2010年12月10日

人は物を介して繋がる

だいぶ遅れてしまったが、ネットで評判になっている小学一年生の作文を読んだ。

asahi.com(朝日新聞社):お父さんのおべんとうばこ 心震える片山君の作文 - 教育
http://www.asahi.com/edu/kosodate/news/TKY201011300226.html

「泣ける」「泣いている」「泣いた」という風評を先に見てしまったので、すれっからしとしてはかなり斜めからの視線で読み始めたのだが、でも本当だった。ちくしょう、いい話じゃないか。

小学生に泣かされているだけではくやしいので、なぜこの作文がこれほどまでに感動的なのか理由を考えた。(未完)
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2009年08月15日

42字と等価の8語

overflow.jpg先日大阪のとあるホテル(画像のEXIFを見るとだいたいどのへんだかわかる。困った世の中である)に泊まったとき、浴室に貼ってあった注意書きが目に留まった。しばらく目から離れなかった。

最初は自分でも何が気になるのかわからなかったのだが、やがて気づいた。漢字平仮名交じりの42文字で綴られた日本語の内容が、英語ではわずか単語8個で伝わってしまうことが意外だったのだ。最初の「CAUTION」を含めても9語。8語だけでも十分で、「cause」の一語で警告の意は余すことなく表現されている。いや、警告という趣旨からすれば英語の方が遙かに優れているとも言える。

もちろん逐語訳ではない。「湯水」と「water」は違うといえば違うかもしれない。「浴槽」に該当する言葉は英文では省かれているし、日本語の方は丁寧表現の分だけまどろっこしくなっているのは確かだ。
しかし彼我の効率の差はそれだけでは埋められない。この英文の無駄のなさに、私はほとんど感動を覚えたと言ってもいい。文字数をカウントしても英語の方が短いのだ。
とりわけ「水を出したまま〜放置」のニュアンスを余すことなく伝える「Running」、「浴槽に〜あふれる〜」まで射程範囲広くカバーする「overflow」の2語には参った。いや本当に「やられた」と思った。何を勝手にやられているんだか自分でもわからないが。

大事なメッセージをことさら言葉を費やして伝えるか、大事なことだから短く切り詰めて伝えるか。話を大袈裟にして恐縮だが、これはもう文化の違いが今俺の立っている浴室に断層として露呈しているのではあるまいか、と思えるぐらいショッキングな出来事だった。日頃英語について碌に考えていないからなのだろうけど。
語学学習とは畢竟意思を伝えるスタイルを学ぶことなのだ、と改めて思った次第。
ラベル:日本語 英語
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2009年05月20日

NHK教育に提案

新聞の番組表をぼんやり眺めていて
「NHK教育で『からだは正直』って番組があったらいいのになあ」
と思った。

「からだにきく」でもいいかもしれない。
次回の番組改変時(春秋だけだろうけど)にぜひご検討いただきたいものである。
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2009年02月13日

村上春樹風にかんぽの宿について語るスレ

久々に爆笑。元ネタはこちらの自動生成スクリプト。突撃隊がいい味出してる。
村上春樹風にかんぽの宿について語るスレ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 07:47
完璧なかんぽの宿などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 08:32
六月にデートした女の子とはまるで話があわなかった。
僕が南極について話している時、彼女はかんぽの宿のことを考えていた。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 10:02
かんぽの宿の目的は自己表現にあるのではなく、自己変革にある。
エゴの拡大にではなく、縮小にある。分析にではなく、包括にある。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 17:25
「ね、ここにいる人たちがみんなマスターベーションしているわけ? シコシコッって?」と緑は寮の建物を見上げながら言った。
「たぶんね」
「男の人ってかんぽの宿のこと考えながらあれやるわけ?」
「まあそうだろうね」と僕は言った。「株式相場とか動詞の活用とかスエズ運河のことを考えながらマスターベーションする男はまあいないだろうね。まあだいたいはかんぽの宿のことを考えながらやっているんじゃないかな」
「スエズ運河?」
「たとえば、だよ」

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:54
「かんぽの宿?」と僕は聞いた。
「知らなかったの?」
「いや、知らなかった」
「馬鹿みたい。見ればわかるじゃない」とユキは言った。
「彼にその趣味があるかは知らないけど、あれはとにかくかんぽの宿よ。完璧に。二〇〇パーセント」

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/03 20:56
僕が三番目に寝た女の子は、僕のペニスのことを「あなたのかんぽの宿」と呼んだ。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 00:04
そして今日でもなお、日本人のかんぽの宿に対する意識はおそろしく低い。
要するに、歴史的に見てかんぽの宿が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかったんだ。
かんぽの宿は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それがかんぽの宿だ。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/04 10:13
かんぽの宿は盲のいるかみたいにそっとやってきた。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/07 01:11
「それはそれ、これはこれ」である。
冷たいようだけど、地震は地震、野球は野球である。
ボートはボート、ファックはファック、かんぽの宿はかんぽの宿である。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/12 04:45
「どうせかんぽの宿の話だろう」とためしに僕は言ってみた。
言うべきではなかったのだ。受話器が氷河のように冷たくなった。
「なぜ知ってるんだ?」と相棒が言った。
とにかく、そのようにしてかんぽの宿をめぐる冒険が始まった。

