2007年01月25日

都響定期にまた行ってみた

というわけで今度は時間はないけど無理やりサントリーホールへと突入して東京都交響楽団第639回定期を鑑賞。曲目から、バルトークの民謡研究が日本の戦後音楽に及ぼした影響がテーマか、と思ったが、前半の邦人作品ではあまりそれを意識する機会はなかった。

最初の間宮芳生「合唱のためのコンポジション第4番 子供の領分」は児童合唱(指揮者の両側、ステージ上最前列に並んでいた)による懐かしい東京の子供のはやし言葉をオケが後ろから包み込む構成だ。冒頭の「でぶでぶ百貫でぶ」で客席から失笑が漏れる。だが威勢のいいわらべうたの洪水から一転、夕方の公園を彷彿させる優しい響きの中で歌われる2楽章「なつかしいうた その1」に情感を不意打ちされた。もう少しで涙が零れるところだった。
夕暮れの中わらべうたを歌いながら家路を急ぐ姿が、街から消えて久しい。子供もわらべうたも、それを見守る大人の影も。幾重にも失われた風景がステージで束の間再現されたことが涙腺を刺激したのだろう。
わらべうたの引用と言っても、三善晃の「響紋」のような厳しさや難解さはない。路地から子供が駆け出るようにかつて耳にしたあの歌この歌が様々な音の隙間からひょっこり飛び出してくるのを楽しめばよい、そういう種類の音楽。だが、単なる童謡のオケ伴奏編曲からこの曲が遥かに隔たっているのは、失われた情景を掬い上げる作曲者――招待席からステージに呼ばれ盛大な拍手を浴びていた――のまさしく構成(コンポジション)のテクニックゆえだろう。児童合唱のひたむきな歌唱に管弦楽もよく応え、この日一番の好演だった。殊更に目新しい音響を追いかけた音楽ではないが、20世紀音楽のひとつのあり方として後世に残り得る作品だと思う。

対して、ふたつめの小倉朗「管弦楽のための舞踊組曲」は色褪せた前衛という印象が強かった。使い古されたイディオム。台風襲来を報じるモノクロのニュース映画の背景にでも流れていたような感じというか。別に見たことがあるわけじゃありませんが。
好意的に見れば、ゲンダイオンガクが我々の生活で知らず知らずのうちに身近なものになっていることの証左と捉えることも可能だろう。でも正直、もう少し違う曲を聴きたかったなあ。ちなみにこの演奏会を含む「日本管弦楽の名曲とその源流」シリーズは別宮貞雄のプロデュース。

後半は久々の生バルトーク。だが、それぞれ熱演ではあったが少しずつ不満が残った。
室内楽からの編曲である「2台のピアノと打楽器と管弦楽のための協奏曲」は、原曲に比べて実演を聴ける機会は多くない。この日の演奏を聴いていて、バルトークのオーケストレーション自体にも問題があったからかもしれない、と思った。
刻み方が次々変わる8分の9拍子の第1楽章アレグロは4人の奏者でもアンサンブルを揃えるのは大変だろうが、大編成のオケがきっちり合わせるのはおよそ至難の技だろう。その一方でソロ奏者はいずれも大音量を叩き出し、グランカッサの一発で弦の微妙な縁取りなど消し飛び、一生懸命ピチカートで伴奏しても轟々たるピアノとティンパニの応酬の前には霞んでしまう。4人の独奏者のフォルテッシモに太刀打ちできるだけの音を鳴らし、しかも機敏に高速変拍子をこなすオケとなるとそうそう多くはないだろう。
バルトークの3曲あるピアノ協奏曲ではいずれも木管が印象的な役割を振られているが、この曲も例外ではなくたまにメロディに被って出てくる木管のフレーズばかりが耳についた。座席が1階奥で左寄りだったのがバランスが悪かった原因なのだろうか。終楽章の金管の鮮やかなカノンはもう少し粒が揃っていれば、という惜しい出来だった。
とはいえ、舞台の前面にグランドピアノ2台と打楽器群が並び、それをオーケストラが取り巻く景色というのはなかなかの壮観ではあった。ラベック姉妹以来この曲の室内楽版を女性同士で弾くことは何度か見かけたが、田部京子、小川典子のペアもよく呼吸があっていたと思う(途中セカンドの小川さんが一瞬落ちかかったような。気のせいかな?)。忙しげに様々な打楽器をプレイした団内ソリストの2人のパーカッションもお見事。演奏中にシンバルの受け渡しをするところがあり、落とさないかはらはらして見つめてしまった。
ともあれ、一バルトークファンとしてはこの曲にチャレンジしてくれたことだけでも都響には感謝しなくてはいけない。演奏も決して悪くはなかった。次は「コントラスト」を誰か二重協奏曲に編曲してやってくれませんか。

ラストの「舞踊組曲」は前回実演を聴いたのが4年前、イヴァン・フィッシャー指揮のボストン響だった。比べては申し訳ないが、バルトーク特有の微妙なアゴーギクに馴染まないのか、俊敏な反応が際立ったボストン響の自家薬籠中の演奏に対してわが都響はどうしても入りがもったりする印象があった。アインザッツのたびに「よっこらしょ」とフレーズが立ち上がる感じ、とでも言おうか。高関健の指揮は曲の要所を捉えたもので、演出の意図がよく伝わってくるディレクションだったが、客演の限界で出音の瞬間を完全に掌握するには至らなかったのだろうか。合唱、ピアノと打楽器というそれぞれ応答性の異なるアンサンブルが一夜に登場したことの影響もあったかもしれない。

しかしそういった小さな瑕はさておき、「舞踊組曲」はいつ聴いてもすばらしい。冒頭楽章の微小な素材が拡大していく様子は後年の傑作群を予告しているし、リトゥルネロ主題の素朴な美しさは晩年の「管弦楽のための協奏曲」第4楽章と直接繋がっている。そういえばどっちもキーはGだな。
都響はテュッティでは実に息の合ったまろやかなアンサンブルを聴かせてくれた。棘が少ない音を出すオケなのだな、と思った。そしてこの日の演奏の最大の収穫は終楽章のビオラソロ。短いが印象的なフレーズを、実に味わいのあるいい音色で鳴らしていた。うーん、いいねえ。

短い間に立て続けに同一オケの定期を聴いたのは久しぶりだが、いずれもそれなりに面白い演奏会だった。今年はもっとオケを聴きに行こう。
posted by NA at 01:04| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(1) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
バルトークに及ぼすってなぁに?
Posted by BlogPetのめち at 2007年01月26日 11:43
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Excerpt: 前回の都響の松村禎三氏のピアノコンチェルトの熱演に大変気をよくして、またしても大長老、別宮貞雄プロデュースのコンサートに行って来ました。それにしても大長老のプロデュース、なかなかいいですね。次は、武満..
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Tracked: 2007-01-26 01:09