2008年04月15日

巨船ベラス・レトラス(筒井康隆)

出版から一年過ぎてしまった「巨船ベラス・レトラス」を読んだ。例によって当惑している。

往年の大傑作「大いなる助走」と対にして語られることが多いこの作品(驚くべきことに、作中に作家本人の分身・化身が現れて私怨を晴らす構造までも同じだ)だが、「大いなる助走」は既存の文壇権威を敵役にすることによって物語が一点に収束していたのに対し、今や自身が文学界でのエスタブリッシュメントとなってしまった筒井康隆は、今作では文学の価値を認めない現代そのものに矛を向ける。
しかし、その敵はあまりにも曖昧模糊としており、攻撃すべき対象が拡散してしまった感は否めない。文学賞選考委員全員抹殺というカウントダウンがもたらすサスペンスとは、当然この小説は無縁だ。正体も行き先も不明な揺れ動く船の中で当惑する登場人物たちの物語に、読者である私もまた当惑する。

作者が小説の中で取り上げた著作権侵害事件にしても、本人の怒りが十分伝わらないもどかしさ(思えば断筆宣言もこの構図ではなかったか)がある。筒井氏本人が「表現の危機」と憤っても、傍目からは「評価の定まった大家vs.金儲けに手段を選ばないおろかな小出版社」の決着の見えた勝負でしかない。新聞報道などもなされた事件が、二百ページ少々の短めの長篇の16ページ分を割いて訴えるべき話なのか(もちろんそれが小説として面白ければ許容されよう)は意見の分かれるところだろう。現実の虚構への侵入という異化効果は感じられなかった。

物語の最後、筒井康隆の分身役の作家(本人役の本人とは別。ややこしいな)が「文学的実験」への反省の弁を述べ、筒井文学には定番のイデアの具象形である少女の作家がそれを拒んで自らを「文学のための文学」のシンボルと化すところで唐突に話は終わる。私はこのエンディングを、筒井康隆の前衛への別れと受け止めた。それでこのあとにラノベ作家宣言をしたのだな、と勝手に納得。それは作家にとっては新たな冒険の始まりであるに違いない。
二十年前ならば私は筒井康隆の冒険にどこまでも付いていっただろう。今はその後ろ姿を見送るしかないのが残念だ。
posted by NA at 23:28| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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