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/13 18:44
「君の着るものは何でも好きだし、君のやることも言うことも歩き方も酔っ払い方も、なんでも好きだよ」
「本当にこのままでいいの?」
「どう変えればいいかわからないから、そのままでいいよ」
「どれくらい私のこと好き?」と緑が訊いた。
「世界中のかんぽの宿がみんな溶けて、バターになってしまうくらい好きだ」と僕は答えた。
「ふうん」と緑は少し満足したように言った。「もう一度抱いてくれる?」

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/08/19 20:23
僕はなんだか自分がかんぽの宿にでもなってしまったような気がしたものだった。
誰も僕を責めるわけではないし、誰も僕を憎んでいるわけではない。
それでもみんなは僕を避け、どこかで偶然顔をあわせてももっともらしい理由を見つけてはすぐに姿を消すようになった。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/02 08:02
「僕はね、ち、ち、かんぽの宿の勉強してるんだよ」と最初に会ったとき、彼は僕にそう言った。
「かんぽの宿が好きなの?」と僕は訊いてみた。
「うん、大学を出たら国土地理院に入ってさ、ち、ち、かんぽの宿を作るんだ」

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/10 21:12
かんぽの宿には優れた点が二つある。
まずセックス・シーンの無いこと、それから一人も人が死なないことだ。
放って置いても人は死ぬし、女と寝る。そういうものだ。

15:名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/15 19:16
他人とうまくやっていくというのはむずかしい。
かんぽの宿か何かになって一生寝転んで暮らせたらどんなに素敵だろうと時々考える。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/22 02:21
「ずっと昔からかんぽの宿はあったの?」
 僕は肯いた。
「うん、昔からあった。子供の頃から。
 僕はそのことをずっと感じつづけていたよ。そこには何かがあるんだって。
 でもそれがかんぽの宿というきちんとした形になったのは、それほど前のことじゃない。
 かんぽの宿は少しずつ形を定めて、その住んでいる世界の形を定めてきたんだ。
 僕が年をとるにつれてね。何故だろう? 僕にもわからない。
 たぶんそうする必要があったからだろうね」

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/26 08:57
その夜、フリオ・イグレシアスは一二六回も『ビギン・ザ・ビギン』を唄った。
私もフリオ・イグレシアスは嫌いなほうだが、幸いなことにかんぽの宿ほどではない。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 07:44
「それから君のフェラチオすごかったよ」
直子は少し赤くなって、にっこり微笑んだ。
「かんぽの宿もそう言ってたわ」
「僕とかんぽの宿とは意見とか趣味とかがよくあうんだ」
と僕は言って、そして笑った。
彼女は少しずつかんぽの宿の話ができるようになっていた。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:05/02/03 19:53
泣いたのは本当に久し振りだった。
でもね、いいかい、君に同情して泣いたわけじゃないんだ。
僕の言いたいのはこういうことなんだ。一度しか言わないからよく聞いておいてくれよ。


 僕は・かんぽの宿が・好きだ。


あと10年も経って、この番組や僕のかけたレコードや、
そして僕のことを覚えていてくれたら、僕のいま言ったことも思い出してくれ。
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2009年02月04日

オンライン執筆ライブ

会社からたまにかかってくるどうでもいい問い合わせ電話を受ける以外、何もすることもなく寝ているとくだらないアイデアばかり湧いてくる。

文学とネットサービスのコラボレーション企画はこれまでにも結構いろいろ試みられていると思う。インターネット普及以前にも筒井康隆の離れ業的な「朝のガスパール」があったし、今は亡きジャストネットで「ハイパーテキスト小説」をうたった井上夢人の「99人の最終電車」(現在のサイトは新潮社)という怪作も印象深い。作品の一部をネットで発表するのを最初に始めたのはスティーヴン・キングだったか。作家の有料メルマガや電子書籍で直接収益を上げるモデルもあるようだ(どれだけペイしているかは知らない)。
しかし文字だけのテキストというのは簡単にコピーできてしまうので、ネット上で作品を発表して生計を立てるのは容易ではなかろう。

携帯小説からいくつかベストセラーが生まれている。内容についてはコメントしないが、基本的に作者=主人公、もしくは極めて近しい存在として、親しい相手に打ち明け話をするかのように語るスタイルが受け入れられたのではないか、と思う。物語への参加意識を読む側が持っている。

ならば。創作のプロセス自体を公表して、リアルタイムに読者がコメントできる仕組みを導入するのはどうだろうか。画面を二分割して、片側は作家が現在文章を書いているエディタだかワープロだかのスクリーンを中継し、もう半分は読者と作家・編集者のオンライントークのログを流すのだ。「そろそろ主人公出てきたらいいなー」「まあ見ててください」みたいな気楽なおしゃべりを期待。ニコ動みたいなもんですか。
どうやって商売にするかだが、過去ログを読んだりコメントをしたければ有料会員になるというモデルが有望か。何だか音楽業界に似てますが。CDが売れない代わりにライブで儲けようという感じ。コンサート会場に警備員が必要なように、荒らし発言をする観客を排除する仕組みも必要そうだな。

