2016年10月08日

ムーンライダーズ活動休止休止に思う

なんとブログがまだ生きていたので書く。いつまでもあると思うな無料ブログ。

「ムーンライダーズ」40周年、走り続けるその先に 鈴木慶一(後編)
――ムーンライダーズは2011年、無期限で活動を休止しました。そして今年、「活動休止を休止」し再始動します。休止、活動を再開した理由は?
 ドラムのかしぶち(哲郎さん)の体調が悪くなったこともあったんだけど、11年がちょうど休憩の潮時だったと思う。そして今年、幸宏から「ワーハピ(高橋幸宏さんがキュレーターを務めるフェス「ワールド・ハピネス」)にムーンライダーズで出ない?」と打診され、じゃあ結成40周年だし今年いっぱいはやろうか、と。でもね、全国6カ所7公演のツアーはかなりハードだと思う。大丈夫かなぁ。死者が出ないようにしないと(笑)。
ああよかった、またライダーズを聴ける見られる……というふうに素直に感動できないのは、やはり五年前の活動休止宣言に少なからずダメージを受けたからで、あのときの私の落ち込みを返してほしい、という割り切れない思いが先に立つからだ。
彼らは決して「解散」という言葉は使っていなかったので、はなからいつでも活動を再開するつもりだったのかもしれない。「もう会えない」と思い込んだ側の責任だ。そしてかしぶち哲郎(故人となってしまった。嗚呼)の体調不良が休止のひとつのきっかけだった、ということも割とあっさり明かされてしまって拍子抜けした。
もともとライダーズはしばらく沈黙した後思いついたようにアルバムを出し、またしばらく開店休業状態になる、ということを十年以上繰り返していたので、今回はちょっと長めのブランクに過ぎなかったのかもしれない。
でもなあ。

思春期の乙女ではないので、あのとき流した涙を返してくれとは言わない(泣いてないし)。でも、活動するならするでただの懐メロバンドになってほしくはない。五年分の何か(進化でも劣化でもいい)を今のタイムスタンプが刻印された歌として残して、そこからまた休むなり何なりしてほしいと切に願う。むかし書いた気がするが、私にとってのライダーズは共に現在進行形で年老いていく存在であり、思い出の中で美しく輝くバンドではないのだ。勝手な言い分であることは承知。

先行・一般でチケットを買いそびれたのでこのあとどうしたものかだが、それでも恐らくどうにかこうにか手を尽くして私は中野サンプラザに行くだろう。馬鹿者めが。
ものごと100%の喜びなんてない。でもぶつくさ言いながら、それでもカレンダーに印を付けて十二月を待つのだろう。あなたたちの老化を見届けるために。
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2011年12月26日

ムーンライダーズの終着点

三十五年目にして無期限活動休止を宣言するとは、何とも彼ららしいと言えばらしい意表の突き方だった。ムーンライダーズがついにその活動を終える日が来たのだ。
厳密に言うと用語としてはあくまでも「休止」であって解散ではなく、また年末ぎりぎりまで活動予定は残っているので、今の段階ではまだ現役のバンドだ。だが、12月17日の中野サンプラザ公演は多くのファンにとっては彼ら全員の姿を直接目にする最後(と言おう)の機会だったに違いない。私もそこに足を運んだ。

五年前の「晩秋のジャパンツアー2006」のエントリで私は
次は35周年の前後でまたぱーっと活動するのだろうか。そしたら今度はCDの次世代メディアで再発ラッシュになるのかな。ともあれ私は、きっとまた彼らの愉快なライブに、同じだけ歳を重ねて行くことになるだろう。少し先を行く彼らの姿を追って。
ムーンライダーズがこの世にあって本当によかったと思う。
などと牧歌的なことを書いていた。若い頃からもともと熱い野心とは無縁のバンドだったので、この先ものらりくらりと老人ロック年金ロックの道をたほたほと歩んでいくのだろう、と勝手に信じていた。だから正直、今回の停止だか事実上の解散だか(わからない)がまだ納得できていない。

サンプラザ公演自体は、近年の若いミュージシャンによるリスペクトで知ったらしい組やはちみつぱいから追っかけてましたみたいなお年寄りもいたりと老若男女入り交じった多様な構成の観客層だったのが災いしたのか、満席だけどノリがいまいちという居心地のよろしくないオーディエンス環境だった。どうも調子が狂う。いつも以上の物販の長い列に心乱されて、自宅にターンテーブルもないのに暫定ラストアルバム「Ciao!」のLP盤\4,000を買ってしまったのは内緒である。
それでもライダーズ(このところのレギュラーメンバーだったサポートドラマーの夏秋文尚を含めた7人編成)は、ライブの常でおなじみのナンバーに新曲もきっちりやってラストは再び懐かしソングで盛り上げてくれた。聴きたい曲をあれもこれも全部やってくれたわけではないが、その要求に応えていたら夜明けまで演奏が続くことになるだろうから仕方ない。
最新作「Ciao!」は思いのほか馴染みやすい仕上がりで、昔からこういうアルバムばかり出してたらもっと売れていたであろうに、と思わされる傑作だったが、ライブでもそのサウンドを見事に再現していたのが出色。とりわけかしぶちさんの「ラスト・ファンファーレ 〜The Last Fanfare〜」は大陸的なスケールの大きい旋律と懐かしい言葉が繰り出され、ずっと前から知っていたと錯覚させる名曲。目頭が一瞬熱くなった。

だがそれ以外は湿っぽさとは無縁のステージで、新作からのラストナンバー「蒸気でできたプレイグランド劇場で」のあっけらかんとした調べで最後のライブはお開きとなった。そして驚くべきことに客がみんなおとなしくぞろぞろ帰っていくではないか。我々はここで「くれない埠頭」を力の限り合唱してメンバーを呼び戻すべきではなかったのか。だがそんなことをする者はなく、淡々と現実を受け入れて中野の夜は終わったのだった。

以来一週間、私はいつもに増して腑抜けの日々を送った。この先もそうかもしれない。ライダーズを失ったこの先の人生がどういうものになるのか見当がつかない。
よく考えれば(よく考えなくてもそうだが)ライダーズ成分が人生に占めていた割合というのは決して高くなかった。数年に一度、太陽黒点に連動して活発化する音楽活動に付き合ってディスクを買いライブに行ったり行きそびれたりしていただけだったのだから。この先活動再開する可能性は(低いだろうが)ゼロではないので、とりあえずは前と同じようにライダーズなしの日常に戻るだけの話ではないか。
だがこの胸に穴が空いたような感覚は何なんだろう。やっぱりつらいな。

特設サイトの鈴木慶一ロングインタビューを読んで改めて思ったのだが、少なくとも鈴木慶一は未だにビートルズをはじめとする海外のロックからの多大な影響下で音楽を作っていて、楽曲のしかるべき部分についてすぐに「これは誰それの何何で……」というフレーズが口をついて出る。熱心なフォロワーはいわばその元ネタも含めて聴いて愛しているのだろうけど、私は正直そのへんは(ビートルズはともかくとして)あまり関心がなくて、ライダーズというプリズムでねじ曲がり集光されて出力された輝きだけを愛でていたのだと思う。そのへんがもどかしくもあり、いろいろな意味でもったいなくも感じる。
思えばライダーズぐらいスタイルにこだわらずに音楽活動を続けてきたバンドも稀ではなかろうか。その時代その時代に鈴木慶一らが面白いと思ったサウンドを柔軟に取り入れ、しかしそういうものは往々にしてマニア以外には受け入れられなくて人口に膾炙するには至らず、そうこうしているうちに次のムーブメントを見つけてそちらへと走り出し、以下繰り返し。今回のアルバムもその振動の中で生まれ、それがたまたま最後になってしまったかのような印象を、インタビューを読んで思った。歌詞やタイトルの一部に終焉の色を匂わせつつも、全体としてはポジティブなトーンを失っていないのはそのためなのだろう。

彼らは自分たちにとって面白いことをやり続け、たぶんそれが何かの事情(明らかにされてはいない)によって一段落してしまった。そのための活動休止宣言なのだろう、と部外者としては推測するほかない。
もしかしたらムーンライダーズの価値をわかっていないのは本人たちなのではないか、と思ったりもする。もちろん彼らもこの先続けられるのならば続けたかっただろうけど、彼らにとっての音楽作りはどこかファン活動的、ライダーズ用語で言えばアマチュアの匂いがする。しかし私たちは人生の様々な局面で彼らの作った虹色の音楽の好きな部分に心を撃ち抜かれ、そこから離れられなくなってしまっていたのだ。その音楽はディスクで再生し続ければいいだろう、という問題ではない。我々にしてみれば、ムーンライダーズの音楽の本質は、ライブで共に年老いていく音楽というところにあった。懐メロを懐メロとしてでなく、一緒に過ごした年数だけ歳をとった音として彼らは提示してくれていた。一度ディスクに録音された音は未来永劫残るものの、今回失われるのはまさにその変化の可能性の部分だ。
もはや彼らの音の成長はない、という事実が胸を締め付ける。

