2007年10月10日

悲劇週間(矢作俊彦)

引き続き未読本を大急ぎでずんずん読む。
本書は詩人・翻訳家の堀口大學の若き日を描く冒険ロマン。と言っていいのかどうか。しかし最近内戦の話ばかり読んでいるような気がするな。

堀口大學については詩集「月光とピエロ」やフランス詩のアンソロジー「月下の一群」の翻訳者であることぐらいしか知識がなく、実父堀口九萬一が外交官で、閔妃暗殺事件にかかわっていたという話はまったく知らなかった。
かなり史実に則った作品のようだ。作中のロマンスは創作だろうと勝手に思っていたが、Wikipediaの堀口大學の項目には
19歳の夏に、父の任地メキシコに赴くため、慶大を中退。メキシコでフランス語を学んでいた時、メキシコ革命に遭遇。メキシコ大統領フランシスコ・マデロの姪と恋愛を経験。
とあった。そうか、本当にいたのか、あの魅力的なフエセラ・ポラドーラは。

20世紀初期のメキシコを舞台にした「気分はもう戦争」を期待して読み進めたが、実はさほど活躍はしていないのだ、我らが主人公の大學君は。市街戦に巻き込まれて這う這うの体で逃げ回るのが精一杯。史実を舞台にして実在の人物が登場するとあっては、やはりそう突拍子もない冒険をさせるわけにはいかないのだろう。それでも動乱の時代のメキシコを彩った巨星たちが次々大學君の周りに登場する様子は「あ・じゃ・ぱん!」で田中角栄を登場させた趣向に通じるものを感じてわくわくした。

しかしまあ何と言ってもフエセラの魅力的なことよ。矢作俊彦の書くヒロイン像はいつも同じといえば同じで、彼女らは皆美しくミステリアスで非合理的で必ずやってくる別れを恐れず激情を裡に秘め凛々しく愛らしく、恋人の心をひたすらかき乱すのだ。でも別にそれでいいではないか。いつか矢作ヒロインと叶わぬ恋に落ちてみたいものだ、無理だが。

冒頭の一文がポール・ニザン「アデンアラビア」の変奏であること、「月光とピエロ」の「ピエロ」がキーワードとして使われていること、大學の文章に頻出する体現止めの多用は誰の目にも明らかだが、多分フランス文学を真面目に修めた人ならばきっと無数の引用・パロディ・くすぐりに気づくのだろう。学生時代にちゃんと勉強してないとこういうところで差がつくのだ、悔しいことに。

今の日本では詩も命がけの恋も、もちろん戦争も彼方の存在でしかない。それを不幸だとは誰にも言わせまい。だがこういう本を読んでしまうと、仕事で予約済みの数ヶ月を目の前にしたサラリーマンはまた少し日常が嫌いになるのだ。
posted by NA at 04:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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