2008年04月18日

ペーター・コンヴィチュニー演出「アイーダ」

久々オペラ。土砂降りの中、オーチャードホールへと赴く。
東京グランドクラシックス-2008年4月17・19日

荘厳華麗な戦争絵巻物とは対極にある演出。現代の演出は何でもありなのでそんなことに驚いてはいかんのだろうが、カーテンコールで「ブラボー」と「ブー」が飛び交うのもむべなるかな。
以下、19日の公演に行かれる方は読まない方が楽しめると思います。 
 
 
 
まず舞台装置の簡素さに意表を突かれる。四角い白い箱の内側に赤いビロードを被せた三人掛けのカウチ。ほかに何もない。これでは王宮ではなくて応接間である。登場人物も現代の衣装で、威厳のないことおびただしい。恰幅のいい三人が座るときつきつのカウチ。テレビを見るように役者らは客席と対峙する。
そして名曲目白押しのはずの一幕では、戦勝の歓喜をここまで矮小化するか、という徹底ぶりにあきれてつい笑ってしまうほど。「凱旋行進曲」は三角帽子をかぶった酔っ払いどもの乱痴気騒ぎのBGMであり、ラダメスは象に乗る代わりにかわいい象のぬいぐるみを振り回す。何これ。
二幕で背景にスフィンクスとピラミッドらしい絵が投影されるがそれも申し訳程度で、アイーダ、アムネリス、ラダメスのドラマは王家の運命を背負った男女の悲恋というより極めて個人的な三角関係として描かれる。奴隷と王女の格好に差がほとんどないってのはどうよ。

だが豪奢な装いを剥ぎ取られた「アイーダ」は、十分楽しめる愛憎劇としての骨格を保っていた。愛国心と個人の恋愛の相克、という構図は後ろに退き、より普遍的な個人レベルのドラマとして舞台は構築されていた。
エンディングでラダメスとアイーダは、閉ざされた地下牢で死ぬ代わりに、白い箱の背後に広がる渋谷の街の夜景映像(電車が動いていたけどライブカメラだろうか?)の中へと溶け込んでいく。閉塞的な四角い箱から、遠い永遠の未来へと去っていく恋人たち。愛による解放/開放。原作とはベクトルが逆なのだ。

「俺の観たかったアイーダはこんなんじゃねえ」という人もそりゃいるよな、という内容ではあったが、私には総じて面白かった。
歌手陣は好演。タイトルロールのキャサリン・ネーグルスタッドの弱声が表情豊かだった。あと、オーボエソロが出色のできだったと思う。
posted by NA at 10:33| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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