私は何かを失うといつもおろおろしているようだ。今回もそうだ。答えはない。対処法はない。でもこのままではいられない。どうしたらいいのだろう。途方に暮れて年が暮れてゆく。
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2010年08月13日

最高のキーボード・アルバム「i」と最低の男の思い出


初めて聴いたのは高校のときだったろうか。「とにかくすっげえうるさいアルバムがあってさあ」と洋楽通の友人が押し付けるように貸してくれたのが、パトリック・モラーツの「i」(Story of i)だった。

パトリック・モラーツ(モラツと呼ばれることもあったような)については一時期イエスのキーボーディストだった人という最低限度の認識しかなく、だいたいプログレッシブロック自体あまり好きではなかったので、彼が参加した「リレイヤー」自体も当然ながら聴いていない。1980年代中頃は音楽好きの間でもプログレなんて言ったら笑われる、そんな時期だった。

レコードジャケットとスリーブの字の多さに辟易して、借りてから実際に聴くまでには若干日にちがあいた。ようやく針を落としたのは、そろそろ返そうかな、と思った頃だったと思う。
驚いた。リオ・デ・ジャネイロのパーカッショングループをフィーチャーしたサウンドは前評判通りのうるささだったが、喧騒の中を縫って紡ぎだされた音数の多いミニムーグのソロの軽快さ、五線を自在にまたぐベンドホイールの巧みなコントロール、そして調性はもちろんテンポと拍子の不断の変化を交えながら超ノリのいい楽曲の見事な構成。多種多様なキーボードサウンドをごちゃ混ぜにするわ、現実音ノイズをエフェクト処理するわ、子供と大人の合唱は使うわ、リード旋律を多重録音しまくるわでぱっと聞きにはおもちゃ箱をぶちまけたような騒ぎだが、その実は整然とした構造の中でのドラマだったのだ。筋の通った狂気とでも言おうか。

巷にはラテンのリズムを取り入れたフュージョンが流行っていたが、この音の前にはすべてが色あせた。もはやプログレお得意の変拍子はただの跛行リズムでしかなかった。「i」においては、旋律が変拍子を希求し変拍子が美しい螺旋のような旋律を呼び込むのだ。これを奇跡と言わずして何と呼ぶ。
多少鍵盤を弾いていた者としては悔しくもあった。今からどう努力したところで、モラーツの指使いとベンドホイール扱いにはかないっこない。演奏者としてのおのれの非才に早々に見切りをつけてDTMの方に向かっていったのは、あきらかにこのアルバムのせいだ。
もちろんうまい鍵盤奏者は星の数ほどいる。でも、私が好きで創りたい種類の音楽を私が想像する以上にうまく創り弾いている人が現にこの世界にいる、ということを正面から認めざるを得なかったのはこのときが初めてだった。今思えばプロの音楽家になることを諦めた瞬間だったのだろう。

返却先延ばしを繰り返したが、残念ながらレコードは返さなければならなくなった。46分テープ(マクセルのは多少長めに録れた)に落として泣く泣く返した。同じレコードはどこの店に行っても見当たらなかった。店頭にあるときに買っておかないと手に入らないレコードは多かった。昔はそれが当たり前だった。テープは繰り返し聴けば聴くほど劣化する。でも繰り返し聴いた。何人にもダビングして配った。パトリック・モラーツには一銭の収益にもならなかったが、熱心に布教活動した。

会社員になってからようやくCD化された「i」を買った。発売予定を知ったとき、どれほどうれしかったことか筆舌には尽くしがたい。
付き合っていた娘のアパートに持って行って無理やり聴かせた。いかにすごいアルバムであるか熱弁を振るったが、彼女はテクノポップが好きだったのであまり趣味には合わないようだったが、それでも「ちゃんと聴いてみる」と預かってくれた。
私は多忙だった。仕事が終わった深夜に彼女のアパートまで車を飛ばして、セックスして仮眠をしたらまた仕事に出て行って、の毎日だった。彼女にしてみれば「i」を聴くよりももっと大事なことがあったに違いない。ある日、パソコン通信のメールで「もう来ないで」と絶縁を告げられた。夜遅く来て帰るだけのあんたっていったい何や。もういらない。
私は馬鹿だったので、急いで彼女の家に向かった。深夜のドアホンに応えて出てきた彼女に、貸したままの大事なCDを返してくれるよう頼んだ。こわばった顔で緑色のCDケースを持って出てきた彼女は、深夜なのに大きな音でドアを閉めたのでずいぶん近所迷惑だと思った。
傷でも付けられていないか心配になって帰路カーステレオでかけた「i」は、そんなに愉快ではなかった。

多少後ろめたさもあったのか、奥の方にしまい込んであった「i」のディスクをこの夏久しぶりに見つけた。若い頃と同じ興奮は帰ってこなかったが、それでも魅力的なアルバムであることは再認識した。
昔の彼女と一緒に家庭を築いて一緒にこのアルバムを聴いている光景を想像してみたが、脳裏に全然現実味のある映像は結ばれなかった。しでかした迷惑が大きすぎると、人は反省する気をなくすものらしい。

ものの本だかサイトだかで「i」は6,70年代にありがちなドラッグ体験を反映した音楽であると知った。自分で使ったことがあるわけではないが、類似の芸術作品と照らし合わせても、あの高揚(とりわけレコードではB面後半のメドレー)は確かにドラッグの影響を濃厚に感じさせる。音楽の毒で間接的に私も正気を麻痺させられていたのかもしれない。いや、もともと私はひとでなし因子を多分に持っているのだろう。音楽のせいにしてはいけない。

オートリバース機能つきラジカセからiPhoneにデバイスは変わったが、むさくるしい風体のモラーツの奏でる天駆けるメロディーの奔放さは変わらない。少なくともCDは失わずに済んだのだからよかったではないか。
ディスクは再発に次ぐ再発でいつでもどこでも入手できるようになり、さらには音楽自体デジタル化によってどのようなかたちでも保ち得るようになったのではあるが。

音楽に対する切実さが最近なくなったな、と思う。今聴かねば、今買わねば永遠に失われ損なわれてしまうという畏れの感情がなくなって久しい。
親しい誰かと逢う、という行為もいずれ切実さを失っていくのだろう。いや、もう既にあらかた失われているのかもしれない。
一人称単数「i」の物語はこの先、どのようなかたちに変わっていくのだろうか。
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2010年01月09日

東響定期@サントリーホール

またベートーベンの第七交響曲を聴いてしまった。サントリーホールにて東京交響楽団の第574回定期。東響定期は一年ぶりである。

最初のシューマン「序曲、スケルツォとフィナーレ」は安心して眠れた(こら)。綺麗だけど、まあそれだけの曲だと思う。ただの客入れ音楽なのか、どういう狙いがあったのかわからないが、昨年もそういうプログラミングしていたと思い出した。

続いて英国の中堅作曲家フィトキンのピアノ協奏曲「Ruse」。本日一番期待した委嘱作品で日本初演。でも世界初演は昨年12月にイギリスで行われていた模様。別に最初にやった団体がえらいわけでも何でもないが、名曲かもしれない新作を他で先に演奏されたらちょっと悔しくはないか、と余計なことを考える。
編成は独奏ピアノと弦楽にティンパニ(奏者は二人でやたらいっぱい並べてあった)。ソロのキャサリン・ストットはストイックに音符の多いスコアを再現し、最後までペースを乱さなかった。というか、もともとペースはそんなに変わらない曲だったりする。三者入り乱れてのドカシャバぎこぎこカリコレラ大会が突然静まってはまた復活し、というあたりがruseすなわち「策略、計略」たる所以か。
シンプルな編成でのモノトーンの執拗な反復が作曲者の表現意図だったのかどうか、いかんせん音色のバリエーションに乏しいため、次第に当方の音楽脳の反応が鈍感になり「あーまた止まった、また動いた」ぐらいしか考えなくなってしまってどうもすみません。タコじゃないけどトランペットの一本でもあればまた色彩が変わったろうになあ。終わりの方はクライマックスを作るのに苦労していたように思った。部分部分は面白かったのだが、少々期待はずれではあった。

