2008年04月17日

久し振りにゴダイゴを聴いた

なんでもかんでもリバイバルするのが最近の習いだが、ゴダイゴのオリジナルアルバムもまとめて紙ジャケで再発されていたことを知る。TBSの歌番組「ザ・ベストテン」を通じてファン(軽め)になった者としてはまずはめでたい限りである。
コロムビアミュージックエンタテインメント | ゴダイゴ
こうしておやじ世代の可処分所得はノスタルジアとの戯れにと吸い込まれるのだ。文化の二番煎じ三番煎じを嘆いても仕方ない。
現役のアーティストは膨大で圧倒的な歴史と果敢に戦って散るべし。君たちの骨は2、30年後ぐらいに再発ムーブメントで拾われるであろう。たぶん。そのときにディスクを有償で販売するというビジネスが残っているかどうか知らないが。

それはさておき、懐かしくなって久し振りに昔買った「MAGIC MONKEY(西遊記)」のCDを部屋の隅から引っ張り出して聴いてみた。というかずいぶん前にCDを買いはしたものの、碌に聴いたことがなかったんじゃないか、と思う。もしかしたらちゃんと聴くのは小学校の時以来かも。
で、これが意外に巧くて面白かったので軽びっくり。

風貌で大幅に損をしているが、ミッキー吉野というキーボーディストはやっぱすげい。もちろんミュージシャンには彼の真価はあまねく知れ渡っていると思うが、バークレー仕込みの構成力や音使いのセンスのよさは誰が聴いてもわかるはずだ。坂本や小室(と同列にしてはいかんが)より早い時点でシーンで活躍していたのがよくなかったのかどうなのか。
ヒット曲「Monkey Magic」のイントロダクション「The Birth of the Odyssey」のシーケンサーによる分厚いオーケストレーション、ベンドとエコーを多用した宙を舞うシンセ音は今聴いても十分新鮮だ。ちなみにYMOのデビューアルバムは本作の1ヶ月後に発表されている。志向性の違うバンドを比較しても仕方ないが、ゴダイゴが世界規模でブレイクする可能性も成り行き次第では大いにあったのではなかろうか。

だが、80年代中期にいったん解散するまでのゴダイゴは、お子様向けのバンドというイメージからついに脱却できなかったように思う。タケカワユキヒデのいい人らしすぎるキャラクターによるところも大きいが、一分の隙もなく構築され整ったサウンドや健全なメッセージを発信するお上品な歌詞(そのまま英語の教科書に載せられそうな)が、ロックならではの「悪さ」というか危うさを感じさせなかったのも一因ではなかろうか。和製ギターヒーローのチャーとミッキー吉野、トミー・スナイダー(彼も大変なテクニシャンだったと改めて実感)らが組んでバンドをやる構想もあったそうだが、それが実現していれば日本の音楽状況はこれまたまったく違っていたかもしれない。
つくづくもったいなかったと思う。

さておき「MAGIC MONKEY」はご存じのとおり堺正章主演のテレビドラマ「西遊記」のサウンドトラックなのだが、それを抜きに単体のコンセプトアルバムとして聴いても十分通用するぐらい音楽的に充実した内容だ。曲調はそれぞれ変化に富んでおり、旋律やオブリガードで活躍しまくるシンセサイザーのバックでリズム隊が実にいい仕事をしている。これぞプロ。歌はまったくと言っていいほど色恋抜きだが、まあ元気がいいからいいじゃない、と許せる。これでもう2曲ほどハードなナンバーが入っていれば完璧だったと思う。
勘違いしていたのだが「GANDHARA」は喜多郎の「シルクロード」よりも先行していたとさっき知った。間奏のエスノ感漂うシンセのメロディーはずっと喜多郎の真似だと思っておりました。すみません。この路線を先に打ち出していれば(以下略)。いやもう、ミッキー吉野はえらくてすごい。君の音楽は薔薇より美しい。

ゴダイゴは2006年に再結成し、昨秋には新曲も出した模様だ。だから過去形で語ってはいけないだろう。彼らはこれからまだ大きな仕事をなし得るのかもしれない。それでも、30年近い昔に彼らが到達していた高みと、あれだけの才能が揃っていながら達し得なかったものの大きさを思うとため息が出てしまう。
楽曲に親しみながらその真価を理解していなかったがきの頃の我々にも責任はほんの少しだけあるのだろう。ごめんなさい。
なぜか星新一のことを思い出したりした。

ラベル:Godiego 西遊記
posted by NA at 00:57| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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