2008年05月22日

四つのスロヴァキア民謡(バルトーク)

身辺に片付けなければならない問題がいろいろあって、しばらく音楽をちゃんと聴いていない。
音楽的栄養不足を感じて、ピアノの上に積みっぱなしの楽譜から適当なものを拾ってぱらぱら弾いてみる。
たまたま出てきたブージー&ホークス版の混声合唱曲「四つのスロヴァキア民謡」の第一曲がいたく気に入った。

前から嫌いな曲ではなかった。むかしほんの一時期だけ混声合唱団に参加していたことがあるが、別にそこで歌ったわけではなく、バルトークを偏愛するようになってから自分で購入したものだ。表紙にリラで金額が書かれているから、いつぞやのイタリア旅行のついでに買ったのだろうか。楽譜を買うぐらいだから以前から気に入っていたことは間違いない。
だが今回改めて弾いてみて、尋常でなく惹き付けられるものを覚えたのが我ながら不思議だ。

バルトークがこの曲を書いたのは1917年。彼はまだ36歳だった。自分がその歳を超えてしまっていることに多少の感慨を覚える。
当時のバルトークは代表作を世に問うには至らず、方向性についてまだ模索の中にあった頃だと思う。時期的には弦楽四重奏曲第二番あたりと前後するぐらいか。
この曲はそれ以前の作品とも後年の作品とも似ていなくて、曲自体も不安定さゆえの魅力に満ちている。

曲集自体はスロヴァキア民謡を混声四部合唱とピアノ向けにアレンジしたものだが、第一曲「婚礼の歌」は半音階を多用した旋律と、心ならずも望まぬ男のもとに嫁に出される娘の嘆きという歌詞がそれぞれ印象的だ。後年のスリリングな対位的書法による合唱曲とは違ってコーラスはおおむねホモフォニックな処理だが、繊細に揺れ動くハーモニーが独特の味わいを残す。ギターコードで書くとBb⇒Dbm7⇒Bmaj7⇒B7⇒C(7)⇒Abmaj7⇒Gbとか。
そして何よりもピアノ。簡単だが深い。曲の後半のアルペジオの音の拾い方が伴奏と言うにはあまりにも頼りげなくてよい。
繰り返しになるが、後にも先にもバルトークはこんな音は書かなかった。
そしてこの曲集の残り三曲は、まあ普通のピアノ伴奏つき合唱曲だ。長さも三つ合わせても第一曲より短い。最初に置かれた音楽だけが異質なのだ。
「Wedding Song」というにはあまりにもネガな歌詞内容(元曲はどういうシチュエーションで歌われたのだろう)に呼応した編曲なのかもしれないが、確固とした和声進行や音響配置、合唱をしっかり支える伴奏といった、あるべき諸々のものの欠落がこの曲の輝きなのだと思う。

バルトークはこの後、エネルギーを凝縮し発散させる激しい曲風を経て、隅々まで計算されつくした巧妙な音楽を編み出すようになる。首尾一貫した音楽の流れは間然するところなく、予感された輝かしいクライマックスは何度聴いても心躍る。私が一番好きなバルトークはそれだし、世間一般のバルトークに対するイメージもそうだろう。だが、バルトークになる前のバルトーク、迷いと曖昧さの中で小声でつぶやくバルトークもまた捨てがたい引力を持っている。

うつろな分散和音が漂わせる倦怠感に浸るのはあまり健全な振る舞いとは言えないが、たぶん今の私自身が少し後ろを向きたい気分なのだ。スロヴァキアの人々の間から生まれ、バルトークを通じて伝えられた戸惑いの音楽を、繰り返し弾いてみる。
ラベル:合唱 バルトーク
posted by NA at 08:30| 東京 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
バルトーク、スロバキア民謡いずれも非常に心やすまり、元気のもとの音楽だと私は思います。映画でも同じことを感じました。(私は音楽が本業ですが・・・)たとえば、ハリウッドは巨額の投資をして映画を作ります。でも、ヨーロッパの映画は、「ベルリン天使の壁」のようなローコストで心揺さぶられる作品を排出し続けています。メジャーかどうかが、資本力に偏って評価されてきたことが、20世紀の反省点だと思います。この記事に出会え光栄です。
Posted by 伊藤久美子 at 2008年05月30日 16:46
伊藤様、コメントありがとうございます。
バルトークの全盛期の音楽は、聴く側にもある種の覚悟と体力を要求する結構ヘヴィなものが多いと思います。私は好きで聴いていますが、それでも疲れることは疲れる。安らぎや活力をそこから汲み出せるようになりたいものです。
Posted by NA at 2008年06月02日 10:24
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