一行書いてまた消して、みたいなプロセスを見ていて面白いかどうか、執筆時間を定めたライブが可能か、長時間つきあってくれるほどのファンがどれだけいるか、そもそも他人から批判されることを嫌うであろう作家がこのような衆人環視の下で文章をものすることができるのかなどなど、実現まではいろいろハードルがありそうだが、神経が太くて新しもの好きの作家はぜひサイトをつくって挑戦してほしいものだと思った。
私も病気で寝ていてやることのない日には見に行きます。

追記:
とか書いていたら、さすが舞城王太郎。こんな試みが六本木の新国立でちょうど行われていたらしい。
審査委員会推薦作品 : アート部門 | 平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭
小説家・舞城王太郎が新作小説『舞城小説粉吹雪』を執筆した際のタイピングのプロセスをソフトウェアに記憶させ、今度は無人のキーボードが執筆時のキーボードの動きを再現する。無人でカタカタと動くキーボードは、執筆時の舞城氏の姿を想像させる。
インタラクティブな仕掛けではないけど、小説の生成過程を可視化するという発想は同じ。すべてのアイデアは誰かが先に思いついているものだなあ。
早く治して六本木に見に行こうっと。
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2009年01月11日

天皇はそろそろ退位してもいいんでないかと

なんとなく思ったので書いてみる。ちなみに私の天皇制に対するスタンスは以前も書いたけどぬるく支持するというところ。復古主義ではなく、戦後の象徴天皇の無難なところはあってもいいんじゃないの、というあたり。

きっかけは成人式である。なんと今年は平成元年生まれのガキどもが成人する年なのだ。当たり前だが、もう続々と平成生まれ成人が日を追うごとに増えているのである。やばい。何だかよくわからんがすごく焦りを感じる。
それはさておき、2009年にして平成21年という微妙なずれが前々から気になってはいた。故星新一が以前「2001年に改元して『日扇』『弐泉』にすればいいのに」とエッセイに書いていたが、まったくその通りで公文書では元号が原則というくだらない現状のため、様々なところで元号→西暦換算の必要が発生し余計な手間を取らされているのが現状なのだ。仕事で元号換算を間違えて大損ぶっこきそうになった私が言っているんだから間違いない。
ということで、10年ほどずれてはしまったけど2011年から新元号に移行すると同時に、この際天皇も退位を予告するのがいいのではないか、と思ったのだった。何だったら新元号は11年から初めてもよろしい。なんだ天皇退位はついでかよ、と怒ってはいけない。

所詮元号は最初の方はフィクションだし、もともと一天皇一元号でなかった時代も相当長かったわけで、よく覚えてはいないが「ここいらで心機一転やり直しましょう」という改元もかなりあったはずだ。若い世代に仕事を任せた方が後継者も伸びるし前任者が達者であった方がアドバイスもできて何かと都合がよかろう。問題は公務をないがしろにしていると非難されがちな後任者の妻であるが、ファーストレディーとなれば権勢振るい放題なので今までほどストレスは溜まらないだろうし、おのずと自覚も出てくるであろう。まあ厭だったらこの際離婚という選択肢もないわけではない。心機一転。

で、大事なことだけど、新天皇即位しかも前任者は死んでませんという状況は非常にめでたいことなので、とりあえず内需の拡大には極めて役立つと思うのだ。いつ死ぬかわからないのではおおっぴらに準備のしようがない。しかし再来年の一月というふうに交替の時期が規定されていれば、スケジュールも組みやすいしそれに向けての需要喚起策もいろいろと講じることができよう。
景気ごときのために天皇を替えていいのか、という批判はあるだろうが、逆に未曾有の混乱に陥った世界経済の中で日本の景気を浮揚させるために役立つならば天皇家としても本望ではないか、と思うのだがどうか。わしらミーハーであってもとりあえず慶祝ムードに水を差すことはしないだろうし、ましてや日頃から天皇家をこよなく愛しておられる方々におかれては当然椀飯振る舞いで景気よく消費活動を繰り広げていただけることであろう。平和な世代交代こそわが日本が世界に誇れることではなかろうか。

と書いているうちに我ながら名案ではないか、と思えてきたのだが、実際天皇が生きているうちに穏やかに退位し禅譲することにどんなデメリットがあるのだろう。時の政府と政治的案件で対立して抗議の退位、ということは確かに政府の側には問題かもしれないが、実際太平洋戦争時に昭和天皇にそれができたら本土空襲の激化や原爆投下前に終戦を迎えられた可能性もあったわけで、天皇退位について規定していない現行の皇室典範の方がおかしい。まあ書いてないだけで勝手にやめられるのかもしれませんが、この辺は誰か知っていたら教えてください。

今の天皇は長い下積み生活を経て即位したときは既にかなりの年齢、その後も相当なハードワークを強いられているらしい。お気の毒としか言いようがない。体の自由が効くうちに一線を退いて、愛妻と公務抜きの旅行でも楽しんでいただいた方が遙かに幸せであろうに。
ラベル:天皇
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2008年11月02日

