2009年01月17日

彼らにはできない

canorcannot.png友人から馬鹿画像を貰った。確かにわしらの首相はネガティブな情報しか発信できてないよなあ、と納得。解散もしないし公務員制度の抜本改革もしないしもはや趣旨がよくわからなくなってきた定額給付金の修正も取り下げもしないし。
絵を見ていていろいろ妄想が湧いてきたので例によってとりとめなく書いてみる。

いろいろ問題があるのは承知だけど、それでも米国社会のオポチュニズム、よりよい明日があると信じられる精神だけは見習いたい気がする。まもなく発足するオバマ政権は明らかに過大評価されていると思うが、長い選挙戦を勝ち抜き有権者を納得させリーダーの座についたオバマ氏の弁舌の力は本物だろう。
麻生首相に限らず、民主党の小沢代表ら我が国の政治リーダーがいかに言葉を蔑ろにし物事を理にかなった説明抜きでうやむやなままに進めているかを思うと、彼我の差は絶望的だ。

最近の世論調査では内閣支持率と共に自民党への支持も下がり、次期総選挙では民主党が政権を獲るとの見方が専らだが、現状を忌避する層が単純に受け皿としての民主党支持に流れているだけで、1992〜93年の日本新党のようなムーブメントが再現されれば平気でそちらに雪崩を打つだろう。機を見るに敏な渡辺喜美が自民党を単身離党して政界では馬鹿扱いされているようだが、この動きは決して軽視すべきではないと思う。レッテルさえ新しければ中身は何でもいいのが日本の有権者である。思想的にぜんぜんマッチしていなくても地方政党やミニ政党を含めた大連合さえ形の上でできれば、自民・民主離党組も含めた大津波はたちまち発生するだろう。
渡辺一派に加わった江田憲司の働きかけで橋本大二郎が合流しかつての改革派知事らの連携ができれば、以上の妄想は俄然現実味を帯びてくることになると思う。

しかし展開はどうであれ、今の自民党が総選挙後の首班に加わることだけはないだろう。麻生太郎はおそらく任期満了まで解散を決断できずに最後の自民党首相として名を歴史に残すか、あるいはその前に党内抗争で引きずり下ろされるかして、何もできないまま首相の座を去ることになると思う。
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2009年01月14日

節度なき「裁判」報道

積極的に読んでほしくはないのでリンクは貼らない。産経新聞のウェブサイトが「江東マンション神隠し殺人事件」の初公判の模様を実況形式で報じているが、見出しと書かれている内容の酷さに怒りを覚えた。凄惨な殺人の模様などをここまで詳細に世間に公開する必要がどこにあるのか。被害者に対する冒涜ではないか。
これは報道の名を借りたグロテスク趣味の開陳だ。

後ろ暗い趣味の持ち主が承知の上で読む実話雑誌と違って、ウェブサイトの記事はあまねくすべての読者に公開されている。公判で明らかにされた事実だからと言ってそのまま報道していいということにはなり得ないだろう。
ラベル:産経新聞
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2008年11月25日

裁判員制度とはこういうものだったのか

citizenjudge01.jpg新聞の全面広告を見てショックを受けた。裁判員制度の周知のため最高裁・法務省・日弁連三者が出したものだ。

来年五月から始まるという制度(別にそんなものの導入を希望したことはまったくないのだけど)についてはなんとなく知っているつもりでいた。素人衆の一般市民から無作為で選ばれた裁判員と裁判官が一緒に審理すること、対象となるのはもっぱら重大犯罪であること、指名されたらよほどの事情がなければ断れないこと、名前や住所は公開されないこと、審理内容は他言無用であること、などなど。
とんでもない。大事なところをぜんぜんわかっていなかった。君はそれでいいのか上戸彩。
citizenjudge02.jpg私を動揺させたのはこの写真だ。裁判員は裁判所で雛壇(というのか)に並んで「裁判長が行う判決宣告に立ち会」うのだという。
だったら嫌だ。絶対なりたくない。もう手遅れだが。

確かに裁かれる側にしてみれば、どこぞの素人が密室でこっそり謀議して結果だけ「あなたは極刑に決まりました。以上」と通知されるのでは納得はいかないだろう。裁判の過程で後ろに引っ込んでいるわけには行かないのはわかる。制度の象徴として目に見えるかたちで関与させる必要はあるのだろう。
だが、判決を言い渡す場に同席して、いわば連帯責任のようなかたちで加害者と被害者(生きてしかもその場にいればだが)・その家族ら関係者に正対することになるとは想像していなかった。180°という圧倒的な位置関係。これは相当しんどい。たとえ自分の主張が少数意見だったとしても退席は許されまい。

逆の場合だったらどうか想像してみる。加害者側であれ被害者側であれ、理不尽な判決を下した相手の顔は決して忘れないだろう(生きていればだが)。手を尽くして名前や住処を突き止め、なぜそのような判断をしたのか説明を求める。もし所在がわからなくても、いつどこで出会うかわかったものではない。激昂したら人間は何をするかわからない。

やはりこの制度は司法の責任逃れでしかないのではないか。時代の空気に流されやすい一般市民の感情を利用して、裁判官自らは心を痛めることなくカジュアルな極刑判決を下すのが目的だとしか思えない。
確かに世の中をぜんぜんわかってない裁判官がでたらめな判決を多々下してきたのは事実だが、三審制はもともと人間が無謬な存在ではないことを前提に組み立てられたシステムのはずだ。その仕組みの中で正すべきは正せばよい。プロパーから素人に責任の一部を転嫁して事足れりとするのは明らかにおかしい。

画像の力は大きい。今まで漠然としか理解していなかった裁判員制度の本質をいきなり突きつけられたような気がした、そんな写真だった。
ラベル:裁判員制度 広告
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2008年11月05日

石破茂がいいことを言ってる

田母神俊雄・航空幕僚長による在職中のトンデモ論文(論文の体をなしてはいないが)発表事件について、石破農水相が自身のブログで的確なコメントをしていた。⇒石破茂(いしばしげる)ブログ: 田母神・前空幕長の論文から思うこと
当たり前のことを当たり前に書いているだけだが、防衛省が対処にもたついているこのタイミングで元防衛相が発言したということも含めて、感度の良さを評価したいと思う。麻生首相がこれぐらいのステートメントを発覚直後にさらっと発表できていたら好感度アップ間違いなしだったのだが。そのへん、政治家としての器の違いだろうか。
 田母神(前)航空幕僚長の論文についてあちこちからコメントを求められますが、正直、「文民統制の無理解によるものであり、解任は当然。しかし、このような論文を書いたことは極めて残念」の一言に尽きます。
 ……「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
 在野の思想家が何を言おうとご自由ですが、この「民族派」の主張は歯切れがよくて威勢がいいものだから、閉塞感のある時代においてはブームになる危険性を持ち、それに迎合する政治家が現れるのが恐いところです。
 加えて、主張はそれなりに明快なのですが、それを実現させるための具体的・現実的な論考が全く無いのも特徴です。
 「日本は嵌められた!」一部そのような面が無いとは断言できませんが、開戦前に何度もシミュレーションを行ない、「絶対に勝てない」との結論が政府部内では出ていたにもかかわらず、「ここまできたらやるしかない。戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるは日本人の魂まで滅ぼす真の亡国」などと言って開戦し、日本を滅亡の淵まで追いやった責任は一体どうなるのか。敗戦時に「一億総懺悔」などという愚かしい言葉が何故出るのか。何の責任も無い一般国民が何で懺悔しなければならないのか、私には全然理解が出来ません。
 制服組はもっと世間の風にあたり、国民やマスコミと正面から向き合うべきなのだ、それが実現してこそ、自衛隊は真に国民から信頼され、尊敬される存在になるものと信じているのです。
などなど。総じて至極真っ当な意見だ。
引用は割愛したが、靖国問題に対する言及なども、私とは考えが違うもののごくモデラートな主張として拝聴に値すると思う。ただの軍オタでない、現場体験を踏まえた苦労人ならではの実現性をわきまえた意見に好感を覚えた。

