2007年01月20日

都響定期に行ってみた

夕方にすぽっと暇ができたので、おれカネゴンさん経由で拝見したralatalkさんのブログで紹介されていた、東京都交響楽団の定期演奏会へ行ってみた。
松村禎三という作曲家については、八村義夫の著作「ラ・フォリア」で読んだりして以前から気になっていた。噂のピアノ協奏曲第1番がいかなる音楽なのか、興味津々で上野へと赴く。音響のいい5階席にしようかと思ったが、ピアノ独奏の手元が見たくて3階左側の当日券を購入する。

オープニングの松村禎三「管弦楽のための前奏曲」がいきなりこゆい曲だった。オーボエの先導に続いてピッコロ6本(うち4本はフルート持ち替え)がほひららふひららと出てきたときは高調波がきんきん干渉するのを覚悟したが、ピッコロの割には案外低い音域で密集音形を奏でていたようでそういうことにはならず、うねりからまる旋律が独特の存在感を醸し出していた。でもサントリーホールだったらえらいことになっていたかもなあ。
音楽は日本的な枯淡とは無縁にひたすら粘着して粘着して膨張し、壮大なクライマックスを形成する。「前奏曲」というタイトルの曲が何かの前座であった試しはあまりないような気がするのだが(すみません素人です)、この曲もメインディッシュ級にお腹がいっぱいになるタイプだった。

続いて野平一郎登場。注目のピアノ協奏曲第1番は、独奏ピアノに恐ろしいほどの運動量と忍耐を強いるとんでもない怪作だった。名人芸をひけらかすようなサービスフレーズは全然なく、単一楽章30分余りをひたすらオスティナートでトレモロで和音連打で縁の下の力持ちで情報を処理しまくり、その上をオケの各パートが協奏的に通過したり湧き上がってきたり寝込みをいきなり襲ったり、という風情である。説明になってない。しかし確かにこんな曲聴いたことないな、という不思議な感動があった。
先の前奏曲同様、響きの残るホールだったら音響の壮絶な渦がぐわんぐわん鳴り渡っていたかもしれないが、東京文化会館はそのへんあくまでも見通しよく分離よく提示するホールなので、アマルガムにはならず各パートの分業ぶりがより際立って聞こえたということもあるだろう。
野平さんは以前バルトークのピアノソナタの実演を聴いたことがあり、思えばこれもオスティナートで連打連打な作品だったっけなあ。大編成管弦楽を底から動かすダイナモとしての熱演に大いに拍手を送る。

後半のミヨーとオネゲルは、これまた変な曲だった。ケンタッキーの民謡をもとに構成したミヨーの作品は、能天気きわまるぶんちゃか音楽。フランス人が米国に注ぐまなざしというのは一筋縄ではいかないようだ。
オネゲルの「交響曲第5番」は第1楽章冒頭の重厚なテュッティが印象的。でも構成原理はドイツ系のシンフォニストとはまるで違うようで(3楽章だし)、「交響曲」というのもいろいろであるなあ、と改めて思う。ティンパニ奏者が各楽章の最後で一発ずつレの音を叩くだけのために舞台袖で控えているというのもなかなかである。これだけの出番で間違える人もいるのかも。俺だったらやりかねない。

都響は24日にはバルトークを中心としたプログラムを組んでいる。こっちも行きたくなってきた。暇ができるといいんだけど。
posted by NA at 23:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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