敵の弱点を衝くということ

政治ネタは好きではあるが実際は国政とも地方政治とも縁もゆかりもない門外漢、偉そうなことを書いても政治運動に参加したことはこれっぽっちもなく所詮床屋政断の域を一ミリも出ない私だが、次の総選挙で民主党が勝つための方策は知っている。公明党を徹底的に叩きのめすことだ。要するに2005年の小泉郵政解散と同工異曲だが。

小選挙区制というのは面白いもので、相手方の議席を奪還すればそれで差し引き+2になる。至極当たり前のことだが、参院選で一人区対策に腐心した小沢一郎(敬称略)はそのへんのことは百も承知のはずだ。
そして敵を攻める場合、最も兵力の強い所に真っ正面から挑むのは愚の骨頂。戦術の要諦は弱点を見極め急所を衝くことにある。
与党の弱点とは、言うまでもなく公明の選挙区議席だ。彼らが選挙の時期について異常なほど神経質になるのは、自分らのウィークポイントをよくわきまえているからに違いない。

本来自民党支持者で、選挙区で積極的に公明党に投票している有権者は決して多くないだろう。調整の結果自民党候補が出ないことになってしまったので渋々入れているのが大半ではないか。となれば、小沢一郎のみならず民主党の看板、具体的には鳩・菅・岡をはじめ個人的に贔屓の長妻や馬淵澄夫(最近ちょっと影が薄いようにも思うのでがんばってほしい)といった全国区で票が取れる面子を公明現職のいる選挙区に落下傘投入するのが、与野党逆転を確実にする近道と言えよう。所詮民主も自民も実質はさほど変わらないのだから、得体の知れない公明議員に入れるぐらいならこの際民主へ投票してしまえ、という保守層は決して少なくないとみた。

政治ショーと化した近年の選挙では、有権者は宥和よりもわかりやすい対決を求めている。実績も何もないぽっと出の候補が「姫の虎退治」という俗受けするキャッチフレーズだけで自民党の大物を蹴散らした参院選の記憶は未だに新しい。
重鎮らのチャレンジで総選挙の公示日にサプライズを起こせば、おそらく当該議員らの元々の地元の選挙区でも「じゃあ留守を護る代替候補にも投票してやろう」と好感を持って受け入れられよう。ひとりの議員の活躍で二議席分取れる確率はかなり高いとみた。少なくとも公明党の議員が増えることだけは阻止できるはずだ。これは高い当選率を誇ってきたあの政党にとってはかなりの痛手になるだろう。

……という素人考えはきっと民主党選対ではとうの昔に「ばかばかしい」と却下されているに違いない。選挙後、公明党を取り込んだ連立政権を樹立して安定多数を目指すプランなどもあるのだろうし。だが、それは安全なようでいて有権者を視野に入れていない愚策だと思う。たとえ実現しても、程なく空中分解した細川連立政権の二の舞がオチであろう。
繰り返すが、国民が選挙に求めているのは2005年衆院選のようにわかりやすいアジェンダセッティングであり明確な悪役なのだ。今考えても国政の最重要事項でも何でもなかった郵政民営化問題を、あたかも改革の主役であるかのように位置付けて一点突破で選挙を戦い抜き見事博打に勝った小泉純一郎の胆力(だけ)は賞賛されて然るべきだ。今回の衆院選(いつやるの?)が真の意味での政権選択選挙と位置づけられていることは承知だが、もうひとつの大きな主題として、約十年に亘り自民党政権に寄り添い影響力を発揮してきた(ex. 地域振興券)公明党という原理原則の不明な鵺政党に引導を渡す選挙とするかどうかは、ひとえに小沢一郎の決断にかかっている。長いね。
2005年には、特定郵便局がどうなろうが一番どうでもいいはずの首都圏で自民党が圧勝した。局地の勝利は全体に波及する。自民と民主の間で選び兼ねている有権者も、本質的ではなくとも「アンチ公明」というテーマが設定されれば心が動くのではないか。勝つために必要なのは不確実な援軍ではなく、明確な敵だ。政権奪取を目指す政党であるのならば、本気度を示すには公明を切って捨てるべきであることはもはや自明と言っていいだろう。

書いているうちに「国民を巧妙に騙す方法」みたいな話になってしまった。クラス内でのいじめにどこか似ている論であることは認める。が、まあ実際のところ民主党とはそういう大胆な賭けに出る党ではないよな、いろいろな立場の利害が絡んで身動き取れないだろうなあ、とわたくしは見くびっている。君たちには無理だ、きっと。
個人的に公明党はすげえ嫌いでさっさと分解して宗教の人は宗教に専念してほしいなあただし折伏はなしでね、と常日頃思っているので、衆院選にかこつけてささやかな願いを書いてみたまでの話。自民党の人もそのへん少し何とかしてはくれないものでしょうかね。

ひとつ考えられるのは、解散時期などを巡ってもめたあげく自公が決裂すれば、それは必ずしも自民党にとって不利な要素ばかりではないのではないか、ということだ。どのみち前回当選議席に届かないことはわかりきっているのだし、麻生首相が先手を打って捨て身の賭けに出る可能性もないとは言えないのではないか。そこまでやったら自民党をほんの少し見直すかもしれない。と小声で言っておく。
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2008年10月09日

「代理母」の無神経

「代理母」という言葉を口にするとき、人はまさしく「母」=「産む機械」としか考えていないのではなかろうか。
母の仕事は産むことだけではないのに。
ラベル:代理母 産む機械
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2008年09月22日

ラッキー触媒

という言葉を脈絡なく思いつく。
何だか随分虫の良さそうな概念ではある。周りにいろいろ影響与えておいて自分はちゃっかり変化しないんだろう、たぶん。
ラベル:catalyst
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2008年08月28日

今の新聞ってすごく無駄じゃない?

