少女鉄道スピリッツ「キミ☆コレ〜ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート〜」

新宿タイニイ・アリスでの公演を観に行った。この劇団(今回からいわゆる劇団ではなくてプロデュース公演になったみたいだけど)は初めて。川上未映子さんのブログで紹介されているのを読んで前売り券を入手し、知人の美人を畏れ多くもお誘いして行ってみた。
公演中なのでネタバレは避けるが、漫画家とアシスタントらの仕事部屋を舞台に、前半スローテンポで敷いたそれぞれの片思い風視線をすべて台無しにする壮大な卓袱台返し展開に唖然とする。誰もがわかる漫画とドラマとアニメの最大公約数ってえとあのへんになるのかなあ。

その後、知人の美人と夕食を食べてワインを飲んで珍しくタクシー帰宅。彼女も舞台を楽しんでくれたみたいでよかった。
何も起きなかったし起こす気はなかったし起こる可能性もなかったけど、まあそのなんだ、とても楽しい時間を過ごした。感情飽和量の少なかった昔だったらつい言ってしまいそうな迂闊な一言は言わずに済んだ。大人になったなお前。
しばらく忘れていた感情が心を占めて離れない。でも私の頭には大きな穴が空いているので、きっとすぐ忘れてしまうだろう。
posted by NA at 05:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

東響定期@サントリーホール

またベートーベンの第七交響曲を聴いてしまった。サントリーホールにて東京交響楽団の第574回定期。東響定期は一年ぶりである。

最初のシューマン「序曲、スケルツォとフィナーレ」は安心して眠れた(こら)。綺麗だけど、まあそれだけの曲だと思う。ただの客入れ音楽なのか、どういう狙いがあったのかわからないが、昨年もそういうプログラミングしていたと思い出した。

続いて英国の中堅作曲家フィトキンのピアノ協奏曲「Ruse」。本日一番期待した委嘱作品で日本初演。でも世界初演は昨年12月にイギリスで行われていた模様。別に最初にやった団体がえらいわけでも何でもないが、名曲かもしれない新作を他で先に演奏されたらちょっと悔しくはないか、と余計なことを考える。
編成は独奏ピアノと弦楽にティンパニ(奏者は二人でやたらいっぱい並べてあった)。ソロのキャサリン・ストットはストイックに音符の多いスコアを再現し、最後までペースを乱さなかった。というか、もともとペースはそんなに変わらない曲だったりする。三者入り乱れてのドカシャバぎこぎこカリコレラ大会が突然静まってはまた復活し、というあたりがruseすなわち「策略、計略」たる所以か。
シンプルな編成でのモノトーンの執拗な反復が作曲者の表現意図だったのかどうか、いかんせん音色のバリエーションに乏しいため、次第に当方の音楽脳の反応が鈍感になり「あーまた止まった、また動いた」ぐらいしか考えなくなってしまってどうもすみません。タコじゃないけどトランペットの一本でもあればまた色彩が変わったろうになあ。終わりの方はクライマックスを作るのに苦労していたように思った。部分部分は面白かったのだが、少々期待はずれではあった。

で七番。先月読響で乱暴極まりない絶品の演奏を聴いていたため、今回の大友直人の演奏は端正ではあるが面白みに今ひとつ欠けた。協奏曲でおやすみだった金管が集中を欠いたのか音を外したりぶわーっと行き過ぎたりで、どうもしっくりフィットしていなかったように思う。とりわけホルンの音程が気になった。大谷康子コンマスの奮闘(四楽章での嬉々とした刻みは見ていて楽しかった)あってか弦はなかなかいいノリでスウィングしていたのに残念だった。大谷さんは個人的に好みなので次もがんばるように。
ラベル:東京交響楽団
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