2019年02月18日

こまつ座「イーハトーボの劇列車」

井上ひさしが他界してもう九年にもなるのか、と驚く。いい歳こいて歳月の過ぎゆく早さにいちいち驚いていてはいけないのだが。
こまつ座第126回公演として新宿の紀伊國屋ホールで「イーハトーボの劇列車」が上演されていると新聞の劇評で知り、当日券で見に行った。この舞台は数十年ぶりの再見になる。

懐かしい友との再会、というわけにはいかなかった。歳を重ねるに連れて私はいよいよ狭量になっているらしく、若い日に感動した場面にもどこか距離を置いている自分に気づく。前半の山場であるべき宮沢父子の宗教問答はどこか言葉遊びのように感じられた。他方で、むかしは反応しなかったような死を前提とした登場人物の独白に不意を打たれて涙しそうになったりもした。

井上さんが亡くなったときのエントリに書いたことでだいたい尽きているが、大量の資料を読み漁りディテールの詳細さを突き詰めていくことで笑いを取る作劇法は、再見でもやはり楽しめた。そして他のほとんどの井上作品がそうであるように、主人公の宮沢賢治を敗北者として描くことの徹底ぶりが、人生半ばを過ぎて未だに何もなし得ていないひとりとして身に沁みた。ここは若いときには気づかなかった部分だ。
事実の積み重ねで浮き彫りにされる夢想家賢治のリアリティのなさ、無責任さは甚だイタい。賢治を演じる松田龍平の棒読み風でありリアクションに乏しく見える演技はおそらくその効果を狙っての演出あってのことだろう。他の舞台俳優と比べて-12dBぐらいセリフの音圧が低いのも、説得力のない青年としての賢治像を浮き立たせていたように思う。まさにデクノボー賢治。

他方、私にとっての宮沢賢治とは妹とし子の早逝を嘆きあとを追うため宗谷海峡に身投げすべくして夜汽車に乗り去来する様々な思いに苦しんだ人であり、それを昇華した「青森挽歌」の慟哭は日本の散文詩のもっとも美しい到達点のひとつであると信じてやまない。この戯曲がそこに深入りせずに通り過ぎたのは(失敗者賢治というテーマから逸れるからであることはわかるが)やはりちょっと残念ではある。

この劇が作られた1980年代からこちら、この国では農業と農村というものの意味自体が大きく変わってしまったように思う。農民の悲惨は外国人技能実習生の悲惨として語られるようになり、テクノロジーの進歩が農にまつわる矛盾をすべて糊塗するような幻想がふりまかれるようになった。労働組合の結束が溶解したのと並行するかのように、自民党の堅固な基盤として影響力を行使していたはずの保守系農業団体もまた政治的な芯を失い、公約違反のはずのTPP加盟や日欧EPAにほとんど無抵抗なまま振り回されている。賢治の描いた美しい夢はいよいよ儚く実態のないものと化した。
だがそれゆえに、私たちが青い照明の彼方に見上げる風景はどうしようもなく美しい。岩手の無力な青年は言葉によって成り立つ美と調和の可能性を後世に遺し、それは井上ひさしという中継者の手を経て未だに我々の見果てぬ目標として機能している。理想郷(ユートピオ)東北という憧憬は、東日本大震災のあとだからこそなおさら痛ましく胸に迫る。今回の舞台を私はそのようなものとして見た。

揶揄したような書き方になってしまったが、芸達者な舞台俳優らに混じって強烈なズレ、違和を伴う存在感を放った松田龍平の起用はやはり適役だったと思う。そして父権と国家権力と世間を背負って賢治を断罪する役回りの山西惇の好演は特記されるべきだろう。長塚圭史演出の舞台は初めて見たが、井上演劇本家のこまつ座公演とあって個性の発揮よりも原作へのリスペクトがまさったのではないか、と勝手に想像。賢治作品から出てきた人物らのアンサンブルの場面などはもっと遊びをふくらませることができたと思う。廃校舎での農民劇団による劇中劇、という設定を見事に具現化した美術には惜しみない拍手を。

近々東京を離れることになりそうで、演劇や音楽と疎遠になることは確実だ。残り少ない日々、できるだけいろいろ見聞きして記憶にとどめておきたいと思う。と久々のエントリの言い訳。


posted by NA at 01:01| 東京 ☀| Comment(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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