別に中身の記事の話ではない。ま無駄な記事も散見、というよりはもっと多い頻度で見られますが。
あれだけの内容の情報を印刷して配布するのにあれだけの紙やらエネルギーやらを使っちゃっていいのか、というところにふと疑問を覚えたのだ。我ながら突然ですが。

もちろん新聞業界側もそのへんは先刻承知百も承知で、古新聞回収システムを数十年前から営々と築き上げて「だから無駄じゃないよ」と抗弁できる準備はしてきたのだろう。しかし一日二回の大量高速印刷に必要なエネルギー、配達のためのトラック輸送やバイクの燃費の高騰も含めて考えると、ニュースペーパーであるところの新聞の印刷・配達はやっぱり総じてエコロジカルではない、と思う。全国の新聞を合計すると2007年10月現在で日に52,028,671部(「新聞の発行部数と世帯数の推移」、新聞協会経営業務部調べ)出ているそうだが、これほど大量の紙を消費していて「民主主義を維持するための当然のコスト」といつまでも言っていられるとは思えない。
そろそろ潮時ではなかろうか。

紙文化全般を否定するつもりはない。情報密度が高くて再読に値するものは今世紀も引き続き紙でもお世話になりたい。だが、新聞や雑誌のように保存性の低い情報を載せる媒体として紙を使い続けるのは、たぶんそう遠くない時点で採算に合わなくなるのではなかろうか。パルプの原料となる樹木を計画的に植林して資源の再生産に勤しんでいるからいいのだ、といういいわけもいずれ通じなくなると思う。

紙ゆえの可搬性の高さ、広い面積を使った一覧性が新聞の取り柄であることは認める。だが、それらももはや絶対的なアドバンテージではなくなってきている。携帯端末でニュースはおろか小説すらも読んでしまう世代がまもなく社会の中枢を占めるようになる。電車の中で紙を広げる習慣がいずれマナー違反と見なされる日も遠くないかもしれない。

新聞各社はこれまで、いい印刷物を作るためにそれこそ二十四時間鎬を削って争ってきたことだろう。その努力が無駄だったとは言わないが、おそらくそこで価値の転倒も起きているのではないか。つまり、人に情報を伝えるための手段であるはずの活字印刷それ自体が目的化しているような。
新聞社の本質はコミュニケーション企業であって印刷業ではない。それに気づいて脱・紙を最初に果たした新聞社が、おそらく次代のメディアの覇者になるのではなかろうか。覇権を握るのは新聞社でなくて通信社はたまたテレビ局かもしれないが。

……ということを、ネットをぶらぶらしていていきなり脈絡なく思ったので書いておく。毎日新聞はネットを敵視している場合じゃないと思うんだけどなあ。
ラベル: 新聞
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2008年07月08日

You don't come here for the hunting

アメリカンジョークが好きだ、というと馬鹿と思われるだろうか。できの悪いブロンドジョークのようなつまらない男尊女卑ネタでHaHaHaとか言ってるやつはうんざりだが、時々出くわす奇妙な味のもの、面白いともおかしいとも言いがたいが「何でこんな話を思いつくんだろう」と心底不思議に思わされる類のジョークが気になってならない。

きょうネットをふらついていてたまたまクマと狩人のジョークを思い出したので、備忘録に貼っておく。日本語訳もいくつか見かけたことはあるが、このジョークの背後に感じる他人を突き放したような感覚、人間関係に対するある種の冷淡さをうまく訳している文章にはいまだ出会っていない。出典はStrangeCosmos.comStrange Bear Hunting Story
Frank was excited about his new rifle and decided to try bear hunting.

He traveled up to Alaska, spotted a small brown bear and shot it.

Soon after there was a tap on his shoulder, and he turned around to see a big black bear. The black bear said, "That was a very bad mistake. That was my cousin. I'm going to give you two choices. Either I maul you to death or we have sex."

After considering briefly, Frank decided to accept the latter alternative. So the black bear had his way with Frank.

Even though he felt sore for two weeks, Frank soon recovered and vowed revenge. He headed out on another trip to Alaska where he found the black bear and shot it dead.

Right after, there was another tap on his shoulder. This time a huge grizzly bear stood right next to him. The grizzly said, "That was a big mistake, Frank. That was my cousin and you've got two choices: Either I maul you to death or we have rough sex."

Again, Frank thought it was better to cooperate with the grizzly bear than be mauled to death. So the grizzly had his way with Frank.

