2005年08月07日

「ハウルの動く城」の読み解き方

評論というのはこうでなくっちゃいけない。気鋭の映画史研究者、鷲谷花さんの「(オヤジによる)乙女のための冒険活劇」は、個人的に疑問だらけだった映画「ハウルの動く城」の世界をジェンダー論的観点から鮮やかに読み解いた一編だ。

プロの文章を褒めるのもおこがましいが、映像で描写された内容を腑分けする手際のよさ、リズムのよい文体が実に爽快だ。
いかなる因果関係によるものなのかは不明のまま、容赦なく現前し、連鎖する不可解な出来事に対して、ソフィーは状況を正確に把握することもないままに、その時その場においてはとりあえず情理にかなった行為をもって対処を試みます。汚れた床を見れば徹底的に掃除し、行く手をさえぎる長い長い階段を登りまくり、あちこちから妙なカカシや犬や要介護老人(サリマンの罠にはまってボケ老人になってしまったもうひとりの《姑》――かつての荒地の魔女――)を連れ帰っては世話し、ダイヤルがあればとりあえず回し、スイッチがあればとりあえず押し、ドアがあったらとりあえず開け、火事になったらとりあえず水をぶっかける、といった具合に、ソフィーの行きあたりばったりの対処のかずかずが、良きにつけ悪しきにつけ、ただでさえ混沌とした事態を、思わぬ方向へ転がしてゆきます。
こうてきぱき整理されると、筆者があの毀誉褒貶激しい映画を必ずしも擁護する立場から書いているわけではないにもかかわらず、一連のわけのわからない(と今でも思う)ストーリーがよくできたもののように思えてくるから不思議だ。
「大団円にてソフィーが獲得した成果」の箇条書きには大いに笑わされた。

「ハウルの動く城@映画生活」などを見ていると「自分にはわからなかった」「いや、大傑作だ」式の論争が未だに続いているが、やはり見巧者の卓見は不毛なやりとりを一蹴する力がある。映画に限らず作品というものはよい鑑賞者を得て育つものなのだ、と改めて思わされた。
posted by NA at 02:46| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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