自民党政権の中でこういう正論を唱えることが彼のキャリアにとってプラスなのかマイナスなのかはわからないが、いつか彼が首班の座を争うような日が来たらこのことを思い出そう。的確なタイミングで意志を表明することは明らかにリーダーの資質にほかならないから。
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2008年10月12日

三題噺失敗

産経新聞を愛読している。購読しているわけではなくて会社で取っているものをさらっと斜め読みしているだけで、さらに正確に言えば「愛」しているのは朝刊一面左下の漫画ひなちゃんの日常だけだ。これが実によろしい。たぶん現在の全国紙連載の中で最強である。
新聞一面漫画掲載計画は前にもちらっと考えたことがあったが、産経で実現したときには喝采ものだった。毎日新聞が「数独」を一面に連載しているのとはぜんぜん違って、明らかに新聞の好感度を上げるのに大いに役立っている。職場でもファン続出。この漫画だけを配信してくれるウェブサービスがあるなら月に300円ぐらいは払ってもいいとさえ思う。
あとは「世の中には自分とは異なるいろいろな考え方の人がいるのだ」ということを確認するため、いわば精神のバランスを取るために敢えて読むようにしているのだが、それでもたまに(でもないな、しばしば)奇天烈極まりないバランスも何もあったもんじゃない文章が載っちゃったりするのが産経新聞クォリティなので油断ならない。まあこれも一種の魅力ではあろう。でも自分で金を払って読んでいたら激昂してるかもな。

というわけで典型的産経クォリティのテキストを昨日も見かけた。長辻象平論説委員による「(かん)(がえる)()(ちゅう)」と題された一面コラムの「古事記とクラゲと素粒子論」である。しかし師走の蛙こと寒蛙はまだしも、六鼠って何なんだ。
今期ノーベル物理学賞授賞の対象となった研究内容についてはいろいろなメディアがその真価をわかりやすく解説しようとしては失敗しまくっているが、これはもうそれ以前、ぜんぜん脈絡のないことを三つ並べて無理矢理繋いでいるだけのすてきな綴り方である。というかそもそも繋がっていない。別に中面や裏面にならばでたらめを書いていいというものではないが、その日の朝刊一面のトップクラスの扱いになる文章がこれとはねえ。たま出版の書籍じゃあるまいに。
 本当によかったと思う。3人のノーベル物理学賞の同時受賞である、と書いていたら化学賞の朗報が飛び込んできた。
 南部陽一郎さん、益川敏英さんと小林誠さんによる素粒子物理学の研究に加え、下村脩(おさむ)さんのクラゲの蛍光タンパク質の発見が、人類の英知の前進に貢献したことが評価された。
 今回は国内最多受賞のノーベル賞について触れたいが、4氏の研究テーマに何か共通項はないだろうか。そう考えていたときに「古事記」の天地創成のくだりを思いだした。
 「国稚(わか)く、浮ける脂のごとくして久羅下(くらげ)なすただよへる時に葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(のぼ)る物によりて成りませる……」という部分だ。
 天と地が分かれたばかりのころの大地を、海を漂うクラゲのイメージでとらえて、表現している。
 下村さんのクラゲと物理3氏の研究が、ここで重なる。
 益川さんと小林さん、南部さんの研究には「対称性」という用語が出てくるが、「CP対称性の破れ」によって、今の宇宙のありようが説明できるのだ。
 宇宙物理学による天地創造は、137億年前のビッグバンだ。この大爆発によって宇宙が生まれたときには、対をなす無数の粒子と無数の反粒子が同量あった。
 ただし、質量や寿命が同じでも電荷の正負が逆の関係にある粒子と反粒子(例えば電子と陽電子)は、互いが出合うと光を放って消えてしまう。対称性があるための対消滅だ。一方、粒子と反粒子の何かがわずかに違っている場合には「対称性の破れ」が存在することになる。
 物理3氏の研究の意義を一言で要約しようとすれば「この宇宙は、なぜ存在しているか」ということの説明につながるのだ。
 宇宙には、粒子で構成された物質からなる星々や、私たちが存在している。ということは、粒子と反粒子は対称でなく、対称性の破れによる違いなどがあったために、粒子の方が勝ち残って、今の宇宙があるというわけだ。
 物質の原子核の陽子や中性子は、クォークという素粒子で構成されているが、このクォークに6つの種類があれば、対称性の破れが生じることを益川さんと小林さんは証明した。
 その体系が「小林・益川(KM)理論」である。以前にその論文を小林さんからいただいた。
 「弱い相互作用のくりこみ可能な理論におけるCPの破れ」というタイトルで、計6ページ。ここに、物質の根幹をなす原理が凝縮されている。この英語の論文中には3行の驚くような数式がある。
 A)4=2+2
 B)4=2+1+1
 C)4=1+1+1+1
 クォークの種類によるモデルの検討を示しているのだが、小学生が見ると不思議がるらしい。
 益川さんと小林さんは、30歳前後だった京都大学の助手(助教)時代の夏休みに、この論文を書き上げた。大事なのは、若い二人の間で十分に議論が交わされたことである。良質な議論は研究の深化に必須だ。ノルマに追われる今の若手と異なり、当時の助手は研究に専念できたのだ。
 下村さんの研究は、生命科学の飛躍的な発展をもたらした。発光クラゲによるビッグバンだ。この人の場合もじっくりとした取り組みが世紀の大発見につながった。
 それにしても古事記はすごい。「葦牙のごとく萌え騰る」勢いは宇宙の始まりのイメージだ。
以上である。何を言いたかったのだろう、このコラムは。説明になってない説明を羅列したあげく「それにしても古事記はすごい」で締めるやり方はテンプレ化できそうだ。

同情しないでもない。きっとこの方は科学担当の論説委員なのであろう。となれば日本出身者四人がノーベル賞を受賞という慶事に際しては当然これを称えるコラムを即日書かなくてはならない。しかもそれは社論に沿ったものでなくてはならない。古き佳き日本精神が現代科学を照射する内容こそ、産経新聞に求められている。てな使命感に駆り立てられて筋立てを練る羽目になったのはないか。あるいはもっと具体的なオーダーが社の上層部からあったとか。だが、締め切りに間に合ったのは無残なまでに分裂した上記コラムでしかなかったのだ、おそらく。
産経社内に心ある科学記者があらば、きっとこの事態を悔いていることだろう。もう少しましな解説は当然あり得ただろうから。