で七番。先月読響で乱暴極まりない絶品の演奏を聴いていたため、今回の大友直人の演奏は端正ではあるが面白みに今ひとつ欠けた。協奏曲でおやすみだった金管が集中を欠いたのか音を外したりぶわーっと行き過ぎたりで、どうもしっくりフィットしていなかったように思う。とりわけホルンの音程が気になった。大谷康子コンマスの奮闘(四楽章での嬉々とした刻みは見ていて楽しかった)あってか弦はなかなかいいノリでスウィングしていたのに残念だった。大谷さんは個人的に好みなので次もがんばるように。
ラベル:東京交響楽団
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2009年12月16日

すばらしきアホの交響曲第七番

官僚な人からまたまた読売日本交響楽団定期@サントリーホールのチケットをいただく。先月にも同じ読響のシュニトケづくしを聴いたのだが(感想未記入。気が向いたら書くけど、なかなかの演奏だった)、今度はフィンランドからアホの交響曲第七番+ベートーベンの交響曲七番、というラインアップ。
今宵の指揮はオスモ・ヴァンスカ。細身で長身、という北欧イメージそのままの指揮者で、体を大きく使うシャープな棒さばきに見とれた。背を二つに折って低い位置から音を掬い上げるような所作が美しい。絵になる指揮者だ。


現代音楽家アホの曲を聴くのは初めてだ。予備知識のないまま、「この曲も今回聴いたら一生二度と出会うことはないのだろうなあ」と思いつつ着席。最近そういう曲ばかり聴いてるし。
パンフレットでもともとがオペラ作品だったと聴いてさらに期待度は低減する。言葉や所作抜きで舞台作品を聴くのはしんどいよなあ。まあベト七で盛り上がればいいや。

違いました。いやーこりゃ面白い面白い。冒頭楽章は変拍子で打楽器どんどこのよくあるゲンダイオンガクの予感で始まったのだが、複雑に綾なす管楽器との絡みが起伏に富んでいて実に愉快。指揮者の情報量の多いキューに応えるオケの妙義を堪能した。
そしてオーケストラをこれでもかこれでもかとフルに鳴らしきる過剰な音響が実にライブ向きでよろしい。六楽章中頂点の乱痴気騒ぎである五楽章では二階両サイドに配置されたトロンボーン二本ずつのバンダもここぞとばかりに吹きまくり、サントリーホールの広大な空間が飽和しそうになるぐらいだ。
きっと楽界では十分名を成した作曲家で、拾い物扱いしたら失礼になるのだろうが、うれしい誤算だった。作曲から二十一年経っているため最新とは言えないものの、十分新しくなおかつ意味のある音楽だったと思う。ずっと前にメシアンの「クロノクロミー」を聴いたときと同じぐらい感動した。読響ぐらい高性能なオケでなくてはなかなか難しいレパートリーだとは思うが、ぜひ他の所でも舞台にかけてお客を驚かせてほしいものだ。作曲者のアホ本人も来場していて、盛大な拍手を再三浴びていた(名前を呼ぶ人はいなかった)。よかったねえ。


ベト七も極上。オスモ・ヴァンスカの指揮は曲間に余韻を残さない快速な演奏だった。一楽章も指揮台に立ったと思ったらいきなり始まり、オケも意表を突かれた様子で若干入りが乱れたぐらいだ。でもそこがよい。四楽章では弦の楽譜に特殊奏法記号でも書いてあるのかと思えるほどノイズでまくりの激しいボウイングを強いて、でこれがまた実によろしい。限界まで煽る棒にオケもよく付いていった。弾むリズムに思わず体が動きまくりましたよわたくし。いつものことながら後ろの席の人ごめんなさい。
食傷ぎみの年末興行でも、オスモ・ヴァンスカの第九なら行ってもいいかなと思える、そんな演奏会だった。読響はもっと彼を呼びなさい。
posted by NA at 11:01| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月18日

大植+大フィルのマーラー五番

省庁勤めの知り合いが「行けそうになくなったから」と演奏会のチケットをくれた。ラッキー。中川財務相ありがとう。
大阪フィルハーモニー交響楽団の第46回東京定期演奏会@サントリーホール。指揮は大植英次で、プログラムは前半がモーツァルトのピアノ協奏曲第九番「ジュノム」(副題のJeunehommeは人名由来らしい、ってことは和訳すると若人あきらか)、後半がマーラーの交響曲第五番嬰ハ短調。

「ジュノム」の独奏はジャン=フレデリック・ヌーブルジェという初めて聴くピアニスト。たぶんモーツァルト弾きとしてはごく常識的なレベルなんだろうけど、饒舌で洒落ていて楽しい、極めてモーツァルトらしいピアノ協奏曲を堪能した。ことにハ短調でうたわれる二楽章アンダンティーノ(リンク先は新モーツァルト全集の楽譜。便利な時代になったものだ)の清澄な美しさは格別だった。
モーツァルトの協奏曲は徹頭徹尾、実演時の受けを考えて作られているなあ、と聴く度に思う。この曲でもプレストのロンド楽章の途中で緩徐パートを挟み込み、速度を再三加減したあげくテンポプリモするところなどは、聴衆をじらしにじらして楽しみ楽しませる気障な作曲家兼独奏者の姿を彷彿させる。
ヌーブルジェはアンコールにドビュッシー「月の光」も弾き、再三のカーテンコールを受けていた。

で、問題はメインのマーラー。何というか、とにかく緊張感溢れる演奏だった。
大植英次は主題を、とりわけ初出のときには刻み込むように至るところアクセントだらけにして細かく細かく彫琢する。ために音楽は水のようには流れずむしろひたすら滞る。マーラーの六番以降の深刻で神経質で分裂的な音響を、本来明晰で美しいはずの五番の世界に移入したような、そんな演奏になっていた。

弱音を余すことなく響かせるホールの特性もあるのだろうが、どるどる流れる太鼓のロールや旋律の流れに抗するスパイクのようなピチカートなどノイズ成分がやけに耳に残る。三楽章スケルツォも諧謔からは遠く角が立ちまくり。甘美さで知られるアダージェットはあたかも九番四楽章のような張りつめた空気の中で奏でられ、ハープの音はパルスのように正確なタイミングで発せられることが重んじられる。そして曲間の沈黙の重いことよ。
まさかそういう演奏になるとは思わなかったため正確に時間を計っていたわけではないが、おそらく全五楽章で一時間半近くかかったのではないか。CD一枚では入らないかも知れない。

この日の演奏では実演に基づいてマーラーが修正・指示を細かく入れた内容を反映させた校訂譜を使ったらしい。主題の誇張ともいうべき強調ぶりはそれに則っているのだろうが、どうも指揮者マーラーが作曲家マーラーに介入し過ぎている気がしてならないのだが。

指揮者の芝居がかった素振り、団員の緊張が伝わってくる熱演(与えられた役回りの重要さゆえ当然かもしれないが、一番トランペット奏者の顔の紅潮ぶりは大変なものだった)で聴く側も全身硬直状態だった。気のせいかもしれないが館内の雰囲気もふだん在京オケを聴くときとはかなり違っていて、終結後の爆発的な拍手と叫び声混じりのオベーションには東京のクラシック好き大阪人大集合かという趣があった。大フィルというブランドの力であろうか。
アンコールで披露されたモーツァルト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」も客が安直に聞き流すことを禁じる厳粛さの中で演奏され、最後の音が消えてから大植氏が腕を下ろしきるまで果たして何十秒かかったやら。ホール外に出たときには午後10時を回っていた。

大フィルを実演で聴くのは初めてだ。東京公演には並々ならぬ覚悟で臨んでいるのか、指揮者の音楽への過剰な集中ぶりが感染したのか、総じて気合いの入った演奏だったと思う。弦は対向配置でコントラバスが舞台正面後ろにずらりと並んでいた。コンマスの奮闘ぶりがなぜか印象的。顔を真っ赤にして頑張ったトランペットは好演だったがホルンはもうちょっとアンサンブルをきっちり揃えてほしい感じ。モーツァルトの時にもデリカシーの不足を覚えた瞬間があった。