Although he survived, it took several months before Frank fully recovered.

Now Frank was completely outraged, so he headed back to Alaska and managed to track down the grizzly bear and shot it.

He felt sweet revenge, but then, moments later, there was a tap on his shoulder.

He turned around to find a giant polar bear standing there.

The polar bear looked at him and said, "Admit it Frank, you don't come here for the hunting, do you?"
このジョークを聞かされた相手は決して腹を抱えて笑い転げることはないだろう。何がそんなに面白いんだ、と問われてもちゃんと説明できる自信はないが、上質なジョークに欠かせない同一パターンの繰り返しによるエスカレーションと意外な結末、そしてハンティングに代表される男性至上主義に対する遠回しな、しかし的確な批判がこの作品を一筋縄ではいかない存在にしているように思える。懐の広いジョークとでも言おうか。

これに匹敵する日本発のジョークがないものだろうか、とつい思ってしまう私は、たぶん英米文化に対するコンプレックスが強すぎるのだろう。
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2008年06月30日

次はアルコールだろう

たぶん次に排斥されるのは公共の場での飲酒だろう。とふと思った。

私は強硬な分煙論者であって、煙害が自らに及ぶことは世の中でもっとも嫌いなもののひとつである(最嫌がいくつもある)。自分で吸ってもいないタバコの煙、それも他人の体内を通過してきたものを吸わされるなぞもっての外だ。無関係な他人のいる場所でタバコを吸うことがデフォルトで許されていいとは到底思えない。
だが、最近のタバコ増税論議には若干違和感を感じる。吸いたい人間が吸える環境で存分に吸うこと自体にまで異議を唱えてきたつもりはないのに、何やら世の中極端に走ってはいないか。

財務省関係者らの念願叶ってタバコが一箱1000円以上になり、晴れて金持ちの嗜好品になったとしよう(その過程では貰いタバコをめぐる諍いが発端となった殺人事件や中国からの安い密輸タバコによる健康被害、はてまた代替品としてのマリファナの横行など様々な騒ぎが起きるだろうがそのへんは省略)。すると次に社会の害悪、マナーの敵となるのは間違いなくアルコール、飲酒という習慣だ。社会には一定の憂さ晴らし装置が必要であり、ニコチンでストレスを発散し精神を鎮静化できなくなった一定層は代わりにアルコールに走るだろう。結果、アルコールが原因の犯罪やトラブルが増加し、新たな社会問題になるのだ。
と桶屋理論で片付くかどうかは知らないが、公共の場での喫煙という行為が根絶されれば、新たなスケープゴートが求められる可能性は非常に高いと思う。

実際、ニコチンの害に比べればアルコール中毒の方がよほど性質が悪く末路も悲惨である。タバコは肺を汚すが度を越した飲酒は脳までも破壊する。
酔漢は往々にして直立嘔吐やゴミばけつに抱きつくなどの振る舞いを通じて街を汚し猥歌を放吟しては風紀を害し他人が見たくないものをまろび出させ振られた女に未明に長電話をし興奮が昂じては自他を傷つけ時には死に至らしめる。タバコ呑みはタバコのせいでこんなことはしない。飲酒運転の犯罪性が近年ようやく社会的に注目されるようになったが、これは遅きに失したと言えよう。くわえタバコが原因の事故など年に何件あるだろうか。

深夜の居酒屋で幼い子連れの家族がテーブルを囲んでいる風景を最近目にするようになった。まったく非常識極まりないと思うが、思えば嫌煙者がパブにいる風景というものも最初はこれぐらい奇異なものだったに違いない。やがては「居酒屋で他の客に断りもせずに酒を飲むなんて」と言われる日が来ないとも限らない。そうして世論を背景に、財務省が酒税の大幅値上げを打ち出すのである。

まあ最近若者はあまり酒を飲まなくなっているそうなので、分酒・嫌酒運動は結構若い層には受け入れられるかもしれない。現代版刀狩も粛々と進行しているようだし、日本の浄化はこうしてまた進むのだろう。
ラベル: タバコ
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2008年06月12日

sustainable

会議で興奮した若い社員が「エコロジー、リサイクルの理念を重視した経営」「環境に配慮した持続的発展を」と口角泡を飛ばしている後ろに回っていきなり肩なぞ揉んで「まあまあ、君もそんなにサステナブルなよ」と言える上司になりたい、と退屈な会議の途中思った。
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2008年04月03日

レジスタンス

従業員の横柄な態度に我慢しかねたのか、幼い子供が「お母さん刃向かって、刃向かって!」と母親を必死に励ましているのを見かけた。肉屋の店頭。
ラベル:子供
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2008年03月21日

統合失調症と人工知能の接点

いつにも増してとりとめない内容になりそうだけど、とりあえず思いついたことを列挙してみたくなった。

精神科医の林公一さんが開いておられるサイトDr.林のこころと脳の相談室のコンテンツ精神科Q&Aが面白い。扱われている内容からすると「面白い」と言ってはいけないのかもしれないが、知的興奮や驚きをもたらす一級の読み物であることには違いない。まずは飛んでみて、サイトに蓄積された質疑の分量に驚いてほしい。