インテリジェントデザイン説に対するスタンスなどからしてもこの新聞社に科学的な視点を要求すること自体もともと筋違いであることは明らかなのだが、ちょっとこれはひどすぎるよなあ、と思った次第。「右」代表としての自覚を胸にもっとしっかりしてほしいものである。
posted by NA at 03:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

小渕大臣がなすべきこと

麻生内閣の支持率が福田内閣発足時よりも低かったらしい。へえ。共同通信の麻生内閣支持率48% 福田政権発足時下回るより。
 麻生内閣発足を受け、共同通信社が24日夜から25日にかけ実施した全国緊急電話世論調査で、内閣支持率は48.6%となった。不支持率は32.9%だった。支持率は昨年9月の福田前内閣発足直後の57.8%を下回った。(中略)麻生太郎首相と民主党の小沢一郎代表の「どちらが首相にふさわしいか」との質問では、麻生氏が53.9%で、小沢氏の29.4%を大きくリードした。
 ただ、望ましい政権の枠組みでは民主党中心の政権への交代がよいと答えた人が43.8%で、自民党中心の政権継続の38.1%を上回った。
まあそんな感じだよね、と職場の話題になった。もともと秋葉原などでの麻生太郎人気は作られた感が強かったし、格差社会の頂点にいる人間をこのタイミングで首相にすること自体が判断ミスだったのかもしれない。

しかし小渕優子を少子化担当相で入閣させたぐらいじゃ人気は上がらんのかねえ、と言うと、ふだん政治の話には興味なさそうな女性の同僚ら(子持ちもいる)が「とんでもない。逆ですよ逆」とにわかにいきり立ったので驚いた。
「なんで? 君ら同世代じゃん」
「私は三歳違います。そんなことより、絶対子育ての苦労なんかしてなさそうじゃないですか彼女」
「きっとそう」
「家政婦でもシッターでも好きに頼めるもんね」
と職場の女性らには概して芳しくない評判だった。境遇が近いほどかえって反感を買うということらしい。意外。

「子供が熱出したから閣議遅れます、国会出れません、って言ってくれたら見直してもいい」とひとりが言い、女性らは深く頷く。仕事を休めないという重圧が幼い子を持つ母親に大きくのしかかっていることはわかっているつもりだったが、何というかほとんど呪いのようなものを感じる。強度を測り違えていた。地雷を踏んでしまって気まずく押し黙る男性陣。いや本当に男社会で申し訳ない。

ということで小渕大臣は家庭の事情を優先して国務を堂々と休むすべを子持ち世代の代表として実践すべきだと思った。女性票が弱い民主党もそのへんもっとわきまえた方がよろしい。
ラベル:少子化
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2008年09月22日

政権交代は起きないだろう

小沢一郎が民主党の代表に三選されたという。もう三選か、という印象が強い。思えば2006年の堀江メール問題(という見出しにWikipediaではなっているが、「ガセメール問題」の方が中身の馬鹿馬鹿しさには見合っていると思う)以来の代表在任なのでもう二年半近くになる。

先日変な夢を見た。街頭活動している小沢一郎の夢だ。出くわした自民党候補に笑顔でやあやあと手を差し伸べながら近寄る小沢の顔面を、その自民党候補(口の端を歪めていたかもしれないが委細不明)がやにわに取り出した拳銃で撃ち抜くのである。次の瞬間、場面はニュース映像になりフラッシュバックするかのように仰け反り倒れる小沢の姿が繰り返される。びっくりして目覚めた。
断っておくが、個人的にこのような願望を抱いたことは一度もない。政治的選好は自民よりも民主寄りであるとは思う(究極の選択じみてはいるが)。どのようなかたちにせよ次の総選挙では与野党が入れ替わり、官僚機構も含めてドラスティックな変化が起きてほしいと願っている。

だが、小沢一郎率いる民主党では総選挙で勝てないだろうな、という予感も強く感じる。おそらく有権者は小沢一郎自身にはそれほど魅力を感じてはいないだろうからだ。
参院選で勝ったのはあくまでも参院選だからであって、前回民主党に票を投じても政権選択選挙である衆院選で同じ投票行動を取るには躊躇する有権者は少なくない、と思う。岡田克也の例からも明らかなように、民主党代表が新鮮と受け止められる賞味期限は短い。ましてや小沢である。

だから自民が小沢を倒す夢を見たのか、というと少し違うような気もする。誰かの身の上に不幸が降りかかるのを願ってはいけないことは百も承知だが、それでも無投票で小沢三選を認めてしまう今の民主党の為体をみていると、総選挙直前に不慮の事態で代表が替わるような事態があったらどうなるだろう、とふと思ったりする。それが歪んだかたちで表れたのが先の夢だったのかもしれない。

たとえば、本当にたとえばだが、総選挙が公示されたその日の党首第一声の途中で、小沢一郎氏(失礼な想像なのでここから表記は丁寧になる)が心臓に不調を訴えて緊急入院し、民主党は大混乱に陥る。小沢氏は幸い命に別状はなかったが、もはや激務には耐えられないことが明らかになる。では誰が火中の栗を拾うのか。大方の予想を裏切ってここで俄に浮上したのが48歳、まだ当選三回(前回は比例区復活)ながら知名度と好感度では誰にも優る長妻昭氏であった。
米民主党で大統領に挑むバラク・オバマは47歳だ。制度疲労を起こしている日本国の建て直しには、経験の浅さはむしろプラスに作用するだろう。誰もがそう判断した結果、民主党は歴史的勝利を収め、敗れた自民党の総裁はカメラに向かって斜に構えて憎々しげに敗戦の弁を吐き捨てた。……というシナリオを夢想する。官僚にとっては悪夢だろうな。

というようなことでもなければ、党内バラバラ政策方向性不鮮明の民主党が今更ブームを起こすような事態は考えられないと思う。死んではいなくても「小沢さんの悲願を継ぐ」と弔い合戦ムードを盛り上げ、若い人材の未知の可能性に賭けるぐらいの冒険をしなくては、この国の保守体質の打破など夢のまた夢ではなかろうか。

正直、現状の民主党には政権交代を起こすほどの勢いはないと思う。よくて第一党、それも過半数にはほど遠く、公明が引き続き自民と連立政権を維持するという煮え切らない結末に終わりそうな気がしてならない。
と言いつつ自分は他党の若くて美人の女性候補に入れるか迷ったりしているわけだが(笑)、民主党に何か隠し球があることを期待しつつ予定調和の自民党総裁選の行方を気にするこの頃だったりする。
さてさて、選挙はいつになるのやら。
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2008年09月01日

うわー福田首相辞めたよー

テレビで見ていてびっくりして出先から書き込むテスト。何だこれは。

「勝手ばかり言う公明党に愛想つきたんじゃないの」
「減税やりたくなかったのか」
「内閣改造後放り出す安倍パターン」
「でも福田は肉食ってるから元気だよ」
とか周りの人間(飲酒中)はでたらめばかり言ってる。
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2008年07月09日