とにかく濃厚な時間を過ごしたという印象。マーラーは細部の表現にこだわったあげく「あれもあってこれもあって、とにかくいろいろなことがあるよね」という感じで全体がひとつの像を結ばず、正直私の趣味とは違っていて毎日聴きたいとは思わない演奏ではあったが、特色あるオーケストラが東京以外で頑張っているのはいいことだと思う。引き続き熱演を続けてほしいものである。
終電の関係でか、演奏が終わると同時に一斉に席を立って帰って行った人々と、延々拍手を送り続けていた二階席の聴衆のコントラストがなぜかはっきり分かれていた。演奏後の大植氏の充実感に満ちた表情、拍手を受け止めるかのようなゆっくりとした所作と共に記憶に残った。

溜池山王駅に向かっている途中、携帯で中川財務相が即日辞任したとのニュースを読んだ。演奏会の直前だったらしい。我々がこゆい演奏を聴いている間に、1キロ先の国会あたりでは国政を揺るがすどたばたが繰り広げられていたことを思うと複雑な気分になった。まったく世の中では同時にいろいろなことが起きている。

追記(2009/03/24):
asahi.comに大阪フィル音楽監督・大植英次さんの母、英子さん死去との記事が出ていた。
大植 英子さん(おおうえ・えいこ=大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督・大植英次さんの母)が22日死去、80歳。通夜は24日午後6時、葬儀は25日午前11時から広島市佐伯区五日市中央7の3の10の平安祭典広島西会館で。喪主は夫次郎さん。
詳しい事情はわからないが、葬送行進曲から輝かしい復活へと至る音楽を無邪気に歌わなかったこの日の重い演奏は、もしかしたら指揮者の心境が反映していたのかもしれない。
posted by NA at 02:14| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月29日

東響定期にも行ってみた

このところの都響シリーズが不完全燃焼ぎみだったので、むしゃくしゃして連日のサントリーホール通いを敢行してしまった。いわゆる名作や有名どころがひとつもない、聴き手を選びそうなプログラム。ところが予想に反してこれが結構面白かったのだ。

東京交響楽団第563回定期、指揮は桂冠指揮者の秋山和慶(名前を見るたび和尚さんみたいだなと思い続けて数十年)。前に東響を聴いたときはまだ音楽監督だったはずだから、ずいぶんご無沙汰していたことになる。
オードブルの小編成弦楽によるシューベルト「五つのドイツ舞曲」は、席が前の方だったこともあって粗ばかりが聞こえ、楽曲も綺麗だけど単純な構成。オケで弦楽四重奏をやるならば中途半端なサイズにせずに大編成で別物にすべきだというのが私の年来の持論。これだったらヴェーベルン編曲の「ドイツ舞曲」の方がよかったのに、東響つまんねいな、とか思いつつ三曲目から安眠モード。


しかし、次のバーバー「ヴァイオリン協奏曲」で目が覚めた。当初はコリヤ・ブラッハー(元BPOのコンマス)のソロでシェーンベルクのコンチェルトが予定されていたのが急病とやらで差し替え(クラシック演奏家の病気についても追跡調査が必要だと常々思う。モンゴルでサッカーやってたり)になったプログラムではあったが、やはりこういうときは火事場の馬鹿力が発揮されるのか、独奏も管弦楽も実に充実した内容だった。
渡辺玲子はシノーポリと録音したベルクの協奏曲が絶品だったので今度はシェーンベルクをやってくれたらよかったのに、と思わなくもなかったが(ベルクと違って滅多に聴ける曲ではないので)、バーバーも意外と侮りがたい佳作ではあった。シェーンベルクとは対照的に、二十世紀の作曲家にしては穏健な作風というか超保守的だったバーバーだが、叙情的な旋律の魅力には捨てがたいものがある。そして協奏曲ならではの妙技もしっかり聞かせてくれて、とりわけ三楽章の全部トレモロみたいな無窮動は「いつまで続くんだこれ」と心配になるぐらいソリストに負荷をかけっぱなしの大ギコ大会。それを渡辺玲子は暗譜で見事に弾ききった。こういう機会でなければ出会う曲ではなかっただろう。いい曲に巡り会えた。


そしてデュティユーの交響曲第一番。冒頭コントラバスから音楽が湧き上がってくるあたりから傑作の予感を覚え、都合三十分を飽きることなく集中して聴き終えた。
テュッティの捉え方がドイツ音楽とフランス音楽とでは根本的に違う、とかねて思っていたのだが、デュティユーのこの曲における総奏もまさしくそれで、ブルックナー的にあらゆる音が溶け合ってオルガンのようにそそり立つ大伽藍を構成するのが私の勝手に理解するところの「ドイツ音楽」であり、かたや様々な構成要素が同時に声高に自己主張するのがフランス的なテュッティなのだ。コントラバスが常にルートを弾いているとは限らない。調和と混沌、と単純に分けては乱暴に過ぎようが、ともあれデュティユーのこの作品にドビュッシーやラヴェル、プーランクらから受け継がれたであろうフランス音楽のエスプリを濃厚に感じ取ったという次第。名曲である。

秋山和慶の指揮は昔と変わらず端正。長年の共演ということもあってかバーバー、デュティユーでの呼吸はぴったり合っていた。一方、ふだんの事情はわからないが客席はそれほど埋まっていなかったようにみえたのが残念。渋すぎるプログラムゆえ仕方ないとは思うが、引き続き応援していきたいので東響はがんばるように。
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2009年01月28日

都響定期にまたまたまた行ってみた

というわけで現代音楽の素人がよせばいいのに都響第675回定期にまた行ってしまった。場所はサントリーホール。


残念ながら一柳慧の音楽は肌に合わない。演奏された二曲「循環する風景」「アンダーカレント」を聴いてそう思った。名人技というにはあまりにも機械的に過ぎる音の運動。印象的な旋律を形成するには至らない動機の反復と堆積に、高揚よりも苛立ちを覚える。
ヴァイオリン独奏の山田晃子の眼鏡には萌えたが、それ以上の価値は見出し得なかった。<おい

ケージのバレエ音楽「四季」。ふつうと言えばふつうの音楽。点描風に奏でられる抑制的な響きにヴェーベルンの影を感じたりしたが、作曲年代(1947年)を考えればむしろ当然か。


日本初演のコリリアーノ「ファンタスマゴリア」は、同時代の音楽であることと聴衆を逃さぬポピュラリティの間での落としどころを模索したような作品。自作オペラ「ヴェルサイユの幽霊」を再構成した組曲で、ロッシーニやモーツァルトの旋律が織り込まれるほか、解説によればヴァーグナーも出てきたらしい(わからなかった)。折衷的だが、違う年代の様式を同居させてひとつの音楽として楽しませる技術はさすがだ。ベリオ「シンフォニア」のような混沌はそこにはない。

この人の作品は以前、ハイドン「告別」を裏返しにしたような「プロムナード序曲」を聴いたことがあった。引用を前提にした音楽を聴くと、もはやまったく新しい音楽というものはないのだな、という思いを新たにさせられる。録音媒体の発達で過去の全時代の音楽をすべてフラットに享受できるようになった現代の聴衆は、代わりに同時代の音楽を失ったのかもしれない。多彩な響きのコリリアーノ作品を楽しみつつ(指揮のHKグルーバーも楽しそうではあった)、そんなことを思った。
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2009年01月23日

都響定期にまたまた行ってみた

昨年(これこれ)に引き続き、別宮貞雄のプロデュースする都響定期「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズを聴きに東京文化会館へと赴く。一年ぶりである。
今回は名曲の誉れ高い矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」をやるというのでこれはこの機会にぜひ聴かねば、と思った。ちなみに客の入りは結構よかったと思う。矢代協奏曲が目当てだったのだろうか。

午後に突然降ってきた仕事のために開演には間に合わず、冒頭のダニエル・ルシュールの「舞踊交響曲」は館内ロビーのモニター(なんであんなに音量を下げていたんだろう?)で聴く。
パヴァーヌやサラバンドなど舞曲の形式による小品を集めた弦と打楽器の曲。スピーカーから漏れてくる音に耳を傾けていたが、古典的な書法の中で激しい場面には「弦チェレ」以後の音楽の感触が一瞬感じられたりもするものの、総じて魅力に乏しくまあ満足に聴けなくても後悔しないで済む感じの音楽だった。この日の三作曲家の共通因数である「フランス」繋がりできっと何かプログラムビルディング上の必然性があったんだろうけど、あまりひねらずにふつうに楽しめる曲を持ってきてほしかったなあ。


