2008年01月21日

メリー・ホプキン大阪万博ライブ

MHosakaFr.jpgブートレグを勝手(かどうか知らないが)にアップロードしているらしい、たのもしきシンガポールのサイトBigO Worldwideにて、標題のディスクが紹介されていた。今のところは全曲のmp3をダウンロードできる。
Those Were The Daze - Mary Hopkin The Complete Osaka Expo 1970
万博マニア注目。でもマニアだったらとうに知っているか。

サビを聴くと「ああ、あれか」と誰もが知っている「Those Were the Days」その他計19トラック、ただしビートルズの「Let It Be」のスタジオレコーディングは削除。なんかそこらへんは一線を引く理由があるんでしょうか。まあドル箱だけに監視の目が厳しいんだろうなあ。

メリー・ホプキンはたしかポール・マッカートニーの秘蔵っ子としてアップルレコードからデビューした(とはいえポールとの共同作業は一年半も続かなかったらしい)歌手だったが、万博にも来ていたとは知らなかった。知ってるわけないけど。
そのへんの説明は、BigO Worldwideからもリンクを貼られているMARY HOPKIN :Unofficial Japanese Web Siteに詳しい。

公演当時まだはたちだったメリー・ホプキンの歌唱には時代を強く感じさせるものがある。柔らかく厚みのある、端正な歌い方。懐かしい、いい声だ。きっと幼い日にラジオで聴いた声なのだろう。
彼女は今もレコーディングを続けているという。どんな歌を歌っているのだろう。

Mary Hopkin International Site
Mary Hopkin Music - The Official Mary Hopkin Site
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2007年12月03日

初音ミクがもたらす断絶について

高知でバンド少年時代に引き戻されたついでに、昨今流行している初音ミクのことをちょいと考えた。

非体育会系だった私にとって、音楽をやる動機の一部に「女子の人にモテたい」という不純な要素があったことは否定できない。決して相対的に多くはなかったと思うが。
バンドをやる→歌ものをやろう→ボーカルが必要だ→仕方がないから知り合いの女子に声をかけよう→ねえ君、歌好き?、という論法で女子との接点を正当化したバンド野郎は少なくないだろう。かくいうわれわれのバンド(リズムボックス+G,B,Keyの非モテ男3人)もそうだった。

結局、たまたまメンバーの友人の同級生女子の妹(リンク遠いなー)で歌うのも作詞するのも好き、という女の子がいてまんまと仲間にした。ぽちゃぽちゃしていてかわいい娘だった。歌もまあまあうまかった。邪な心が起点にせよ、バンドとしてはいい感じになった。彼女とともに大勢の前で演奏する機会にも恵まれた。めでたしめでたし。
だがよくあることだが、バンドはその後あまり書きたくない彼女をめぐるメンバー間の葛藤とか俺とあいつとどっちを取るとか音楽性の違いにかこつけた相手の否定とか(音楽性と言えるほどの内実もなかったのに)クリスマスデートのお誘い敢行と玉砕とかまあいろいろ総じて不毛なできごとがあって、ほどなくして空中分解した。彼女も一度ほかの男と結婚した後腐れ縁が続いていた元ベーシストと子連れ結婚してまた離婚して、と華々しく波瀾万丈な人生を送るのだがそれはまた別の話だ。

んで。
当時はまだそういう言葉はなかったがDTM指向が強かった私(あこがれは当然松武秀樹さんだった)が、曲がりなりにも他人と一緒にセッションしていたのは、人間でなければ出ない音がいろいろあったからだ。しかるに今は管楽器もベースやギターも、特殊奏法も含めて達者に再生してくれるソフトシンセが花盛りである。身の回りに望んだ通りの音を出してくれるプレーヤーがいる確率の低さ、探し当てたとしてもそやつとネゴして演奏してもらう手間や飯代その他を考えると、ものぐさで引きこもりタイプのDTM野郎がどちらを選ぶかは自明である。いや、全員がそうだとは言いませんが、端末の前でヘッドフォンかぶって徹夜を厭わないタイプというのはそんなに社交性があるとは言えないのではないかと。
そして、最後の関門だったボーカルがソフトウェアで間に合ってしまうのならば、女子はおろか他人と付き合う理由がなくなってしまうではないか。

何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、要するに初音ミクに代表されるソフトウェアボーカル音源の普及は、DTM少年をいよいよ女性から遠ざけるであろう、とまとめてみれば当たり前のつまんねえことを書きたかっただけだ。音楽やるんなら多少は不純な方がいいと思うんだけどねえ。

ところで歌が好きな女子の人たちは、初音ミク現象についてどう思っているんだろう? そしてDTM少女(現状では市場せまそう)は男性ボーカル音源の発売を心待ちにしているのだろうか。
風呂敷を広げると、この影響はたぶん音楽の分野にとどまらない。男性/女性にしかできなかったことの解消によって何が起きるか、ジェンダーと技術の進化をめぐる軋みの顕在化の一例として考えるべき問題なのではなかろうか。いずれ来るであろうセクサロイド発売の日に備えて、誰かがちゃんと分析しておくべきことなのではないか、と思ったりするのだった。

追記:
てなこと書いていたら新作Vocaloidが発表されていたではないか。
しかも男女ペアときたもんだ。うむむむむむ。
クリプトン | VOCALOID2特集
さすがに業界の方は先を読んでいる。これでDTM女子にも喜んで買ってもらえる、ということになるのかどうか。
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2007年11月26日