もちろん内容もすごい。精神病患者やその予備軍、家族ら周辺の人々によるQ&Aだが、おそらくはもともとの投稿にかなり手を入れ、数回分のやりとりを凝縮して編集しているのではないか、と想像している。患者のメールが病態を要領よく説明しすぎているきらいがあるからだ。
そして林先生の診断(まさに「断じる」感じ)がかっこよすぎ。たとえば【1356】人に何かする、暴言をいうなどの問題行動がなく、妄想もない私が統合失調症なのですかの結尾には痺れる。
私は擬態統合失調症でほんとうは社会不安障害あるいは全くの健康人ではないでしょうか?
違います。あなたは統合失調症です。統合失調症としての治療を続けることが第一です
なんてやりとりを見ると、先生そこまで言い切ってしまって大丈夫なんですか、と余計な心配をしたくなる。もちろん前段にはそう断定するに至った専門的見地が結構な長文で説明されているわけだが、実際に患者かどうかはメール一通で判断できるものなのだろうか。
もっとも真偽の怪しそうなケースについてはきっちり
あなたは統合失調症、解離性障害、詐病のいずれかだと思います。
と答えておられるので、たぶん病と断定できる要件を満たしている場合にのみ爆断定が炸裂するのであろう。
真面目な質疑応答を小説扱いしてはいけないが、超短篇ホラーとしても読める【1087】家の中にストーカーがいますは、底知れぬ虚無を覗いたような恐怖を味わわせる一篇だ。あえて傑作と評したい。

で、思いつきはここから。
自らの不調を自覚していない統合失調症患者の質問メールを立て続けに読んでいて、何やら妙な既視感に襲われた。文章自体は普通の単語の連なりなのに、意味が地上から切り離されて空中に漂っているような、不安定な感じ。
しばらく考えて思い出した。以前このエントリで取り上げた、ネットでやたら目につくようになった意味不明なカットアップ文章だ。やはりアフィリエイト目的の細工だったらしい。「ワードサラダ」というそうな。⇒悪質なアフィリエイト参加者がつくる「ワードサラダ」に注意 - ワークスタイル - nikkei BPnet
検索エンジンを使って探しものをすると、文法的には日本語なのだが、内容はめちゃくちゃなWebページがヒットすることがある。こうしたページは、悪質なアフィリエイト参加者が、不当な報酬を得ることを目的に設置したものが多い。H系サイトやウイルス作者が来訪者の拡大を目的につくったものもある。
支離滅裂な文章のことを「ワードサラダ」という。検索結果で上位にランキングされるようにする、アダルトフィルターなどを潜り抜ける、という2つの効果があるという。ワードサラダが蔓延(まんえん)すると検索エンジンが役に立たなくなる。ワードサラダで検索エンジンをだます行為を減らす活動を始めないといけない。
内容に共感するにせよ反発するにせよ、誰かの文章を読むとき我々はその言葉を生み出したバックボーンとなる論理を同時に想起している。それが壊れていたり不在であることに気づいた瞬間に押し寄せる不安は、たぶん人間の存在意義にかかわる根源的な不安だ。

もしかしたら人工知能をより人間らしくするには、統合失調症の治療に当たった精神科医師のノウハウが役に立つのかもしれない、と思った。病人の中で意味や関係性が壊れていく過程を逆転させれば、機械が言葉を「考える」プロセスを組み立てていく方法に何らかの示唆が与えられるのではなかろうか。あるいはその逆で、よりよいワードサラダの作り方が精神病治療のヒントになる……ことはないかな。

もちろん統合失調症者の曲がりなりにも日本語として解釈できる文章とワードサラダのしっちゃかめっちゃかな作文にはまだ相当なレベルの差はある。ワードサラダ作成に用いられている形態素解析と構文解析技術がどれほど高いものかは知らないが、できたものを見る限りはまだ「人工知能」と言ってはいけない程度のものだと思う。
だがこの業界の倣いで、より高性能な文章作成プログラムは必ず現れるだろう。ことがアフィリエイトという実利に結びついていれば必ず。コンピューターが統合失調症者レベルにまで到達するのはそう先ではないのではなかろうか。

とまあ、もしかしたら斯界の常識に類するかもしれないような非常識なことを考えたという次第。
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2008年03月16日

急にボールが来たので

駄文だ! 長いぞ!

午前中に仕事を一件終えて早めの昼飯を食べ、少し時間が空いたので出先界隈を腹ごなしがてらほてほて歩いていたら、小学校を会場に献血を募集しているのに出くわした。PTAの奥さん方らしい女性らがわさわさとチラシを要領悪く配っている。
そういえばしばらく献血には行っていなかった。食べたばかりでちょうど血の気も余っているし時間もあるし、知らない町の小学校にぶらっと入るという行為自体にも魅力を感じた。よーしパパ400cc出しちゃうぞー、とか思いながら校門を通過した。