で、お待ちかね「ピアノ協奏曲」の登場。第一楽章はささくれた金管群の弱音とヴィブラフォンがつくる音の雲の中、ピアノがぽげむたぽげむたぽげぽげぽげと主題を紡ぎ、少し行って立ち止まってはまた走り出す音楽。これを若き日の麗しい中村紘子が初演したのか、と少し意外な印象を受けた。今はカレー鍋煮ながらショパンを雑に弾いているわけだけど。第二楽章は硬直したオスティナートが威圧するアダージョで、第三楽章は序奏に引き続き皆さんお待たせしましたロンドですよさあ踊れ!という構成。

何というか、非常にそつのない音楽という感じがした。ピアノのヴィルトゥオーゾ的な見せ場は随所に配置され、管弦楽との場面の受け渡しも絶妙。たぶんピアニストとしても難度は高いものの挑み甲斐のある作品なのだろう。
と言葉を濁してしまうのは、この日の体験が決して感動を伴うものではなかったからだ。管弦楽はピアニシモからフォルティシモまで懐広くスコアを再現し、野原みどりのピアノもまたよく動きよく鳴っていたが、そこには規定されたコースを定められたタイムで走りきったアスリートのような退屈さもあった。というか、おそらくこの作品をはじめとする矢代音楽は後進の作曲家らの栄養として吸収され、そのイディオムは他の楽曲に変換されて既に普及しつくしているのだろう。こういう現代音楽はどこかであったな、と思う瞬間が多々あったが、聴くべき順序が逆だったのだから仕方がない。
三善晃のピアノ協奏曲を大学生の頃に予備知識抜きで聴いたときには「なにこのすげえチャンバラ音楽w」と大いに興奮したものだった。歳を経てすれっからしになると音楽を楽しむのが下手になるようだ。三善作品の暴走よりも矢代作品が均整を選んだであろうこともまた想像に難くないが。

休憩を挟んで別宮プロデューサーの交響曲第4番「夏1945年(日本の挫折と復興)」を拝聴。標題からはどんな恐ろしい音楽かと戦戦兢兢だったが、もともとアンチ前衛の別宮先生だけあって思いの外わかりやすく明るい作品だった。というかこんなに健康優良児的な終楽章でいいんですか、と思うぐらい屈託のないつくり。物事に拘泥しない気さくなマーラー。「解放」のフーガはそりゃもう解放されるってんだからフーガだよね、という極めて明快な楽想で、最後にチェレスタなどが主題を再現するあたりは「ああ、出る出る」という終結感に満ちた幸福なクライマックスを予感させて大変よろしゅうございましたが、しかしここでもまた三善の屍体散乱する合唱入り戦争作品などと照らし合わせてしまう私はどうしてこう物事を素直に楽しめないのだろうか。我ながら損な性格である。

まあこういう機会でもなければ決して出会わなかった音楽だろうから、長期にわたってこのような地道な企画を続けている都響には大いに賛辞を送りたい。石原に負けるな。
来週サントリーホールで行われるBシリーズ第675回定期は一柳慧(「とし」でちゃんと変換できた。ATOKが偉いのか?)の出番。「循環する風景」もまた聴いておきたい作品のひとつではあったが、さてさてどうしたもんだか。
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2008年12月28日

二台のピアノと打楽器のための協奏曲(バルトーク)

遅ればせながら購入。ドイツグラモフォンのブーレーズ指揮によるバルトークコレクションはこれで最後だという。主要作品は網羅し、その上「村の情景」「カンタータ・プロファーナ」などなかなか実演に触れにくい作品もいろいろ取り上げてくれていたのでありがたかったが、さすがに全作品はやらんよなあ。まだオーケストラ伴奏歌曲などで面白いのが残ってはいたので残念ではあるが。

というわけでこのディスクの目玉はやはり「二台のピアノの打楽器のためのソナタ」の協奏曲版。以前都響定期で聴いたときにも生演奏よりも録音の方が効果を出しやすそうな曲だな、と思ったが、案に違わず録音のメリットを最大限生かして鳴るべき音は全部きっちり拾いまくり作曲者の工夫を余さず聴かせるいつものブーレーズ流で実演以上の体験をさせてくれた、というのが感想。というか存外面白い曲ではないか、これは。

ピアノと打楽器はそれぞれやたらでかい音が出るので、奏者が四人も集まろうものならばそれだけで大騒音源である。か弱いオーケストラでは到底太刀打ちできないのだが、そこはやはりアンサンブル演奏ではこの人を措いてないであろうピエール=ロラン・エマールを筆頭にかっちり合わせるソリスト四人を大御所が完全に統率している。むしろ管弦楽の方がゲスト奏者として振る舞っているかのようにも思える。
珠玉の作品である「ソナタ」に余計な音を付け加えたとして一段下に見られがちな「協奏曲」だが、その付け加えられた管弦楽の面白さが浮き立ってくる、そんな演奏になっている。忍び足で一歩ずつ前に進み、そっと開いた扉から突然空間が飽和するほどの光線が溢れ出るかのような前奏に、オペラ「青髭公の城」の一場面が二重写しになるのを感じた。弦の常軌を逸したグリッサンドやスフォルツァンドに重ねられた木管のハーモニー、クライマックスでここぞと咆哮する金管群など、単色のデッサンのところどころに唐突に原色を重ね塗りしたようないい意味での違和感(しかし元の絵は損なわれていない)が味である。繰り返しになるが、独奏四人を含めた全体のアンサンブルの見事さは筆舌に尽くしがたい。
これから「ソナタ」を聴くときに物足りなくならないかが心配になるぐらい鮮やかな演奏だった。

カップリングは若い日に書いた「ヴァイオリン協奏曲第一番」と最晩年の「ヴィオラ協奏曲」の遺作二曲。
前者はそもそも作品として未熟で、とりわけ音によるさまざまなほのめかしが盛り込まれた二楽章の意味はもはや誰にもわからない。独奏のギドン・クレーメルは熱演ではあるが、かつて五嶋みどりの可憐な演奏にノックアウトされた私としては、一楽章の寄る辺なきポリフォニー(後年の入念に構築されたフーガとはまるで違う世界)はもっと不安定でよかったのではないか、と思ったりもした。ブーレーズはよく整理して演奏していたが、それ以上の意味をこの作品に与えるほどの内容ではなかったと思う。

対してヴィオラ協奏曲はすばらしかった。曲の冒頭がどこかを判別するのも困難なドラフトから別の作曲家が纏め上げたという成り立ちの作品だけあって、バルトークらしくないところやオーケストレーションが希薄に過ぎるところが頻出する問題作を、よくここまでうまくメイクアップしたな、という印象を受けた。あるいはブーレーズ本人が加筆したのだろうか。散漫な一楽章、ピアノ協奏曲第三番に似すぎている二楽章、短すぎる三楽章のいずれもが、かつてない角度から掘り下げられ新たな光を放っている。独奏のユーリ・バシュメット(しかし毎度のことながらディスク一枚にすごい面子だね)は渋い好演。低音の魅力は言うに及ばず、広い音域にわたる高速アルペジオもヴァイオリンさながらに軽々とこなしていた。晩年のバルトークが目指した音楽の一端が六十余年を経てようやく実現されたような気がする。
最後の作品の決定版的演奏。ブーレーズがシリーズの締めくくりでこの曲を取り上げたのには、そんな意味もあるのかもしれない。
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2008年12月05日

ゲルギエフ+ロンドン響のプロコフィエフ

迷ったあげくサントリーホールまで行ってしまいました「プロコフィエフ・チクルス」。世界最高級のオケによる意欲的なプログラムなのに客が少なくて残念&申し訳ない、という感じ。コンサートの適正価格はどのへんにあるのか少し考えてしまった。

イープラスで当日引き換えのチケットを押さえたのだが、夕刻会場に行っても窓口がない。「当日券の列に並んでください」と言われ「そんなはずがあるか」と抗議したら、いきなりテーブルが出てきて引き換えてもらえるようになった。それも予約番号を無視してあわてて並んだ順にチケットを上からほいほい渡すだけ。いったい何年コンサート仕切っているんだか、しっかりしなさい。> 梶本音楽事務所

しかし金を惜しんだ(C席\12,000を予約。ちなみにS席\27,000、A席\22,000、B席\17,000)のが間違いだった。指定された席は左ウィング、もろに舞台の横である。ひどい場所だ。引き換えの時に場所を確認するんだった、と思ってもあとの祭りである。
ゲルギーの指揮ぶりを斜め前から見られるのはともかく、音のバランスは最悪。打楽器・木管・金管が何をやっているかはよく見えるが、対向配置で左側に来ていた第一ヴァイオリンとチェロとコントラバスは後ろ向きになってしまい、主旋律よりも真向かいにいる第二ヴァイオリンとヴィオラの音ばかりが飛んでくる。ちっ、掴んだな。