レゲエ心の旅

おれカネゴンさんおれカネゴンさん言うところの頭音というやつだろうかYo。なぜかレゲエ調にアレンジされた「心の旅」が、しばらく前から頭の中で鳴りやまないBrother。ふっと気を抜くと、緊張感ゼロのDa Riddimがどこからか響いてくるのだU know。

どこかでEbbybody誰かが実際に演奏したのを聴くとはなしに聴いた記憶でもあるのだろうかYeah。ギターの裏打ちリズムの合間に深いエコーのかかったドラムの二拍三連フィルまで再生されているから困ったものだGotcha。最近そういうカバーバージョンでも出たのかなmen?
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2007年10月21日

ヘンツェ「ルプパ」

ヘンツェのオペラ「ルプパ――ヤツガシラと息子の愛の勝利」(演奏会形式)を聴きに行く。リニューアル後のサントリーホールに行くのはこれが初めてだが、正直「どっか変わったの?」という感じだった。別に一聴衆としては以前から何の不満もなかったから、これでいいのかもしれない。

ヘンツェについては三島の「午後の曳航」をオペラ化した人、というぐらいの知識しかなかった。英語版WikipediaのHans Werner Henzeによるとかなり多作な作曲家のようだが、やはり創作の中心が現代オペラというのはなかなか食指が動かない。だが「最後のオペラ作品」という触れ込みに、これはちょっと聴いておこうかな、と心が動いた。きっと再演は難しい作品だろうし。

しかし、楽曲は想像していたよりもずっとオーソドックスだった。もちろん和声は協和音とは無縁で楽器編成も打楽器を多用するなど、20世紀より前のドイツ・イタリアオペラからは大きくかけ離れているが(当然か)、「ヴォツェック」以降の作品としてはむしろ保守的と言っていいかもしれない。カリカチュアされた人物らが活躍する童話仕立ての台本も含め、極めて伝統的な音楽劇という感じを受けた。

第一部は若干眠気を誘う音楽だったが(少し落ちた)、キャラクターが揃ってドラマが動きだす後半の第二部は大変楽しめた。主要キャストを見栄えのよい海外勢で固めたのも奏功していたが、東京混声の八人による群衆役などのアンサンブルがまた絶妙のアシスト。この舞台の成功に大いに貢献していたと思う。
オペラの歴史に残る大傑作とは言えないが、愛すべき佳品という印象だった。

主人公らの旅の目標はぶれ続ける。行く先々で新たな課題を課せられ、そして解決することなく先へと進む。欲望は満たされないがゆえに欲望であり続ける、ということを言いたかったのだろうか。平易なストーリーでありながら様々な深読みをも可能にするリブレット。一過性の娯楽よりも「この話の言いたかったことは何だったんだろう?」と謎を残すことが狙いだったのかもしれない。

何はともあれ現代音楽、こういう作品を定期にかける東響(それなりに難曲ではあったようで、一夜限りの演奏で終わらせるのはもったいない限り)もなかなか度胸があるというか何というか。第一部だけで帰る客の姿も見られたが、これで定期会員が離れないことを願うばかりだ。
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2007年10月19日

東京シンフォニエッタのリゲティ演奏会

飯田橋のトッパンホールで開かれた東京シンフォニエッタ定期「追悼 リゲティ 三大協奏曲〜東京シンフォニエッタのソリストたち」にお邪魔する。って別に客演したわけじゃなくて聴きに行っただけなのだが、どうもゲンダイオンガクの演奏会はよそのおうちに上がって正座を強いられている感じがして肩が凝る。おれが背伸びして聴いているからだろうな。
昨年亡くなったリゲティの実演は、1998年にオペラシティで連続演奏会を聴いて以来だから実に九年ぶりになる。会場にはいかにも現代音楽聴き込んでますといった風情の年配の客がいる一方、出演者のお弟子さん筋らしい音楽高校の女生徒の団体もいたりして、とっつきにくいプログラムの割にはなかなかのにぎわいだった。
トッパンホールは初めてだったが、素直な音色と開放的なつくりに好感を覚える。ただ駅までの行き帰りに交通量の多い目白通り沿いを通らねばならないのは減点。コースアウトしたダンプに襲われる危険を本気で覚悟したほどだ。

やはり晩年の傑作であるバイオリン協奏曲が圧巻だった。オカリナなども加えた異形の管弦楽が響く中、調律をずらした独奏バイオリンが奏でる旋律は時折名状しがたく美しい瞬間をもたらす。大家の晩年によくある傾向として先鋭さよりもポピュラリティを重んじた結果なのかもしれないが、平均率を逸脱しつつも耳に馴染む音響を演出する手際はやはりリゲティならではのものだろう。カデンツァでバルトークの第二協奏曲の引用(微分音が出てくるあたり。たぶんソリストのアドリブ)があったように聞こえたが、この曲の先進性とハンガリー音楽の伝統に則った正統性を改めて提示したものと勝手に受け止めた。
以前メシアン「クロノクロミー」の実演を聴いた時にも感じたが、いい音楽は現代音楽という枠を超えて生き残る力をあらかじめ裡に備えている。この曲もそういう作品だと思った(その点、残りの二協奏曲は微妙かも)。
この日はリゲティ作品のほか、日本人作曲家が彼に捧げた室内楽作品の委嘱初演もあったが、これはまあ聴く人が聴けばオマージュであることがわかるのであろう、という感じで私には歯が立たなかった(バスクラの音はよかったな)。素直に音を楽しむのはむつかしい。