ネットより危機的な毎日夕刊

ITproの記事「毎日jp」が自社広告だらけに、ネット上に深いつめ跡残るを興味深く読んだ。
 毎日新聞社のニュースサイト「毎日.jp」で、先週末以降、広告スペースの大半が自社広告で埋め尽くされる事態が続いている。
 毎日新聞社は英文サイト「毎日デイリーニューズ」(Mainichi Daily News)上のコーナー「WaiWai」で、「日本の女子高生はファーストフードで性的狂乱状態」など低俗な記事を長年にわたって配信し、ネット上で批判の声が上がっていた。同社は6月23日、同コーナーを中止・削除し、監督責任者や担当者らを処分すると発表したが、25日の株主総会で、それまでの常務デジタルメディア担当が社長に、同デジタルメディア局長も取締役に昇格する人事を可決・承認(27日に役員報酬の一部返上を発表)。これがネット上の炎上に油を注ぐ格好となり、毎日新聞社のほか、毎日新聞および毎日jpに広告を載せている大口の広告主へも抗議、問い合わせが電話やメールで寄せられることとなった。
サイトに飛んでみると、なるほどページ上部の横長バナーもトップ記事横の大型四角バナーも全部自社広告である。おそらくサイト全体のページビューはこの騒ぎでかえって増えているだろうに、広告収入がなければ転送料ばかりが増大して踏んだり蹴ったりではなかろうか。

とはいえ、もともと日本のニュースサイトの広告収入など大した規模ではないはずだ。調べたわけではないが、本業の新聞の収入と比べるとおそらく二、三桁違うのではないか。
今回の「WaiWai」事件と関係あるかどうかはわからないが、毎日新聞については夕刊広告の方が相当深刻な状況ではなかろうか。職場で斜め読みしていて最近そんなふうに感じていた。

毎日新聞、とりわけ夕刊はそもそも紙面全体に対する記事比率が非常に高い(朝日や読売などはざっと紙面の半分ぐらいが広告という感じだが、毎日夕刊は広告の入っていないページも珍しくない)上に、「毎日旅行」の大きな広告がほぼ毎日、それも複数ページに入っていたりする。洒落ではない。
今日本では旅行が大ブームなので広告出したい放題、という話はまるで聞かないので、これはやはり子会社の広告で無理矢理空き場所を埋めているということではないか。

そう思いながら朝刊を読んでみると、今朝の紙面も何かいろいろ変だ。株式の出来高一覧のページで妙な空白があちこちにある。他紙ならば小型の広告で埋めたり、そもそもレイアウトをぎっしり詰めて余白を作らなかったりしているところだ。自社広告も多いが、ローカル中小企業の怪しげな出広(民間療法めいた健康食品とか)が目につく。広告の信頼性に対する審査(をする部署があるとして)はちゃんと機能しているのだろうか。

たとえ経営が苦しくとも、東京日日新聞以来の伝統を誇る日本の新聞界の老舗がそうそう簡単に傾くとは思えない。リベラルな論調にはそれなりにファンもいることだし、提携関係にある(んでしょ?)TBSの存在も大きい。行き詰まってもきっと誰かが救いの手を差し伸べるだろう。
だがネット世論だけでなく、もっと大きなものを毎日は敵に回してしまってはいないだろうか。それはたとえば、弱者を標榜する者に対する今の社会の冷たい視線であるとか、そういうものと無縁ではないような気がする。きのうきょう始まったことではないだろうが、「毎日」的価値観を白眼視する空気(嫌な言葉だが)が広く醸成されていることの現れが、広告の減少などで徐々に顕在化してきてはいないか。
「志ある報道姿勢」が空回りしていることに、果たして当事者は気づいているのかどうか。

一報道機関の存亡など大した問題ではない、とまでは言わないが、毎日の不祥事をきっかけに、新聞というメディア自体の存在意義にまで影響する事態が進行しているのではなかろうか。今回の問題はすべての新聞、ひいてはマスメディアのあり方に及ぶ大きな終わりの始まりなのかもしれない。
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2008年06月10日

野田昌宏さん死去

中途半端なSF者ゆえスペースオペラにはあまり縁がなかったが、作品数に比してこの人の存在感はずいぶん大きかったな、と改めて思う。日本SF界がサークル活動のような親和感を醸し出していた時代の中心人物だった。

スラッシュドット・ジャパン | 訃報:野田昌宏氏
野田昌宏 - Wikipedia

故人を偲んでリンクをたどるうち、野田氏らが興した日本テレワークが「発掘!あるある大事典II」の捏造事件絡みで、番組制作会社としては終わっていたことを知る。嗚呼。
日本テレワーク - Wikipedia
「ひらけ!ポンキッキ」のユニークさにも野田氏の個性は多分にかかわっていたことだろう。20世紀後半の文化を形作ったピースがひとつまたひとつと失われていくのを改めて感じる。

余談だが、筒井康隆の「メタモルフォセス群島」所収の傑作短篇「喪失の日」に出てくる馬鹿フレーズ「鉄の陰茎お許しを」の元ネタが、キャプテン・フューチャーシリーズの短篇「鉄の神経お許しを (Pardon My Iron Nerves)」だったことを、野田氏の翻訳リストを通じて初めて知る。読後四半世紀以上経っての新発見。
きっとSF作家クラブの蜜月期に星新一あたりが思いついたダジャレだったのだろう。
ラベル:野田昌宏 訃報 SF
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2008年06月04日

読売「編集手帳」が面白くなくなった理由

なんか読売ネタが続いているが、たまたま気づいたから書いているだけで他意はありません。

会社に届く新聞各紙の一面コラムを毎日読み比べるほどの暇はないのだが、最近読売新聞の「編集手帳」が生彩を欠いているように思える。というか印象に残りにくい。
鳴り物入りで実施した春の紙面リニューアルに伴う、コラム自体の字数の減少が少なからず響いているのは確かだろう。ブログコジーの独り言さんによると
3月31日から、朝日新聞と読売新聞の活字が大きくなった。読売の方は見ていないから、実感はないが、そういわれて、それ以前の活字と比較してみて、初めてわかる程度だ。でも、読みやすくなったような気はする。愛読している「天声人語」は大きく形態が変わって、ちょっと違和感があった。これまで1行11字で計58行だったものが、1行18文字で36行に変わり、全体の分量も6字増えたそうだ。
その一方で、読売の「編集手帳」は朝日と同じように活字を大きくしたのだが、こちらは「天声人語」とは異なり、77文字分短くなってしまったという。これは書き手にとっては、慣れるまで大変な試練となるだろうね。全体で600字程度から77字も減ってしまうのは、まさに青天の霹靂みたいなもんだ。
ということだ。確かに使える字数が一割以上減ってしまっては、中身を充実させるのは大変だろう。実際、論考が足りないまま結論を急いでいる印象を与えてしまっている回もいくつかあったと思う。

ただ、妙味が減ったのにはそれ以外の要因もあるのではないか、と今日気づいた。レイアウトだ。
朝日、日経、毎日、東京の一面コラムは鰻の寝床よろしく新聞紙面の右から左までずずずと横長に配置されているのに対し、産経と新しい読売のコラムは左下に四角く箱を作って掲載されている。もともとコラムとは「柱」であって、横文字新聞では縦配置なのが縦書き文化では横配置がデフォルトになっていたのではないかと思う。まあ由来はどうでもいいのだが、おそらく新聞コラムの妙味は横に長すぎて全文を一望できないところにあるのではないか、というのが今日の発見だ。

一面コラムにありがちなスタイルのひとつとして、一見無関係な話題から切り出して二段落目以降で時事的で関心の高いテーマに関連させ、冒頭と呼応するオチをつけて一本あがり、という形式がある。導入と本題が異質であるほど文章はアクロバティックになり、失敗すると目も当てられない醜態をさらすが、今春までの読売「編集手帳」はコラムニストの博覧強記でこのハードルを見事に越えていたと思う。
だが、冒頭と終結が一瞥できてしまうコンパクトな版組みになった今、文章の技巧を見せようとしても最初からオチが割れてしまっているのはいかにも厳しい。ミステリで言えば、最初から犯人がわかってしまっているようなものだ。

#産経新聞のコラムはあれはあれでいいというか、最初から新聞の指向性に準じた予定調和を期待して読むべきものなので、別に意外性を重んじない組み方でも違和感はないと思う。

ふつう人は文章の頭から一文字ずつ読むのではない。文字面をざっと見て印象的なキーワードがあれば、無意識のうちにそれを飛び石のように拾ってだいたいの文意を認識してしまう。途中にツイストを挟んだ文章ならなおのこと、見せ方の変化によって損なわれてしまった感興は少なくないのではないか、と想像する。

上で引用した「コジー」さん同様、私も「編集手帳」のファンだった(いや、過去形にしなくてもいいんですが)。紙面の改編によってせっかくの書き手の能力が生かされていないのは実にもったいない限りだ。新聞の権威が失墜し続ける昨今ではあるが、せめて一面コラムぐらいはよい日本語文章のお手本として機能し続けてほしいものだと思う。今更以前のレイアウトに戻すのは難しいのだろうか。関係者には字数の復元も含めてぜひ再検討をお願いしたい。
ラベル:読売新聞 コラム
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2008年05月18日

最大約1650℃!

太陽電池萌えなわたくしとしては非常に気になる記事。日経BPのTech-Onで読んだ「発電コスト5円/kWhが可能」,米ベンチャーが集光追尾型太陽電池を開発だ。
 ベンチャー企業の米Sunrgi,LLCは,集光追尾型の太陽電池モジュールを開発したことを明らかにした。モジュール変換効率が37.5%と高く,将来的には「5米セント/kWhのコストで発電できる」(同社)と主張する。量産は「12〜15カ月後に開始する計画」(同社)である。
すげえすげえ、こりゃぜひ導入せねば、これでおれもエコ野郎と思ったのも束の間。家に置いて使うにはいささかハードルが高すぎるようだ。太陽光をレンズで集光して発電効率を高めるという手法なのだが……
 ただし,レンズの焦点付近に太陽電池セルがないと機能しないため,モジュールが常に太陽の方角を向くよう太陽追尾システムの利用が必要不可欠である。変換効率は高いが,レンズや集光による発熱を放熱するヒート・シンク,および追尾装置などの重さや体積が大きいことが課題となっている。このため,日本の家屋の屋根に載せて使う用途には不向きとされている。
 Sunrgi社の太陽電池モジュールは,米Boeing社の子会社である米Spectrolab社が開発した人工衛星用太陽電池セルに,集光率1600倍のレンズを組み合わせたもの。集光率が高いことで放熱しない場合はセルの温度が最大で約1650℃になるものの,同社独自の放熱技術「COOLMOVE」で発熱問題に対処したという。
1650℃ってどれくらいの高温だよ、と思って検索したら結構いろいろ出る出る。
1650度 - Google 検索
理由はわからないがたぶん何かの目安の温度なんだろうな、と非理系は想像するほかない。ともあれ鉄が溶けるわけですね。わかりました。

電気は安く発電できたが屋根が抜けました太陽電池の放熱ユニットが故障して家が溶解しました、では洒落にならない。
日本の瓦屋根にはせいぜい太陽熱温水器がお似合いということか。でもそういえば最近あまり見かけないな。

追記:
「非電化工房」さんのサイトで関連記事発見。
太陽熱温水器が大量に捨てられている
そういえば菅原文太がコマーシャルやってた会社の訪問販売問題があったっけ、と思ってさらに調べてこんな記事も引っかかった。
リフォーム[情報サイト:おしえてリフォーム]お役立ちコラム|太陽熱温水器と太陽光発電
どん底からの復活!
復活は結構なことだが、もともと筋のよい熱源であるらしい太陽熱温水器という商品自体の評判を地に落とした朝日ソーラーの責任は実に重いな、と今更ながら思ったりした(他社や行政が顧みないのもいかんのだが)。精進していっぱい安く売ってほしいものである。
ラベル:Sunrgi 太陽電池
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2008年04月25日

あなたもできる人民裁判

MSN産経ニュースが【あなたの判決は?】歌織被告は無罪? 懲役何年? あなたはどう裁く…28日判決を前にアンケートという企画をやっているのに気づく。たぶん物議を醸すのも成功のうち、という乱暴な狙いであろうから、こうやって話題にすること自体相手の策にはまっているわけだが、やっぱり釈然としないので異議を唱えたい。
あなたはどう裁く−? 東京都渋谷区の外資系金融会社社員、三橋祐輔さん=当時(30)=の切断遺体が見つかった事件で、殺人と死体損壊・遺棄の罪に問われた妻、歌織被告(33)の判決公判が、今月28日に東京地裁で開かれます。懲役20年を求刑する検察と無罪・医療観察処分を求める弁護側が真っ向から対立する中、MSN産経ニュースではあなたの判決を募集します。
という趣旨だそうだが、用意されている選択肢が乱暴極まりない。
Q1 歌織被告は有罪ですか、無罪ですか。
Q2 無罪の場合、その理由を記述して下さい。
Q3 有罪の場合、実刑と猶予刑のどちらが妥当と考えますか。
Q4 猶予刑の場合、その理由を記述して下さい。
Q5 実刑の場合、どの程度の懲役刑が妥当と考えますか。
Q6 該当の刑を選んだ理由を記述して下さい。
Q7 年齢をお答えください
Q8 性別をお答えください
Q9 お住まいの都道府県をお答えください
Q10 職業をお答えください
Q11 今回のテーマについて、あなたの考え、意見を自由に書いてください。(200文字以内でお願いします。)
まず結論を選ばせて、しかる後に理由を詳述させるやり方は、「裁判」というもののあり方とはまったく反対であると思う。

まさかこの結果を根拠に「世論と裁判官の意識はこんなに乖離している」とかやるつもりではなかろうな。結果の公表は判決後の29日だそうだが、そもそも不特定多数を対象としたウェブアンケート自体、民意の縮図でも何でもないという大前提は理解されているのか。
皆さんが導き出した判決は、28日に宣告される判決と比較して、どのような傾向が現れるでしょうか。
とか書いているけど大丈夫なのか、と思いたくなる。それは比較の対象になり得ないだろ普通。
今回、ユーザーの皆さんを対象に実施する「歌織被告判決アンケート」では、皆さんにインターネット上での「疑似裁判員」になっていただき、あなたの判決とその理由を導き出してもらおうというものです。
事件に特別の関心を持つユーザーが掲示板かどこかに集まって「俺は死刑だと思う」「私は無罪に一票」などとやること自体はどうぞご勝手に、という感じだが、それで裁判員を気取るのは大変まずいのではないか、と直感的に思う。Q5の選択肢は「A 1〜5年 B 5〜10年 C 10〜15年 D 15〜20年 E その他(無期懲役や死刑)」から選ぶ方式だが、この刻みの意味を産経の編集部は真面目に考えて設定したのだろうか。もし「だいたいこの範囲で選んでもらえばいいんじゃない?」だったら、それは裁判を馬鹿にしている。

人が人を裁くことの重みがこの企画からはまったく感じられない。
現実の裁判員らは、公判を通じて吟味され採用された証拠の中での判断を求められるはずだ。産経はこの事件の裁判について詳細に報道してきたと標榜しているが、せめて公判の各記事すべてにチェックを入れたか認証した上で答えさせる仕組みにでもしなければ、「よくわかんないけど殺すのは生意気だから有罪」「あたしも男に殴られたことあるから情状酌量」程度の判断ばかりが集まりかねない。それは人気投票であり人民裁判であって日本の司法のあり方とは根本的に異なるものだ。

「罪無き者から石を投げよ」とまで言うつもりはない。だが、犯罪者とは言えひとりの人間の運命をこんなに軽くシミュレーションで扱っていいとは思えないのだ。その雰囲気が現実の裁判員制度に波及することを強く恐れる。

今回の光市母子殺人事件の差し戻し審判決を私は支持するが、一方でテレビを中心とする一連の情緒的報道がなかったら、弁護団の対応も含めてまた全然別の展開があり得たのではないか、との思いもまた拭い難い。裁判が社会の影響をまったく受けないことはあり得ないと思うが、メディアが憎悪を焚きつけ非難の大合唱をリードする中で冷静な判断を下すことはプロの裁判官であっても難しかろう。
産経が今回の企画の結果をどういうかたちで提示するかはわからないが、少なくとも「ネット世論の多数意見は懲役〓年でした」で終わらせていい話ではない。ただのブロガーが偉そうなことを言える立場ではないが、影響力の大きいニュースサイトを運営している関係者は、今一度自分たちのやろうとしていることの意味を見直してほしいと思う。
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2008年04月12日

不可視リレーの不可思議

そろそろやっている側も意味がわからなくなってきている感じがする。asahi.comの聖火リレー「コース非公開に」、中国が要請という記事から。
 マレーシアで21日、インドネシアで22日にそれぞれ予定されている北京五輪の聖火リレーについて、中国側がコースの非公表や短縮を両国の五輪委員会に求めていることが分かった。聖火リレーが抗議活動にさらされることを懸念したとみられ、両国とも要請を受け入れた。
 マレーシアの五輪委員会は当初、クアラルンプールの独立広場を出発点にした約20キロのコースと、国会議事堂など通過地点を公表していた。だが最近、中国大使館と中国五輪委から、コースの詳細や警備態勢などを公表しないよう要請されたという。マレーシア五輪委の担当者は「チベット問題が影響している」。中国大使館は「コースや警備態勢は協議中で、最終的なものは固まっていない」と話す。
 インドネシア五輪委はジャカルタの中国大使館を通じてコースの大幅短縮を求められた。ジャカルタ南部の競技場を起点に大通りを南北に縦断する計画だったが、競技場の周辺だけのコースにして一般客の進入も禁じるという。
相手先の国民に見せずに、誰に何をアピールしようというのだろう。「リレーがあった」という事実が事後報道されればそれでよしとするのか。
果たしてこれで実施したところで、聖火リレーが本当に行われたと言えるのだろうか。世の中にはアポロの月着陸という事実すら疑ってかかる人々がいるというのに。

もともと今度の夏季オリンピック自体が中華人民共和国の威信を世界に知らしめるのが目的である以上、中国当局にとっては前段の示威行動としての全世界規模聖火リレーは、どんなに抗議行動や妨害が予想されても決してやめるわけにはいかないのだろう。しかし一般観客抜きでのリレーをわざわざ異国まで行ってやるのはさすがに変だ。
おそらく下々のオリンピック関係官僚は(明らかにおかしいと思ってはいても)命じられた予定をこなす以外の選択肢は持ち合わせていないのだろう。胡錦濤主席の決断がなくては、もはやどうにもならない事態になってしまっているのではないか。

以下は余談。
少し前に批判的に触れた天木直人氏のブログエントリはここまでの動きを見越しての仄めかしだったのだろうか。その彼は4/11付のエントリチベット問題から国際政治を考えるで次のように書いている。
 目の前で繰り広げられているチベット騒動について軽々に論ずるつもりはない。騒動の背景にある情報が不明であるからだ。あまりにも多くの問題点が含まれているからだ。
 しかし、ダライラマが日本に立ち寄った時に話した言葉が本心であるならば、そして、ダライラマの存在が今回の騒動を起こしている人々に絶対的な影響力があるのなら、そこから一つの議論が出来る。
 すなわち、ダライラマは北京五輪に反対するのではないと言った。中国は五輪の主催国となる資格があるとまで言った。
 そして、チベットは中国からの独立を求めているのではない、チベットの自治権を求めるのだ、そのための言論の自由を求めているのだ、それを抑圧する中国政府の人権侵害に抗議するのだ、と言ったのだ。
 そうであれば、国際世論は、聖火リレーを妨害したり、北京五輪をボイコットするなという騒ぎに加担するのでなく、国際政治を支配する欧米諸国政府と国連に対し、「民族自決」、「人権弾圧の停止」、という国際政治上の最大問題を、この際一気に解決するよう求めるべきだ。
 中国政府も、かたくなに話し合いを拒否する愚をおかすのではなく、世界の目の前で、世界の主要国のすべてが抱えている民族自決問題を堂々と議論しようではないか、そして、この際皆で「公平で正義ある解決」を目指そうではないか、と開き直るべきだ。それを世界に向けて公言すべきだ。
 そのとたんにこの問題の流れは一気に変わるだろう。ボールは主要国や国連のコートに投げ返されることになる。パンドラの箱が開かれる。
 パレスチナ問題も、ミャンマー問題も、コソボ問題も、ダルフール問題も、北方領土問題も、沖縄問題も、拉致問題も、すべて同時に論じられ、同時に解決されることが求められる。
 もしひょうたんから駒が出て、そのような動きが少しでも始まるならば、それは革命的なことだ。今回のチベット騒動にも意義があった事になる。国際政治は最後はそこに行き着かざるを得ないのだ。
たとえ中国が今回の事態をきっかけに腹を決めて動いたとしても、ご本人も「ひょうたんから駒」と書いているとおり、果たして世界の民族問題すべてが解決に向けて動き出すかどうかは大いに疑問だ。だが、何と魅力的な夢想であることよ。天木氏は政治家になるにはあまりにもロマンチストに過ぎるのかもしれない。
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2008年03月28日