プロコフィエフの交響曲第三番の実演を聴くのはこれが二度目。前回は没後五十年企画だったからもう五年前になる。同じ三番でもピアノ協奏曲とは違って思いっきりハード、モダニズムごりごりの曲調ゆえおそらく演奏機会は多くないだろう。
その時のマイケル・ティルソン・トーマス指揮によるサンフランシスコ響の演奏は陶酔ものだった。クライマックスは空気が飽和したかと思うぐらい膨張した音響がホールを満たす中、さらに打楽器が一発二発とどめの打撃を容赦なく食らわすという、何とも暴力的かつ美しい音楽だったのだ。こりゃ家庭のオーディオでは再現不可能な音楽だよなあ、とつくづく思ったのを覚えている。
今回の演奏にもその感覚の再来を期待していたのだが、残念ながら空振りだった。私の座った位置では各パートの音は分離してよく聞こえるものの、弦木金打のアマルガムが手のつけようがないほど膨れ上がってもう大変、という体験にはついになり得なかった。せいぜい、山火事で奔走する消火隊の面々の健闘もむなしく最後に山は丸焦げに、という感じだ(どういうたとえだ)。プログラム冒頭だったので演奏者が全力を出し切っていなかった可能性もあるが、やはり音響の問題が大きいと思う。
これは次のピアノ協奏曲第三番でも同様で、クラリネットによる導入から水が一気に広く流れ出すかのような感動的な冒頭部分でも管のブレスなど雑音にばかり気が向いてしまって音響には集中できない。三楽章中間部でチェロが奏でる美しい主題も、奏者の皆さん松ヤニッシュに頑張ってますね、という印象に残らなかった。ああもったいない。

ということでインターミッションをはさんだあとの交響曲第四番はがらがらだった二階席後ろの方に潜り込む。本当はB席あたりなんだろうな。
驚いた。当たり前だが耳に入ってくる音がぜんぜん違う。ホールトーンに彩られたふくよかな弦の響きは見事にバランスされ、第一ヴァイオリンの艶やかな音色に魅了された。金管も木管も個人のノイズは影を潜め、音の束としてかっちりまとまり自在に綾なす旋律を奏でる。舞台の左右に20m以上離れて配置されたピアノとチューバの低音でのユニゾンが寸分の狂いもなく決まる。いや、オケってもともとそういうものなんだけど、前半とはあまりにも違う音楽体験に舌を巻くしかなかった。なんとなく「サントリーホールだったらどこに座っても大外れはない」と思い込んでいたが大間違いだった。

……とまで書いたところで眠くなったので続きはまた。
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2008年12月02日

「キージェ中尉」との再会

ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団によるプロコフィエフ・ツィクルスが始まった。なぜかマニア筋の評価は高くないが、プロコフィエフはもっと評価されていい作曲家だと思う。ロシアの伝統を歪んで受け継いだ詩情豊かだがひねくれたメロディー、鋼鉄の響きを備えたオーケストレーションなどをこよなく偏愛している。
以前サンフランシスコ響のライブで大いに気に入った交響曲三番と定番のピアノ協奏曲三番が演奏される四日のサントリーホールにはぜひ行きたいのだが、適当な連れが見当たらず逡巡している。演奏会にひとりで行くのもつまらないし、さりとて決して安くはないチケットをクラシック素人のお嬢ちゃんに奮発するほど太っ腹ではないのだ私は(いや、別に野郎と割り勘でもいいんですけど)。
それにしてもクラシック愛好家って本当に生息数減ったなあ。妙齢の美女(自薦可)で同席していただける方はぜひご連絡ください。

ともあれ行くかどうかはさておき一応復習しておこうかね、と思ってプロコフィエフの交響曲全集のCDをがさこそ探していたら、先に出てきたのが交響組曲「キージェ中尉」が入ったディスクだった。うわー懐かしい。十何年ぶりだろうか。二度繰り返して聴いた。

「キージェ中尉」はもともと映画音楽で、成立の事情についてはサイト藤子まんがのルーツ「たかおか」に詳しく出ている。
私がこの曲を知ったのは小さい子供の頃、「プロコフィエフ」という名前を知るよりも先だった。父親がマゼール指揮だったかのレコードを買って聴いていたのだ。もちろんストーリーは知る由もない。
その音楽は子供心を魅了した。冒頭の遥か遠くから奏でられるかのような、淡雪にも似た柔らかいコルネットの響き、後にスティングが「ロシア人」で引用する「ロマンス」の甘美な旋律、「トロイカ」の疾走感。これらのメロディーが人生の楽しい思い出をなぞるかのように重なって再現される終楽章。ああ、「キージェ中尉」ってどんな素晴らしいお話なんだろう。

だが、先に参照したサイトを見ていただければわかるとおり、「キージェ中尉」は風刺を目的とした寓話であり、私が夢想していたような青年軍人のロマンと冒険に溢れた物語では決してなかった。後年それを知ったときの落胆を今でも思い出す。なんでこんな下らないストーリーにこんな極上の音楽が付されていたのだろう、と。

それはむしろ逆であったのかもしれない。美しいとは間違ってもいえない題材に対してさえも、プロコフィエフの天才は存分に発揮されたのだ。仮構の上にも美を築くことは可能である。
亡命先から帰国してソ連という国で生きることを決意した作曲家は、この曲を作った後も政治から様々な試練を受け、逆境のもとで多くの音楽をつくることになる。そう思って聴くと、この組曲の美しさはまた新たな装いをもって聞こえる。

チャイコフスキーほど朗々とロシアの壮大さを歌い上げるわけでもなく、ショスタコーヴィチほど分裂してもいないが、プロコフィエフの適度に屈折した、しかし耳になじみやすい音楽をもっと多くの人が親しんでくれたらいいな、と思う。
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2008年05月22日

四つのスロヴァキア民謡(バルトーク)

身辺に片付けなければならない問題がいろいろあって、しばらく音楽をちゃんと聴いていない。
音楽的栄養不足を感じて、ピアノの上に積みっぱなしの楽譜から適当なものを拾ってぱらぱら弾いてみる。
たまたま出てきたブージー&ホークス版の混声合唱曲「四つのスロヴァキア民謡」の第一曲がいたく気に入った。

前から嫌いな曲ではなかった。むかしほんの一時期だけ混声合唱団に参加していたことがあるが、別にそこで歌ったわけではなく、バルトークを偏愛するようになってから自分で購入したものだ。表紙にリラで金額が書かれているから、いつぞやのイタリア旅行のついでに買ったのだろうか。楽譜を買うぐらいだから以前から気に入っていたことは間違いない。
だが今回改めて弾いてみて、尋常でなく惹き付けられるものを覚えたのが我ながら不思議だ。

バルトークがこの曲を書いたのは1917年。彼はまだ36歳だった。自分がその歳を超えてしまっていることに多少の感慨を覚える。
当時のバルトークは代表作を世に問うには至らず、方向性についてまだ模索の中にあった頃だと思う。時期的には弦楽四重奏曲第二番あたりと前後するぐらいか。
この曲はそれ以前の作品とも後年の作品とも似ていなくて、曲自体も不安定さゆえの魅力に満ちている。

曲集自体はスロヴァキア民謡を混声四部合唱とピアノ向けにアレンジしたものだが、第一曲「婚礼の歌」は半音階を多用した旋律と、心ならずも望まぬ男のもとに嫁に出される娘の嘆きという歌詞がそれぞれ印象的だ。後年のスリリングな対位的書法による合唱曲とは違ってコーラスはおおむねホモフォニックな処理だが、繊細に揺れ動くハーモニーが独特の味わいを残す。ギターコードで書くとBb⇒Dbm7⇒Bmaj7⇒B7⇒C(7)⇒Abmaj7⇒Gbとか。
そして何よりもピアノ。簡単だが深い。曲の後半のアルペジオの音の拾い方が伴奏と言うにはあまりにも頼りげなくてよい。
繰り返しになるが、後にも先にもバルトークはこんな音は書かなかった。
そしてこの曲集の残り三曲は、まあ普通のピアノ伴奏つき合唱曲だ。長さも三つ合わせても第一曲より短い。最初に置かれた音楽だけが異質なのだ。
「Wedding Song」というにはあまりにもネガな歌詞内容(元曲はどういうシチュエーションで歌われたのだろう)に呼応した編曲なのかもしれないが、確固とした和声進行や音響配置、合唱をしっかり支える伴奏といった、あるべき諸々のものの欠落がこの曲の輝きなのだと思う。