東京シンフォニエッタの実演を聴くのもたぶん初めてだが、相当な難曲であるに違いない作品をすいすいすらすらこなすテクニシャン揃いであることはよくわかった(ソリストも全員団員)。とりわけ自在に吹きまくる禿げたトランペットのおじさんが印象的だった。きっと斯界では名高い奏者なのだろう。
いつかフランク・ザッパの作品集をやってくれたらまた聴きに行きますので、ぜひよろしくお願いします。>関係各位
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2007年09月11日

Spookey Ruben健在

10年以上前に「These Days Are Old」というスマッシュヒット(か?)を出した、と言っても知らないかもしれないけど、テレビ番組のジングルで使われた「droodaloo hoo yaa-ee yaa-ee yo hoo yea」のメロディを聴いたら多くの人が「ああ、あれか」と思うぐらいには有名かもしれない、そんなスプーキー・ルーベンのアルバム「Bed & Breakfast」が約1年前に出ていたことに気づく。
といっても曲目から察するに旧作の再録中心もしくは再編集盤なのかもしれない。

思えば90年代後半に出された「モード・オブ・トランスポーテーションVol.1」「どおしよっかなあ 」も極めて優れたポップスアルバムだった。日本でライブをやってたりもしたらしいのだが、うまくブレイクし損ねたのか本人があまり売れることに熱心でなかったのか、後続がないまま音沙汰がなくなっていた。で約10年もの間、たまに思い出したように聴いては「どうしてるのかねえ」とうっすら心配していたのだ。特に縁があったわけでもないけど、何となく。

スプーキーは現在は自分のレーベルで活動しているらしく、ウェブサイトもちゃんとあった。「stuff」からなつかしや「Sex Traffic」などのビデオムービーが見られる。ライブ活動もしているらしい。

カナダから世界的なポップスターが出現したことがあるのだろうか。SagaとかRushとか(と一緒にしたら皆さんそれぞれ怒るだろうが)個性的なバンドはあるものの、いずれも聴く人を選びそうで世界制覇はどれも似合わない。
スプーキーもマイペースでやってるんだろうかね、と想像する。

ウェブを通じたゆるいつながりは、スプーキーの音楽にもどこか通じるものがあるような気がする。声高に何かを訴えることも最先端の意匠をまとうことも決してないけれど、聴く人を楽しませるもてなしの心は十分感じられる、そんな楽曲。新作(?)がどんな音楽かはわからないけれど、あまり変わっていてほしくないな、と勝手に希望。
いつかまた日本に来るといいのだが。でもどんなリスナーがそこに集まるのかは全然見当もつかない。
タグ:Spookey Ruben
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2007年07月21日

ジュリアードSQのバルトーク

出張先で酒を飲んでへれへれになってホテルに戻ってテレビをつけるとジュリアード弦楽四重奏団の来日公演の模様が放送されていた。前にもこんなことがあったな。

曲目はバルトークの弦楽四重奏曲第1・5・6番。今春の東京・王子ホール(銀座か!)での公演だった。てことは2・3・4番もやったのだろう、と検索すると案の定。⇒王子ホールジュリアード弦楽四重奏団 2007.05.30_3119:00
ジュリアードは過去にバルトークのSQ全集を3回録音しているから(団員は代わっているが)自家薬籠中の作品かと思ったらさにあらず、インタビュー映像でメンバーが5番3楽章の変拍子(ブルガリアン・リズム)について「mess」とか「crazy」とか苦笑しながら話していた。

音質の悪いテレビでも演奏の模様を見るのは楽しい。1番のラストで第1バイオリンが思わずか立ち上がってたりして。
それにしてもバルトークを聴いていると、弦楽四重奏曲というのはつくづく抽象的な音楽であることだなあ、と改めて思う。弦楽四重奏は情感よりは論理を表現するのに適したユニットで、作曲家の思惟をなぞる線を明確に見せるためにはふくよかな響きはむしろ不要で、むしろ必要なのは不機嫌なエッジの多彩な表現方法ではないか、とすら思える。バルトーク・ピッツィカートしかりコル・レーニョしかりスル・ポンティチェロしかり。
私は流麗で美しいラヴェルのカルテットを大いに愛する者であるのだが、しかしあの曲は本当は別の編成で演奏された方がよりよい曲になり得ていたのではないか、という疑念も抱いている。

この日の演奏でとりわけ面白く感じたのは1番だった。若い日の失恋をネタに連発した同一主題に基づく創作群の最後ぐらいのもので、習作とは言えないまでも本格バルトーク以前(何それ)時代の作品だが、やはりすごく変な曲(いい意味で)だったことが再確認できた。
そして弦楽四重奏団の演奏は案外見ていて面白い、ということに気づいたのも収穫だった。どこかのカルテットが一番野蛮な4番をやるようだったらぜひ行ってみよう。
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2006年12月30日

レコード大賞(見てない)

今朝の新聞のテレビ欄に出ていた日本レコード大賞の広告を見て一番驚いたのは、ついにひとつも知っている曲がなかったことだった。
聴けば「ああ、あの曲か」と思い当たる作品はあるのかもしれないが(聴くとはなしに聞いているドラマの主題歌とか)、新人賞ならまだしも大賞候補のアーティスト名にすら見覚えのないものが含まれているのでは、もはや同時代の音楽は私のものではなくなってしまったと考えた方がよかろう。こと邦楽においては完全に時代に取り残されてしまったのが私にとっての2006年であった。

とはいえ、音楽シーンの側も年々盛り下がっていることは今更私が言及しなくともCDの売り上げ減などから明らかだ。世代を超えたヒット曲は「マツケンサンバII」を最後に出ていないような気がする。
日本レコード大賞サイト(一覧性の低い、非常にできの悪いサイトだと思う)を見ていて、おそらくターニングポイントは2000年にあったのでは、と思った。サザンオールスターズのTSUNAMIは確かに確かにその年を代表するにふさわしい曲だった。それ以降のノミネート曲が急速に劣化していったのは、多分偶然ではなく必然である何かがあったのだろう。

昨年来、個人的にはiPodを常用するようになって音楽鑑賞時間は以前より増えたが、そこに新曲が入り込む余地はほとんどない。今リストを見たら60年代(ex.ビートルズ)か70年代(ex.スティーリーダン)か80年代(ex.XTC)が曲数でしのぎを削り、90年代以降は和洋入り乱れた群雄割拠状態、わずかながらクラシック作品がちらほら(でも長いので容量は結構取ってる)というバランスだった。
オンライン音楽配信の普及などで旧作が入手しやすく聴きやすくなっているのだから新作へ割かれる予算・時間が減るのはむしろ当然で、てな話はどうでもいい。進歩の止まったポピュラー音楽自体が大きな転機を迎えているのではなかろうか、とぼんやり思ったりもするのだが、話が大風呂敷過ぎて論を立てるには自分の手に余る。
ただ、今起きている様々な動き――既得権益を保全するための著作権保護期間延長だとか、JASRACによる強権的な取り立ての横行だとか――が、総体として従来の音楽ビジネスの終焉を指し示していることは間違いないと感じている。限られた周波数帯域を利用して放送されるテレビやラジオでヘビーローテーションをかければ、かなりの確度でヒット曲を生み出すことが可能だった時代の終焉。

Wikipediaの日本レコード大賞を今見たら、案の定既に更新されて今年の大賞受賞曲が掲載されていた。氷川きよし「一剣」ですか。知りません、全然。氷川きよしは嫌いじゃないけど、演歌が広く受け入れられた歴史の最後を飾るひとりなのかな、と思ったりもする。



音楽ビジネスが今後どうあろうとも、人は様々な方法で音楽に親しみ続けるだろう。タワーレコードのように破産するショップも続出するのかもしれないが、個人的にはこれまでの音楽資産さえ鑑賞可能なかたちで継承されれば不満は特に感じない。CD販売網がなくなってもネットによる音楽配信が代替するだろうし、もしかしたらライブパフォーマンスの価値が見直されることになるのかもしれない。
後年、21世紀初頭の音楽ビジネス事情を俯瞰したら、きっとそこには一本の道がくっきりと敷かれているのだろう。同時代にあって私たちもまたそれを何となく予感している。レコード大賞(考えたら名前自体が既にどうしようもなくレトロだ)の歴代受賞作リストをそういう目で見てみたら、また別な感慨も湧いてくる。
posted by NA at 22:33| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

モーツァルト全楽譜をオンライン公開

モーツァルト記念の年の最後を飾るうれしいニュース。ITmedia Newsのモーツァルト生誕250周年で全作品の楽譜をオンラインで公開より。
 Internationale Stiftung Mozarteum(ISM:国際モーツァルト財団)は12月12日、作曲家モーツァルトの全作品の楽譜をデジタル化し、Webサイト「NMA Online」で無料公開した。
 NMA(新モーツァルト全集)は、世界中の音楽研究家などが過去50年にわたり収集したモーツァルトの全作品を、「学術研究版」としてまとめたもの。NMA Onlineにより、学者や演奏家だけでなく、一般のユーザーもモーツァルトの全作品に簡単にアクセスできるようになった。
ちなみに検索ページからはケッヘル番号はもちろん、キーワードや編成、調性からも引ける。たとえばト短調で検索すると、小林秀雄先生おすすめの「疾走するかなしみ」弦楽五重奏曲などがさくっと出てくる。これは使える。

著作権フリーであることのありがたさを感じた。
モーツァルトはずいぶん昔に死んでいるからこういうサービスもできるわけだが、著作権保護期間をいたずらに長引かせると現代音楽家の作品なんか誰も演奏しないうちに忘れられてしまうんだろうなあ、と思った。
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2006年12月07日

LOVE isn't all I need

LOVE (DVDオーディオ付)
LOVE (DVDオーディオ付)
posted with amazlet on 06.12.07
ザ・ビートルズ
東芝EMI (2006/11/20)
売り上げランキング: 85
おすすめ度の平均: 3.5
5 素晴らしい音質、そして素敵な78分の体験、でもそこに音のMAGICはない。
4 5.1chの迫力
4 面白いけど、心に響くか どうか そこじゃないか

過去の作品をリミックスしたシルク・ドゥ・ソレイユラスベガス公演のサウンドトラックが、どうして今更ビートルズの「新作」扱いされているのかわからないが、とにかく聴いてみました「Love」。
久しぶりの再会に感動しようと思いすぎたためなのかどうなのか、全体的には「ふーん」という感じだった。我ながら体温の低さにあきれる。

もともと中期以降のビートルズのオリジナル曲自体、当時のレコーディング技術を存分に駆使してあれやこれやをつぎはぎしたり何でもミックスして混沌の限りをやりつくしたりしたものだった。今回それを解体して別の楽曲と組み合わせたからといって、特に原典に対する冒涜感は覚えなかった。たとえば「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」原曲の無理やりな編集や様々なデモバージョンの存在は、別に秘密でも何でもない。再構成された楽曲についてショックを感じない代わりに、感動も覚えそこなったようだ。

iPodで聴いているのも問題なのだろう。おまけ(というかこっちがメインなのだろうけど)のDVD-Audioで再生しないと、最新テクノロジーによって純化されたビートルズサウンドの真価はわからないのかもしれない。確かに音は綺麗になったなあ、という印象はあったが、映像ソースのリシンセシスも可能な現在、40年経てばこれぐらいはできるよな、という気もする。

でも、マニアでもないのに織り交ぜられた断片の大半がどの曲のどの部分か容易に想像がつく、というのはやはりビートルズに夢中になっていた若い日の記憶が蘇ったためだろう。中期以降のビートルズの楽曲に盛り込まれた効果音(歌と関係ない掛け声なども含む)の多さに改めて気づかされもした。

一瞬はっとしたのは「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」に新たに付与されたストリングスの響きだ。オリジナルにはないパートではあるが、むしろこの部分こそがビートルズが作ろうとして作れなかった音楽ではないか、と思えた。エリック・クラプトンのソロをフィーチャーしたオリジナルが名曲であることは論を俟たないが、この曲にはこういう可能性もあったのだ、と目を開かされた思いがした。

改めて思うのは、ビートルズが活動していた当時に膨大なセッションから最良の部分を掬い上げたエンジニアたちの腕の良さ、そして現代に比べて制約の大きかった当時のスタジオ機器を操ってエバーグリーンをつくり上げたジョージ・マーティンらの貢献の大きさだ。あと、「Love」ではタイミングも音程もあれこれいじられている可能性が強いので手放しでは褒められないが、あの四人はミュージシャンとしてもなかなかの腕前だったということはクリアにされた音の随所に窺える。
企画物もいいが、オリジナルアルバムのリマスターこそが出てほしいものだ。ビートルズのサウンド自体が内に秘めている可能性を解き放つ、そんな再編集盤を。今回の「Love」の成功(したのかな?)が、その作業に道を開くものであってほしいと切に願う。

追記:
その後聴き直していていろいろ気づく。たとえば「Come Together」では、ギターソロのバックに「Come...Come...」というジョンの呻きを際立たせておいて、エンディングで「Dear Prudence」(``Won't you come out to play?"という歌詞が印象的)をオーバーラップさせ、さらに「Cry Baby Cry」結尾の「Can You Take Me Back」を絡ませて``Can you take me back where I came from?"と繋げる、いわば「Come」という言葉を巡る連想ゲームのようなコンティニューを実現しているのだ。
これが実際に制作された舞台とどうかかわっているのか(あるいはいないのか)は知らないが、歌詞への分析的なアプローチとしてもちょっと面白いな、と思った。
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2006年07月09日

のだめオーケストラ

“のだめオーケストラ”―“のだめカンタービレ”から生まれるリアル・オーケストラという案内が出ていた。
実際の音を聴いたらがっかりしてしまいそうな気がするけど、とりあえずはなりちゅう(業界人によると成り行きに注目、の略だそうだ。知るかそんなこと)。

募集されている編成はごくオーソドックスだが、サックスが入っているということは「ボレロ」でもやるんでしょうかね多分。
まあフランスものには結構ありそうだけど。で、素人には手が出なさそうなハープはトラか。
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2006年07月02日

セイウチを追いかけて

時々何かのきっかけで脳内で再生され、そのまま残って離れない音というのがたぶん誰にでもあると思う。私にとってそのひとつがビートルズの「I am the Walrus」だ。冒頭の救急車のサイレンの音を模したというジョンによるエレピの和音に似た音を聴いたら、いつでもどこでもリプレイが始まってサイケの世界に染まってしまう。

小学生のとき、中学生の姉が買ってきたど派手なジャケットのLP(右のリンクはテレビ映画のDVD。品切れ中か!)で聴いて以来、そのでたらめさ、わけのわからなさも含めて虜になってしまった。洋楽どころかまだ歌謡曲のファンにもなっておらず、歌と言えばアニメや特撮の主題歌ぐらいだったガキによくあんな音楽を聴かせたものだが、ともあれ姉には感謝せねばなるまい。

その何万回目かのリフレインが今朝から止まらなかったので、ふと思い立って歌詞などを検索してみたらWikipediaの非常に詳細な記述に行き当たった。解説が詳しいのはこの曲だけでないが、長年意味不明だった謎の歌詞のいくつかが解明されたのはうれしい。ネット時代の恩恵というのはこういうところに顕れるのだなあ、と痛感した(日本語版の記述には熱意が感じられない。Wiki記法のわかる和製ビートルマニアの奮起を期待したい)。
様々な曲に関するトリビアや噂話を集めているSongfactsというサイトの記述も興味深かった。

ついでにYouTubeでテレビ映画版「マジカル・ミステリー・ツアー」の動画も流れていることを確認。いつぞやテレビで見たきりだった妙な踊りや演出を久しぶりに堪能する。
これとか、アニメ「イエロー・サブマリン」などのへなちょこ画像のセンスこそが後にモンティ・パイソンを生んだ土壌なのだな、との思いを強くする。YouTubeには「I am the Walrus」を題材にした二次創作ビデオなども挙がっており、ビートルズが音楽文化やポップカルチャーの大きな基盤であることを改めて知らされた。ビートルズ関係のリソースを追いかけているだけで時間がどんどん過ぎてしまう。

いずれ老いて仕事をリタイアした後、安寧な生活を送れる保証はどこにもないが、少なくとも安価な娯楽の種だけは記憶とネットの中にいくらでもありそうだ。まったくいい時代になったものだ。
posted by NA at 23:16| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月17日

指揮者・岩城宏之さん死去

まだ73歳だったのか、と様々な感慨に襲われた。共同通信の岩城宏之さんが死去 世界的な指揮者より。
 NHK交響楽団正指揮者を務め、世界的に活躍した指揮者で日本芸術院会員の岩城宏之(いわき・ひろゆき)さんが13日午前零時20分、心不全のため東京都内で死去した。73歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
 1956年、N響の特別公演でデビュー。60年のN響世界一周ツアーに同行して国際的に注目された。60年代半ば以降、ベルリン・フィルやウィーン・フィルを指揮して世界の一流に仲間入り。
 オーケストラ・アンサンブル金沢音楽監督、札幌交響楽団桂冠指揮者などを務めた。
私にとって岩城宏之とはペンの人であってタクトの人ではなかった。それほど多くの実演やディスクに触れたわけではないし、とりわけ実演は晩年(になってしまった)に接したため、全盛期の体をいっぱいに使って「ボルケーノ」と称されたスタイルの音楽は知らずじまいだ。だが、録音にしても「この演奏は岩城さんならでは」と思えるものにはこれまでのところ出会えていない。バルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」の若い日の演奏が残っていたらぜひ聴いてみたいと思う。きっと壮絶に激しかったに違いない。

エッセイストとしての岩城宏之は実にユニークだった。音楽の現場を音楽家の側から語り、興味深い読み物に仕立て上げる才能はまさしく傑出していた。我が国における音楽エッセイというジャンルは岩城宏之が育てたといってもいいのではなかろうか。評論の対象とは違う音楽家たちの様々な姿が岩城のペンによって残されていることは、大きな遺産と言っていいだろう。音楽を面白おかしく語ってこの上なく身近にしてくれた岩城さんの不在は寂しい限りであり、音楽界にとっても大きな損失だと思う。

文章で、世界の一流指揮者や日本のライバル小澤征爾に対する子供っぽい嫉妬を隠さなかった(本人は隠していたつもりだったかもしれないが)。でもそれが岩城節の大きな魅力だった。マザコンで趣味人であわて者で汗っかきで見栄っ張りで自慢好きな指揮者の姿は、音楽以上に魅力だった、と言ったら怒られるだろうな。カリスマであるよりは、舞台裏も含めて自分と自分の好きな音楽のすべてをさらけ出すことを選んだのだろう。愛すべきキャラクターだった。

数年前、手兵のオーケストラアンサンブル金沢を率いて東京で開いたオールモーツァルトプログラムの演奏を聴いたときのことだ。確か何度目かの入院を控えた直前の演奏会だったと思う。
その晩の演奏は、どうも指揮とオケがしっくり行ってなかった。体調の問題もあったかもしれない。岩城氏が頑張って振るほどオケは混迷を増していくようにすら覚えた。不謹慎だが、これが見納めになるかもしれないから、という理由だけで聴き続けていた。
だが、演奏会のアンコールで演奏された「フィガロの結婚」序曲はすばらしかった。この曲で岩城氏は棒を振らなかったのだ。舞台に佇んで、オケが嬉々と演奏するのを微笑んで見ていた。
たぶんこれこそが彼が育てた音なのだろう、と思った。自分の限界を一番よく知っていたのは岩城氏自身だったに違いない。
posted by NA at 23:55| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月20日

She no longer needs you

1148088891-full.pngポール・マッカートニーの二度目の結婚生活が破綻したというニュースに感じた痛ましさを、どう表現したらいいのだろう。
別に同時代にビートルズを体験したわけではないが、童顔でよき家庭人、常識人の印象が強かったポールをめぐるできこと(現段階では離婚ではないらしく、BBC NEWSも「separate」と表記するにとどまっている)が、ごく当たり前のロックスターにありがちなゴシップとして消費されていくことには何がしかの感慨を覚えないわけにはいかない。
CNN.co.jpの「マッカートニー夫妻が破局、共同声明で発表」に掲げられているポートレートの、あまりにも老けた容貌には少なからぬショックを受けた。史上最大の成功を収めたロックスターにして女王からナイトの称号まで授かった男の近状。
ロンドン──元ビートルズのポール・マッカートニーさん(63)と妻のヘザー・ミルズ・マッカートニーさん(38)が17日、2人が別々の人生を歩んでいくとの共同声明を発表、4年間の結婚生活に終止符を打つことを明らかにした。
2人は声明で、「私生活が日常的に侵害され、2人の関係を続けていくことが難しくなった」と説明しているが、破局に至った直接の原因などには、触れていない。
ポール・マッカートニーさんは17日、ヘザー・ミルズさんが結婚したのはマッカートニーさんの財産が目当てだったとする報道について、「真実ではない」と反論。悪意ある噂(うわさ)に耳を貸さないで欲しいと訴えた。
2人の声明には、「離婚」という言葉は使われていない。実際に離婚へ進んだ場合、推定資産額15億ドル(約1650億円)とされるポール・マッカートニーさんがヘザー・ミルズさんに支払う慰謝料は、巨額になると見られている。
以下は雑感。
このニュースを聞いて、ビートルズの「For No One」を思い出したファンは多かったのではないか。ベストセレクションを編むときに入ってくるような有名な作品ではないが、隠れた名曲として愛している人は多いと思う。
Vladimir Lazarescuさんがつくっているサイト「The Beatles Music」によると、アルバム「Revolver」に収められている「For No One」がレコーディングされたのはちょうど40年前の5月19日だったらしい。
「For No One」の歌詞には``I"が出てこない。``You"と``She"の破局をクラシカルな伴奏で渋すぎるぐらいに淡々と綴るこの曲を作ったのが当時23歳の青年だったことを考えると、改めてポールそしてビートルズの才能、可能性の豊かさに思いを致さずにはいられない。
Your day breaks, your mind aches
You find that all the words of kindness linger on
When she no longer needs you
She wakes up, she makes up
She takes her time and doesn't feel she has to hurry
She no longer needs you

And in her eyes you see nothing
No sign of love behind the tears
Cried for no one
A love that should have lasted years

You want her, you need her
And yet you don't believe her when she said her love is dead
You think she needs you

And in her eyes you see nothing
No sign of love behind the tears
Cried for no one
A love that should have lasted years

You stay home, she goes out
She says that long ago she knew someone but now he's gone
She doesn't need him

Your day breaks, your mind aches
There will be time when all the things she said will fill your head
You won't forget her

And in her eyes you see nothing
No sign of love behind the tears
Cried for no one
A love that should have lasted years
「Revolver」でのポールの作品(もちろん名義はすべてLennon and McCartney作)は、凡作にもかかわらずなぜかLP時代B面1曲目という好位置だった「Good Day Sunshine」を除いてすべて名作揃いだったが、夢の中の恋模様のように浮遊感あふれる「Here, There And Everywhere」と対照的な「For No One」の存在は、ビートルズの「大人っぽさ」を印象付ける上で欠かせないレパートリーだった。
今にして思えば、前作「Rubber Soul」でのジョンによる「Norwegian Wood」が、乾いた大人の恋愛をニヒルに描いたことに対するポールなりの回答がこの曲だったのではなかろうか。アレンジが通常のロックバンドの編成から離れていることも共通している。

失恋、破局の歌をポールがどれだけ作っているかは数えたことがないが、かつて「For No One」で描いた普遍的な風景が40年の時を経て自らの家庭で再現されたことに、彼もきっと何かを思ったことだろう。
posted by NA at 16:48| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月18日

オペラとわたくし

久しぶりにオペラ歌手らによるリサイタルなぞに行ってしまったよどんどん。ガラ・コンサートというほど大袈裟でない気楽な催しで、インターミッションにはワインやお菓子などが振る舞われるという気の利いた趣向である。
4人出演した中でも、ことに売り出し中の若手テノールがなかなかよろしかった。お代わりワインのほろ酔い気分で楽しい2時間を過ごす。

シンギング・マッシーンとしてのオペラ歌手のものすごさは前にもどこかで書いたような気がするけど(書いてないか?)、声量の大小にかかわらず中規模ホールの後ろの方(おれの席)でも耳元で囁くかのようにきっちり焦点を結ぶ発声技術というのは本当にどうなっているのか、金梃子で軟口蓋こじ開けて仕組みを見てみたい気がする。

客席はおばさん率95%。この時間男どもは何をしているのだろうか。ふだんの自分を考えればすぐ答えは出るんだけど。
タグ:オペラ
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2006年04月28日

Lone Rhino(Adrian Belew)

1982年の作品らしいからもう四半世紀近く前になるわけだ。われながら歳を取ったもんだよまったく。
エイドリアン・ブリュー初のソロアルバム。アナログディスクで持っていたが、たまたま見かけて懐かしさのあまり購入。現在は第2作とのカップリングで売られているらしい。

発表当時は変態技巧ギタリストだ何だとロック界の異分子扱いされ(確か日本のCMにも出演して得意技のエレファントギターなどを披露していたように思う)、復活クリムゾンではイメチェンの責任を負わされていわれのない非難を浴びていたように記憶しているが、それも今は昔の話。改めてこの1作目を聴いて、曲と演奏の良さに感心した。もっと聴かれていいアルバムだと思う。

いい意味でラフなサウンド。当時は意識しなかったが、プログレよりもむしろアメリカン・ロックの伝統を色濃く受け継いでいる。
ファズやフィードバック、ワウペダルを駆使して動物の咆哮をシミュレートした独特のギターテクニックは、今も新しさを失っていない(他に誰も真似してないからだろうか)。カキカキのアルペジオを撚り合わせたクリムゾンの精密なギターアンサンブルとは対極にあるような、野太いサックスを中心にルーズなビート(確かドラムもブリュー自身が叩いてたはず。違ったらごめんなさい)を聴かせる「Stop It」「Swing Line」、うまくはないけど味のあるボーカルで泣かせる歌詞を歌う「Man in the Moon」「Animal Grace」に表題作などなど、聴かせどころ満載のアルバムだ。「Naive Guitar」なんて昼寝のBGMには最高だと思う。

2作目「Twang Bar King」は初めて聴いた。ビートルズのカバー「I'm Down」の弾けっぷりに苦笑しつつ、まあ並のアルバムかなあ、という感じ。様々な実験性は窺えるものの、ポップでラフで何か変、が絶妙のバランスでまとまったソロ第1作がよくできすぎていたのだから相対的に見劣りするのはしょうがない。

しかしまあ、少年というか餓鬼の頃聴いていたミュージシャンが、自分が社会人になっても相当なオヤジになってもなお一線で活動し続けているとは到底想像できなかった。若い日に出会った音楽からは、なかなか離れられないものらしい。
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2006年02月24日

ピンク・フロイドBBCアーカイブス

備忘録として。といってもすぐダウンロード不能になっちゃうだろうけど。
以前「The Lost Gaucho」が載っていたBigO Worldwideで、「原子心母」(直訳タイトルに違和感覚えて幾星霜)とか「エコーズ」あたりのピンク・フロイドのライブ(``As far as we can ascertain, none of these tracks have been officially released."だそうだ)がダウンロード可能になっている。
古き良きプログレの愛好家は注目されたし。さほど愛好家でもない私は、昔は演奏者をいっぱい動員できたんだなあ、とかどうでもいいところに感心してしまいました。
posted by NA at 01:04| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月19日

スクリティ・ポリティ再始動か

調べものをしていて、Wikipediaで見つけた内容。スクポリを名乗るかどうかは微妙らしい。
In early January 2006, Gartside and a new incarnation of Scritti Politti, billed as 'Double G and The Traitorous 3', played a low-key show in Brixton, London. This was Gartside's first live appearance since 1980.
A new album is due from Gartside on the Rough Trade label in April 2006 - although it is unclear presently if this will be under the 'Scritti' banner.
最近のグリーン(美青年ももはや50代。おいたわしや)のライブの画像はファンサイトScritti Cola!で見られる。
ここで聴ける音が新作なのかどうかわからんが、なんかあまり緻密でないサウンドを志向しているみたいだ(まあ前作もそうだったけど)。

思えばかの名作Cupid & Psyche 85はもう20年以上昔であったか、と改めて嘆息。C&P85とProvision(輸入版しかないのか!)は80年代ポップスのひとつの到達点だったといまだ信じて已まない。ふたつありますが。

まあ、才人グリーンとの再会をあまり期待せずに待とう。

ところでXTCもデモ集ばっか出してないで早いところ新作をリリースしてほしいものです。
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2006年02月07日

マイケル・センベロ

って言っても知らない人が多いでしょうが、80年代に一瞬ヒットした「フラッシュダンス」という映画の中で「Maniac」という曲を演ってヒットを飛ばしたミュージシャンがいたのですよ。

映画の主演女優がその後全然評判を聞かない一発屋で終わってしまったのと同じく、マイケル・センベロもこの1曲だけでヒットチャートからは消えてしまったが、その「Maniac」を含む彼のソロアルバム「Bossa Nova Hotel」(amazonでは在庫切れの模様)は実は隠れた名盤だったのだ。学生時代にカセットに入れてよく聴いていたものだった。
ドナルド・フェイゲンの「The Nightfly」ほどの変化球ではないけど、アメリカに生まれ育った少年の憧れを様々な物に託して歌うスタイルは滋味深く、音楽的にも様々な工夫が凝らされていて飽きなかった。
ときどきふと聴きたくなり、ディスクが復刻されることはまずあり得ないだろうから中古ででも出ていないかな、と思っていたのだが、それがなんと本人のウェブサイトでソロアルバム全曲のMP3が公開されていたのだった。うわー太っ腹。

「Automatic Man」「Cowboy」「Godzilla」あたりのがちゃがちゃしたサウンドは今聴いても十分面白い。贅沢な遊びだ。もちろん、大ヒットした「Maniac」も聴ける。ありがたや。
サイトを見ているとマイケル本人はその後アジア趣味な人になったらしく、デザインなどにはやや不安を感じさせるものがないでもないが、とりあえずは名曲との再会を喜ぶとしよう。
posted by NA at 03:02| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年01月26日

ドナルド・フェイゲン「Morph the Cat」が3月7日発売

ようやくフェイゲンMLから公式アナウンスがあった。13年ぶりのソロワークは「ナイトフライ」「カマキリアド」に続くトリロジー完結作とかで(初めて聞いたぞそんな話)、今作のテーマは「晩年」らしい。
NEW SOLO ALBUM
Morph The Cat, the eagerly anticipated new solo album from Donald, has been set for release March 7th on Reprise Records.

Featuring nine new songs written and arranged by Donald, Morph The Cat is his first solo album since 1993's Kamakiriad and the final installment in a de facto musical trilogy that began with The Nightfly in 1982.

"The Nightfly is sort of looking from the standpoint of youth," Donald explains. "Kamakiriad would be more about midlife. This new one is about endings, really."
「蛾」を名乗るDJらによる50年代精神史、エコカー「カマキリ号」叙事詩に続く本作は、果たして猫のモーフちゃんの物語なのかどうなのか。
Morphという言葉には変身、変形の意味もあるが、眠りの神モルフェウスやモルヒネの匂いもする。どんな仕掛けが施されているのか楽しみだ。

米国ツアーのスケジュールはこちら。⇒Donald Fagen
夏ぐらいに日本にも来るんではなかろうか。
posted by NA at 15:59| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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