福田首相を支持する

昨日の福田首相緊急記者会見をテレビで観て、柄にもなく心が騒いだ。
もともと私は与党支持者ではないが、こと今回の件に限っては福田首相のスタンスを応援したい。自民党守旧派に抗って筋を通そうとした気概を買う。以下は福田首相が09年度の道路特定財源・一般財源化を提案、民主幹部は受け入れに難色 | Reutersの冒頭を引用。
 [東京 27日 ロイター] 福田康夫首相は27日記者会見を開き、道路関連法案・税制の取り扱いについて、道路特定財源制度を2008年の税制抜本改正時に廃止し、09年度からの一般財源化を図るともに、地方財政に悪影響を及ぼさない措置を講じるとする政府提案を発表した。08年度については国民生活の混乱に配慮して暫定税率を維持することが現実的であるため、野党に税率維持への理解を求めた。一般財源化した後の暫定税率分の使い方については、与野党協議会を設置してその使い方を検討したいとし、野党との党首会談も呼びかけた。これに対して民主党では、一般財源化の表明自体は評価しながらも、暫定税率の取り扱いがあいまいで、同党の主張と相いれないとの見解を示し、政府提案の受け入れに難色を示した。
道路特定財源の一般財源化は、おそらくなんだかんだ言って自由に使わせないための縛りを加えるよう自民党内道路族による巻き返しがあるだろうから、そう簡単には実現しないと見る。暫定税率の問題は税制全体の改革の中でとらえるべきであり、暫定税率をかけてさらに消費税も取られるような現行制度のでたらめぶりが維持されるのではやってられない。いずれもお手並み拝見というところだろう。

ただ、これまで党内有力者や官僚らの言いなりとしか思えなかった政治家福田康夫が、初めて自分の言葉で語ったように見えた会見の模様に、私は少なからず心を動かされた。どこか悲壮感すら漂っていた提案に、掛け値のない誠意を感じた。騙されやすい野郎だと笑われてもいい。
禄な計画もないまま道路造りに無条件で多額の公費が投入され、地域の業者や官僚がそれに群がる構図のおかしさは、心ある政治家ならば当然気づいていたはずだ。選挙のために見て見ぬふりをしていた政治家らもきっと良心の呵責を覚えていたに違いない。政権与党である自民党のトップが、田中角栄以降の日本政治の常道を覆そうと自分で声を挙げたことの歴史的意義は大きい。

真っ当な言葉による政治の実行が初めて実現されそうな予感がする。春の儚い夢でないことを祈る。もちろん言葉にした内容が実行に移されなければ元も子もないが、期待が大きすぎることはもとより承知だ。
福田首相が党内の反対派に潰されないことを心から願う。まずは今週末に行われるであろう各種世論調査の数字に注目したい。
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2008年03月26日

報道の可視化

私は基本的に取り調べの可視化には賛成だ。被疑者に無理やり「自白」させたりするやり方がいかに多くの冤罪を生んできたかを思うと喫緊の課題と言っていいと思う。
だが、その上での話になるが、事件を報道するマスコミの側の取材プロセスは果たしてどこまで「可視化」に耐えられるのだろうか、とも思う。それができずに捜査当局にばかり高いハードル(もちろん越えねばならないハードルだが)を課すのはあまりにも無責任にすぎるのではなかろうか。

既に事件現場などでのマスコミの無法な取材ぶりを録音・録画して後悔する動きは一部で見られるようになっている。テレビにしても新聞雑誌にしても、取材のやりとりの全貌が公開されているわけではなく取捨選択し編集された素材のみをもって番組や記事を構成しているわけだが、そこに恣意の入り込む余地は多分にある。新聞のコメントが捻じ曲げられているケースはざらだろうし、テレビにしても質問部分を省いて答えだけを放映された結果、本意と異なるニュアンスが伝わってしまうことは往々にしてあるだろう。

事件報道と言っても多くは警察や検察などの当局側がニュースソースだ。当局側の公式発表と捜査幹部からの捜査側にとって都合のいいリークを押し頂いてもっともらしくスクープとして報じる、現在では一般的な報道スタイルが、今後も続けられていいものかどうか疑問に思う。「警察がこう言っているのだから」という拠り所のみで動機や犯罪事実の断片を既定事実のように報道するやり方は、裁判員の心証形成に大きく影響する。松本サリン事件が典型だが、もしその内容が偏ったり間違っていた場合、報道の責任はもっと厳しく責められるべきではないか。

マスコミは公権力ではないから、本来取材対応を強制する力はない。タテマエ上任意の行為である以上、法律で規制するのにはなじまないとは思う。だが、だからこそメディアは自分をより厳しく律するべきではなかろうか。
取材プロセスをすべて第三者の目で記録することは難しい(突発的な事件現場であればなおさらだ)が、少なくとも「取材でのどのような質問に対して誰がいつどこでどう答えたか」については対象者からの要求があれば開示する用意が常にできていなければいけないのではないか、と思う。
asahi.com:最高検、取調べ全過程の録音・録画は拒否 日弁連反発 - 社会
 最高検は21日、裁判員制度での迅速な審理を目的とした取り調べの録音・録画を4月から全国の地検に拡大する際に「撮影は一部にとどめ、全過程では行わない」との方針を表明した。捜査への影響から全過程の「可視化」に反対する意見が現場の検事に多いことを踏まえた判断。来年始まる実際の裁判員制度にも同様の方針で臨む意向だ。全面可視化を求める日本弁護士連合会はこの方針を批判し、「個々の事件を担当する弁護士が問題点を法廷で明らかにしていく」としている。
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2008年03月17日

天木直人の残念な発言

元外交官で政治家を目指している(らしい)天木直人氏のブログをたまに愛読している。「たまに」と「愛読」は両立するのだ。
リベラルの立場からのハイテンションな発言は、同じ志向性の斎藤貴男同様「それちょっと言い過ぎやん」などとツッコミを入れながら読むのが楽しい。内政担当の斎藤に外交担当の天木、という感じか。まあ無責任なファンというところです。

無責任なファンがまじめな言論に口出しをするのはおこがましいが、チベット自治区での中国政府に対する抗議行動を巡る天木氏の発言は、日ごろのファンゆえ残念に感じた。3月16日付で掲載された日本が世界に誇れるもの、それは「平和国家、日本である」と題されたエントリ(しかし内容はともかく、この表題では読む人を思いっきり選ぶと思うがどうか)である。
 連日チベットにおける反中国暴動のニュースが大きく流されている。私はその裏には、中国を牽制する周到に計算された謀略があると感じているが、それについてはここでは触れない。
 中国にはそのような謀略につけ込まれる隙があるのだ。もし中国が反政府の動きを軍事力で押さえつけようとすれば、中国は国際非難の的になる。北京五輪にも影響が出るに違いない。
 イスラエルがどのような暴虐をガザで働いていても、このような報道がなされる事は決してない。国際的批判がイスラエルに向けられることはない。だからと言って、中国が軍事力で人民を押しつぶす事を認めるわけにはいかない。
一応チベットでの中国の動きを批判してはいるのだが、どこかよそよそしい。根拠を示さず「周到に計算された謀略」の存在を仄めかすだけでは某アルファブロガーのお得意メソッドと何ら変わりない。そして引用二段落目以降は「謀略」の存在を前提に話を進めている。

天木氏の外泊な、って外で泊まってどうする、該博な外交問題に対する知識には大いに敬意を抱いている。海外のニュースサイトの引用だけでもっともらしいことを書いて悦に入っている半可通と違って、長年外交の現場を体験したことに基づく知見はもっと注目されていいと常々思っている。
だから、問題があるのならば情報源を特定できない範囲でいいから、目下の状況で中国政府に対するどのような謀略があってどういう思惑で今回の騒乱を企てたというのか、ぜひ解説してほしいと思った。平和憲法の理念に殉じる天木氏ならではの客観公平な視点に大いに期待したい。

追記:
その後もチベット問題に対するいわゆる「リベラル」論客の温度の低さはあまり変わっていないように思えて歯がゆい。いかなる理由があろうとも暴力を肯定するつもりは毛頭ないが、彼我の力の差を思うと「喧嘩両成敗」とみなすことには決して首肯できない。
五輪開催などで世界に対して無理を重ねたあげくソ連が崩壊したように、中国にもまたドラスティックな変化が起きる日は案外遠くないのではないか、と思う。
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2008年03月16日

米軍による性暴力事件処罰件数⇒382/2688

こういうものなのか?と素朴な疑問を感じた。時事ドットコム:米軍の性暴力事件、2700件=6割がレイプ−国防総省報告書より。
 米国防総省は14日、2006年10月から07年9月までの1年間で、米軍兵士によるレイプなど性暴力事件が2688件に上ったとの報告書をまとめ、議会に提出した。米軍当局は将兵の性暴力防止対策を強化しているが、発生件数はほぼ前年並みだった。
 国防総省は性暴力事件の扱いについて、プライバシーに配慮して被害者の身元を所属司令部にも報告しない「匿名事案」と「非匿名事案」の2つに分類。非匿名事案は2085件に上り、そのうち6割の1259件がレイプ事件だった。その被害者は米兵が868人、米兵以外の被害者は391人となっている。
 また、性暴力事件全体の加害者のうち、181人が軍法会議に掛けられたほか、201人が司法手続きを伴わない軍紀による罰則を科せられるなどした。
これは世界に展開している米軍全体の数値なのだろうか。多いのか少ないのかはにわかに判断しかねる。
米兵によるレイプ事件の最大の被害者は米兵ということになる。米軍に女性がどれだけいるかは知らないが、一般社会における被害率より高くはないのだろうか。男×男事案も相当あるんだろうけど。
それにしても処分件数の少なさはどういうことなのか理解に苦しむ。382人以外も一般の司法手続きで処罰されているのだろうとは思うが(地位協定による壁は他国ではないのだろうか)、やはり軍隊において強姦事件などは特段重く罰するべき重罪とはみなされていないのか。

所詮統計は統計であって一定の条件の下で集められた数字に過ぎない。元の資料を読み込んだらいろいろわかるのだろうが、なんだか釈然としない記事ではあった。
ラベル:性犯罪 米軍
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2008年03月11日

広川太一郎さん逝く

また偉大な才能がひとり世を去った。
様々な俳優に声を当てた方ではあるのだが、やはりモンティ・パイソンのエリック・アイドルが最大のはまり役であったと思う。

スラッシュドット・ジャパン | 訃報:声優の広川太一郎氏が死去
スポニチの記事によれば、宇宙戦艦ヤマトの古代守や謎の円盤UFOのストレイカー司令などの声で知られる声優の広川太一郎氏が3月3日、癌のため都内の病院で死去しました。68歳。渋い二枚目から軽妙な「広川節」まで幅広い役を演じられた氏の逝去は本当に残念でなりません。
「空飛ぶモンティ・パイソン」“日本語吹替復活”DVD BOXが発売され、なぜか日本版が出ていなかった「ライフ・オブ・ブライアン」の今春発売も決まっていた。これらのリバイバルを通じて声優広川の不滅の妙技に新たに触れる人も多かったろう。まだ早い死が残念としか言いようがない。

こんなサイトを作っておられる方もいた。

映画道〜広川太一郎風フィルタ「変換しちゃったりして」

web-conte.com | Red | 広川太一郎データベース

そしてこんなキーワードで検索して、同好の士の泣き笑いを思ったりする。

広川太一郎 ちょんちょん nudge - Google 検索

きっと天国でも猛烈な饒舌で神様を困らせているのではなかろうか。
Say no more!
posted by NA at 19:02| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

山下勇三さん死去

聞き覚えのある名前だな、と思ってしばし考えた。時事ドットコムの記事から。
2008/02/04-13:36 山下勇三氏死去(グラフィックデザイナー)
 山下 勇三氏(やました・ゆうぞう=グラフィックデザイナー)1月31日午後5時28分、上部消化管出血のため東京都目黒区の病院で死去、71歳。広島市出身。葬儀は近親者のみで済ませた。後日お別れの会を行う。
 絵本の挿絵のほか、「キユーピー」のパッケージなどを手掛けた。
実際の作品例は山下勇三 - Tokyo Illustrators Society -で見られる。

少しして思い出した。確かな記憶ではないが、小さい頃に朝日新聞で連載していた井上ひさしの「偽原始人」で挿絵を描いておられた方ではなかったか。同名異人の可能性もあるが。
山下勇三 偽原始人 - Google 検索

「偽原始人」はいろいろな意味で印象に残る小説だった。そもそも新聞でテレビ欄と運動面と四コマ漫画以外のコンテンツを読んだのはあれが初めてだったような気がする。主人公が小学生だったこと、テーマが親や社会への反抗だったこと、主人公らが作った架空の人物「真坂時太郎」のネーミングが子供心にハマったこと。そして毎回のイラストがとてもユニークで楽しかったこと。
正直当時の私にはまだ難しい話だった(ラストは悲劇的だったな)が、それでも子供たちの活躍と活気溢れる挿画に会いたくて毎日(朝刊だったか夕刊だったか覚えていない)新聞を楽しみにしていたものだった。文字に積極的に親しむきっかけを作ってくれたのがこの作品だった。

確認できてはいないけど、その絵を描かれた山下さんが亡くなったのだったらとても残念でならない。文章を読む生活の入口に案内してくれた方だったから。

本好きならば誰も「最初の一冊」に出会った瞬間があるはずだ。私の場合は一冊にまとまったかたちではなかったが、この作品が自覚的な読書生活のはじまりに位置すると思う。

ということを短い訃報をきっかけに思い出した。
山下勇三さんのご冥福をお祈りしたい。
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