バルトークはこの後、エネルギーを凝縮し発散させる激しい曲風を経て、隅々まで計算されつくした巧妙な音楽を編み出すようになる。首尾一貫した音楽の流れは間然するところなく、予感された輝かしいクライマックスは何度聴いても心躍る。私が一番好きなバルトークはそれだし、世間一般のバルトークに対するイメージもそうだろう。だが、バルトークになる前のバルトーク、迷いと曖昧さの中で小声でつぶやくバルトークもまた捨てがたい引力を持っている。

うつろな分散和音が漂わせる倦怠感に浸るのはあまり健全な振る舞いとは言えないが、たぶん今の私自身が少し後ろを向きたい気分なのだ。スロヴァキアの人々の間から生まれ、バルトークを通じて伝えられた戸惑いの音楽を、繰り返し弾いてみる。
ラベル:合唱 バルトーク
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2008年04月23日

久々に東混を聴く

表題に芸がないね。とにかく東京混声合唱団の演奏を聴くのは何年ぶりだろうか。第38回サントリー音楽賞受賞記念コンサートを聴きにサントリーホールへ赴く。
おお、そういえばヘンツェのオペラ「ルプパ」を同じサントリーホールで聴いて以来ではないか、と着いてから思い出す。もっともあんときゃ合唱役で八人しか出演していませんでしたが。単独の演奏会ではいつ以来だろう。八月のまつりの「原爆小景」を紀尾井ホールで聴いたのは何年前だったか。
などと回想に浸っていたのは、仕事が延びて最初のステージのマリー・シェーファーのシアターピース「自然の声」に間に合わなかったからだ。音とモニター映像からするとそれなりに調的でそれなりにゲンダイっぽい感じ。まあ聴かなくて後悔するタイプの曲じゃなさそう、と早々に興味を失う。

西村朗にやられた。昨年初演された、混声合唱と独奏二十絃箏のための「先帝御入水」。平家物語の壇ノ浦合戦における安徳天皇の入水(巻第十一「先帝身投」)を題材に、広い音域にわたって心かきむしる音色を奏でる「独奏」二十絃箏(吉村七重好演)と、朗読を交え呻きや嘆きに満ちた合唱による音響を融合させた作品だ。尼が数え年八歳の幼帝に「波の底にも都のさぶらうぞ」と言い聞かせる有名な一節が、引き裂かれるような音楽によって新たな悲哀と共に再現される。
まったく何という音楽だろう。こんなに人を不安定にさせるなんて。
光市母子殺害事件差し戻し審判決の日に子供の死を扱った音楽を聴いたのも何かの縁だろうか。私が普段の精神状態でなかったことは間違いない。生と死の意味にセンシティブになっていた耳にこの音楽は剥き出しの悲しみと未整理の当惑をぶつけてきた。東混以外の合唱団に歌われる機会はまずない曲だろうから、たぶんこの曲にきょう出会えたのはよかったのだ、と思うことにする。

二十絃箏という楽器自体はまだ作られてから40年経っていない、いわば現代の楽器らしい。⇒二十絃箏・二十五絃箏
その表現力たるや大変なもので、たぶんピックアップつけてノイズミュージックに使った例もあるのでは、と思えるほど楽音から雑音まで幅広い表現力を披露していた。ゆめゆめ邦楽を軽んじてはいけない。

インターミッションの後で演奏された、私の中では剛腕ピアニストとして評価の高い(勝手だね)野平一郎の「混声合唱のための幻想編曲集 日本のうた」はちょっと肩透かし。わらべ唄に唱歌にソングに浄瑠璃という題材でそれぞれ料理の仕方も違って、でもだから何なの?という印象しか残らなかった。「ずいずいずっころばし」を頑張って歌わなくてもいいじゃん。「卯の花」の口三味線は楽しく、最後に粋な柝の音がチョーンと入る。野平さんのサービス精神ということか。

トリを飾った柴田南雄「追分節考」は、東混十八番のレパートリーなのでひたすら楽しく鑑賞。ずいぶんと久しぶりだ。柴田南雄のシアターピースは「宇宙について」「萬歳流し」「修二會讃」「人間と死」などなど、学生時代に結構いろいろ聴いていたことを思い出す。もちろん指揮者はこの日同様田中信昭だった(この日の前半2ステージは松原千振)。
いい声で馬子歌を朗唱しながら客席を遊弋する男声陣の位置が近すぎて、舞台上の女声のヴォーカリーズがほとんど聞こえない瞬間があったが、それもまたシアターピースならではの楽しみであろう。この曲をよくこだまする山間で大人数で演奏できたら楽しかろうなあ(移動は大変だけど)、と空想する。

アンコールは武満徹の「さくら」と学校公演の定番と思しき「汽車ポッポ」だった。これまた実演は久しぶり。「さくら」は岩城宏之のディスクよりずいぶん速い感じで、膨張する武満トーンをもっとゆっくり聴かせろ、という気にさせられるが、これが信昭流なのだろう。速すぎて少人数ゆえの声の薄さが露呈する瞬間があったのがちょっと残念。

むかしの東混は、音程は正確なのかもしれないが声楽的に変な声を張り上げるテノールの人とかがいたりして、上手ではあるが決して聞き惚れることはない団体だった。素人が生意気言ってすみません。
何年ぶりになるのかわからないが今回の演奏会では、ステージ上のメンバーがだいぶ若返っている(当然だろうけど)こともあってか、かつてとは大きく異なりまとまりのよいアンサンブルになったのではなかろうか、という印象を持った。豊かな和声や表情の大幅な変化の付け方などはよくある大編成馬鹿うま市民合唱団に一歩譲るものの(でもそういう団体は今でも健在なんでしょうか)、合唱団としての総合性能は昔日よりも向上していると感じた。もっと難度の高い曲をやればまた違うのだろうか。
田中信昭は老けてなかった。というか私が学生だった頃も既にいい感じの爺さんだったはずなのに、そこで老化が止まってしまったとしか思えない。がくがくとした不自然な振り方も含めて往年のままだったように思う。

東混は創立五十二年になるそうな。長く続けるだけでえらいわけではもちろんないが、ちゃんと実質の伴った活動を続けての半世紀なのだからこれは素直に賞賛できる。
声という楽器はやはり特別だ、と西村作品を聴いてしみじみ思った。単なる「音」から意味を持った「言葉」の間を自在に行き来して様々なレベルで聴き手の情感を揺さぶることができる、ある意味万能の表現力を活用できる素材なのだ。
合唱人口は減る一方だが、どうか東混と東混に新作を提供する作曲家たちの前途に光がありますように。
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2008年04月19日

Radiohead BBC Theatre 2008

いつものように期間限定だろうが、BigO Worldwideが、今年4月1日にロンドンBBCラジオシアターで行われたRadioheadのライブを配信している。ブートレグ注意。エイプリル・フールに非ず。

FMでエアチェック(死語かも)されたソースがオリジナルのようだ。内容などについてはこっちも参照⇒BBC - Music - Radiohead
選曲は昨年11月発売/ダウンロード開始の最新アルバム「In Rainbows」が中心で、5月からのワールド・ツアーの予告編的内容であろう。
ラベル:MP3 ライブ Radiohead BBC
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2008年04月18日

ペーター・コンヴィチュニー演出「アイーダ」

久々オペラ。土砂降りの中、オーチャードホールへと赴く。
東京グランドクラシックス-2008年4月17・19日

荘厳華麗な戦争絵巻物とは対極にある演出。現代の演出は何でもありなのでそんなことに驚いてはいかんのだろうが、カーテンコールで「ブラボー」と「ブー」が飛び交うのもむべなるかな。
以下、19日の公演に行かれる方は読まない方が楽しめると思います。続きを読む
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2008年04月17日

久し振りにゴダイゴを聴いた

なんでもかんでもリバイバルするのが最近の習いだが、ゴダイゴのオリジナルアルバムもまとめて紙ジャケで再発されていたことを知る。TBSの歌番組「ザ・ベストテン」を通じてファン(軽め)になった者としてはまずはめでたい限りである。
コロムビアミュージックエンタテインメント | ゴダイゴ
こうしておやじ世代の可処分所得はノスタルジアとの戯れにと吸い込まれるのだ。文化の二番煎じ三番煎じを嘆いても仕方ない。
現役のアーティストは膨大で圧倒的な歴史と果敢に戦って散るべし。君たちの骨は2、30年後ぐらいに再発ムーブメントで拾われるであろう。たぶん。そのときにディスクを有償で販売するというビジネスが残っているかどうか知らないが。

それはさておき、懐かしくなって久し振りに昔買った「MAGIC MONKEY(西遊記)」のCDを部屋の隅から引っ張り出して聴いてみた。というかずいぶん前にCDを買いはしたものの、碌に聴いたことがなかったんじゃないか、と思う。もしかしたらちゃんと聴くのは小学校の時以来かも。
で、これが意外に巧くて面白かったので軽びっくり。

風貌で大幅に損をしているが、ミッキー吉野というキーボーディストはやっぱすげい。もちろんミュージシャンには彼の真価はあまねく知れ渡っていると思うが、バークレー仕込みの構成力や音使いのセンスのよさは誰が聴いてもわかるはずだ。坂本や小室(と同列にしてはいかんが)より早い時点でシーンで活躍していたのがよくなかったのかどうなのか。
ヒット曲「Monkey Magic」のイントロダクション「The Birth of the Odyssey」のシーケンサーによる分厚いオーケストレーション、ベンドとエコーを多用した宙を舞うシンセ音は今聴いても十分新鮮だ。ちなみにYMOのデビューアルバムは本作の1ヶ月後に発表されている。志向性の違うバンドを比較しても仕方ないが、ゴダイゴが世界規模でブレイクする可能性も成り行き次第では大いにあったのではなかろうか。

だが、80年代中期にいったん解散するまでのゴダイゴは、お子様向けのバンドというイメージからついに脱却できなかったように思う。タケカワユキヒデのいい人らしすぎるキャラクターによるところも大きいが、一分の隙もなく構築され整ったサウンドや健全なメッセージを発信するお上品な歌詞(そのまま英語の教科書に載せられそうな)が、ロックならではの「悪さ」というか危うさを感じさせなかったのも一因ではなかろうか。和製ギターヒーローのチャーとミッキー吉野、トミー・スナイダー(彼も大変なテクニシャンだったと改めて実感)らが組んでバンドをやる構想もあったそうだが、それが実現していれば日本の音楽状況はこれまたまったく違っていたかもしれない。
つくづくもったいなかったと思う。

さておき「MAGIC MONKEY」はご存じのとおり堺正章主演のテレビドラマ「西遊記」のサウンドトラックなのだが、それを抜きに単体のコンセプトアルバムとして聴いても十分通用するぐらい音楽的に充実した内容だ。曲調はそれぞれ変化に富んでおり、旋律やオブリガードで活躍しまくるシンセサイザーのバックでリズム隊が実にいい仕事をしている。これぞプロ。歌はまったくと言っていいほど色恋抜きだが、まあ元気がいいからいいじゃない、と許せる。これでもう2曲ほどハードなナンバーが入っていれば完璧だったと思う。
勘違いしていたのだが「GANDHARA」は喜多郎の「シルクロード」よりも先行していたとさっき知った。間奏のエスノ感漂うシンセのメロディーはずっと喜多郎の真似だと思っておりました。すみません。この路線を先に打ち出していれば(以下略)。いやもう、ミッキー吉野はえらくてすごい。君の音楽は薔薇より美しい。

ゴダイゴは2006年に再結成し、昨秋には新曲も出した模様だ。だから過去形で語ってはいけないだろう。彼らはこれからまだ大きな仕事をなし得るのかもしれない。それでも、30年近い昔に彼らが到達していた高みと、あれだけの才能が揃っていながら達し得なかったものの大きさを思うとため息が出てしまう。
楽曲に親しみながらその真価を理解していなかったがきの頃の我々にも責任はほんの少しだけあるのだろう。ごめんなさい。
なぜか星新一のことを思い出したりした。

ラベル:Godiego 西遊記
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2008年02月06日

Dexter's Tune

1990年の映画「レナードの朝」(原題はAwakenings。複数形なのは二重の意味が込められている)で、終盤のこの上なく美しく哀しいダンスの場面に流れる挿入曲「Dexter's Tune」が好きだ。個人的には映画音楽(映画ならではの音楽、として)の最高傑作としても過言ではないと思う。
作曲は職人芸が光るランディ・ニューマン。公開時は見過ごしてしまい、初めてビデオで観たとき既にサウンドトラックは廃盤になっていたが、あまりにも気に入ったので彼のボックスセットをこの一曲のために買ったものだった。

観た方なら誰もが忘れないだろう。いわゆる「難病もの」のこの映画でもっとも心を揺さぶられる場面である。
患者を演じるロバート・デ・ニーロ(迫真の演技。この頃のデ・ニーロは本当に凄かった)と相手役のペネロープ・アン・ミラー(他の映画であまり見ない顔だが、主にTVシリーズで活躍している女優らしい)が食堂で手を取り合って踊るシーンは、静謐で乾いた緊張感溢れる美を湛えており、「ああ、この映画はもう終わるのだ」という予感に震えながら観るほかない。
一幅の絵画のようでありながら、まったく映画にしかなし得ない奇跡のひとつだとさえ思う。



先日、海外の楽譜サイトを検索していてこの曲の楽譜がたまたま見つかった。楽譜集に収録されているが、単曲でも購入できるという。

Dexter's Tune Sheet Music and Guitar Tab Downloads & Songbooks at Musicnotes.com

上のYouTubeビデオの演奏者らほど達者ではないものの耳コピで自分でもそこそこ弾けるようになってはいたが、オリジナルの譜面にも興味はあるし、カード決済可能で4.95ドル(独自フォーマットのシートをプリンタに直接出力する仕組みだ)であれば高くはない。
ということで買ってみた。まったくいい時代になったものだ。インターネット万歳。

Dexter'sTune.jpg終始テンポ・ルバートで奏でられるこの曲は病から回復した患者のひとり(デクスター)が弾くという想定で、もともと難度の高い曲ではないが、改めて譜面を見ると2度・9度を多用した音の集散が面白い。たどたどしい印象を与えつつ、実はしっかり計算された配置がされているという感じ。
映画のあの雰囲気をうまく醸し出すのは結構難しい。でも本当にいい曲だ。

追記:
YouTubeにはこの場面だけの切り出しもアップされているが、映画本編を未見の方は観るべきではない(ただのシリー・ウォークにしか見えないだろう)。最初から流れを追って、デ・ニーロの蝶ネクタイの意味などを痛切に感じ取ってほしい。

再追記:
実際にピアノで楽譜通りに弾いてみたが、映画の中で弾かれている音とは若干違う。YouTubeのピアニストらの耳コピーの方が実演に近いと思う。
posted by NA at 05:33| 東京 ☀| Comment(3) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月25日

iTunesカタカナ化現象

iTunesで管理している楽曲のジャンルが軒並みカタカナになっているのに気づく。なんだこれは。

Googleで調べたら、少し前のバージョンから発生していた現象らしい。一括指定して英語表記に戻しても再生するとすぐ「ロック」とかになりやがるので、頭に来てプログラムの言語設定を日本語から英語に変えた。とりあえずはこれで大丈夫みたい。

iTunesストアの利用に影響があるのかどうかわからないが、まあ当面買いたい楽曲もないしいいや。
こういうところで無神経さを露呈するAppleってすげえ損してるなあ、と思った。英語でもカタカナでも分類できれば同じということだろうけど、それこそ他人からはどうでもいいように見える個人の趣味やこだわりに訴えた結果売上を伸ばしてきた企業のやることとは思えないな。
posted by NA at 23:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年01月22日

TR909エミュレータ

リズムマシンの銘機Roland TR909をフラッシュで再現しているサイトがあった。
FL909
これはよいですな。単純だけどはまってしまった。

楽器名をクリックして16分音符16個分のボタンを適当にセットしてスタート。アクセントをつけたいときはシフト+クリック。シャッフルのパラメータをこれまたてきとうにいじればビートは千変万化する(おおげさ)。
わたくしは四分音符♩=102ぐらいでゆるくシャッフルする感じが好きです。これじゃ遅すぎて踊れないかな。でもこれぐらいの方がいつまでも聴いていて飽きない。

高校生の一時期、中古で買ったDR55に熱中していた。電車の中に持ち出してプログラミングするぐらいに。乗り合わせた子供に「それ何のゲームですか」と聞かれたこともあったなあ。あの頃のリズムマシンは、ドラムとはまた別の意味でビートを体現できるギアだったのだ。
あんな箱っぽいリズムマシンって今もあるんだろうか。あのブリキを折り曲げただけみたいな質実剛健ボディがまたよかったんだ。

「大人の科学」のふろくでリズムマシンが出たらいいなあ、と妄想。
posted by NA at 02:48| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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