献血会場は体育館で、何だか思いっきりオープンスペースだったのに意表を突かれた。入口そばで受け付けをして緞帳の下りた舞台前で血液検査をして、奥のバスケットゴールの下に野戦病院のように寝台がいくつか設置されて地元の親父らしい年配の男性らが神妙に血液を吸い上げられている様子が一望できるのである。
平日の午後に血を抜きたがる人はそう多くないらしい。ほとんど待たずに順番が回ってきた。海外渡航歴や病歴や同性愛歴などを尋ねるお決まりの質問に嘘をつきまくって(←そんなことはしない)無事ドナー合格となり、簡易寝台の上の人となった。

当たり前だが抜かれている間は特に何もすることがない。献血ルームであれば漫画や液晶テレビなどの準備もあるのだが、あいにく小学校の体育館なのでかまぼこ型の天井を内側から眺める(何年ぶりだろう)しかない。不便だがチューブが刺さっていない方の片手で持ち合わせのミステリ本を読んでいたら、看護師さん(若い女性)が「その本面白いですか?」と話しかけてきた。
彼女もミステリ好きで、最近では「チーム・バチスタの栄光」が面白かったという。「前は手術室に入っていたので、術式のくだりとか本当にリアルでよかった」などなど。言葉になまりがあるので聞いたら、果たして関西出身者だった。さっそく森見登美彦の本などをお勧めしておく。
病院勤務をやめて献血の仕事をする(ということは日本赤十字の職員さんか)ようになった経緯は何だったんだろう、と聞こうと思ったが、その前に400ccが出切ってしまった。おかわりするわけにいかないので、「ではまた次の献血会場でお会いできたら」と爽やかに手を振り、無料ドリンクとクッキーを余計にせしめて小学校を後にした。
彼女本当に可愛かったな、と思った。

職場に戻ってしばらくして、献血後に貼られた絆創膏をトイレで剥がしていてふと気づいた。「あ」と声が出た。
これって出会いってやつじゃん。ひどくもったいないことをしたのではないか。

いや、別に彼女が自分に好感を持ってくれたとかと自惚れるつもりは毛頭ないのだが、少なくとも会話をするきっかけは向こうが振ってくれたのだ。たかだか20分程度ではあったが初対面にもかかわらず本の話で盛り上がったではないか。そりゃま看護婦さん(と言ってしまおう)だから患者の話に合わせるのは職務上の癖なのかもしれないが、でもひょっとしてひょっとしたらメアドぐらいだったら教えてくれたかもしれないではないか。
いやいやいや、別に今すぐ誰か妙齢の女性とお付き合いしたいと切実に思っていたわけではないのだが、問題はそこではない。可愛い女性にアプローチしようという発想が終始頭に浮かばなかった、というのはどういうことなのか。男として終わってないか俺。

私はスペックとしては収入以外(まあ定職ついてそこそこ経ってますから)はかなり世間の下位に位置するであろうと自認しているので、最初から自分が女性に受け入れられることなどまったく期待していないのだが、もしかして世の中には見えないゴールポストがいっぱいあって、ボールはいろんな方向から足元に想像以上の頻度で転がってきているのではなかろうか。
我々喪男はボールが目に入らないか、たとえ入っても急に来たボールに対処できずに、思いっきりあさっての方向に蹴り飛ばしているのではないか。ああ口惜しい。決定力のなさは如何ともしがたい。

とまで考えたが、では八週間後に近隣の献血会場を検索して彼女を探しに行くことを自分は決してしないだろうな、とも思った。
結局、対人関係で必要なコストを払っていないからモテない奴はいつまでもモテないのだ。たぶん永遠に。
ラベル:献血 看護師
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2007年12月16日

カーリング割烹

というものを忘年会のさなかで思いついた。冬の風物詩である。

座敷まで通じる廊下が氷のレーンになっていて(廃業後のボウリング場を買い取ると横にたくさん並んでよいのではなかろうか)、小野寺歩似の仲居さんが慎重に料理を滑らせる。客は赤い円の周りで待っており、中に料理が止まったら食べる。
curling.jpg仲居は重い鍋料理でもぴったり中心で止める技術を持っていることが望ましい。手前で止まりそうになったり別の座敷に流れそうになったらスイーパー仲居が忙しく立ち働くことになるからだ。ほかの部屋の客に食べられたらその時点で敗退である。

客は周囲に気をつけながら出された料理を急いで食べなくてはならない。ゆっくり味わおうとすると、カナダチームの投擲したストーンに自卓の鍋が弾き飛ばされて出汁や具が散乱し大惨事になりかねない。ことカーリング割烹においては、客も右手に箸左手にデッキブラシを持つぐらいの心意気が必要であろう。カーリング人口の裾野拡大のためにも、次回冬季五輪を視野にぜひ実現してほしいものだ。俺は行かないけど。
ラベル:カーリング
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2007年10月05日

きょう気づいたこと

匍匐と葡萄はよく似ている。

葡萄 匍匐 - Google 検索
ラベル:日本語
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2007年08月30日

社員食堂カレーの謎

勤め先の社員食堂では、ふだんカレーライスを280円で食べられる。
きょうの日替わりメニューで「ポークカレー 500円」なるものが出ていた。
いつものカレーには何の肉が入っていたのだろう。
ラベル:カレー
posted by NA at 21:51| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑念 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする