2011年12月26日

ムーンライダーズの終着点

三十五年目にして無期限活動休止を宣言するとは、何とも彼ららしいと言えばらしい意表の突き方だった。ムーンライダーズがついにその活動を終える日が来たのだ。
厳密に言うと用語としてはあくまでも「休止」であって解散ではなく、また年末ぎりぎりまで活動予定は残っているので、今の段階ではまだ現役のバンドだ。だが、12月17日の中野サンプラザ公演は多くのファンにとっては彼ら全員の姿を直接目にする最後(と言おう)の機会だったに違いない。私もそこに足を運んだ。

五年前の「晩秋のジャパンツアー2006」のエントリで私は
次は35周年の前後でまたぱーっと活動するのだろうか。そしたら今度はCDの次世代メディアで再発ラッシュになるのかな。ともあれ私は、きっとまた彼らの愉快なライブに、同じだけ歳を重ねて行くことになるだろう。少し先を行く彼らの姿を追って。
ムーンライダーズがこの世にあって本当によかったと思う。
などと牧歌的なことを書いていた。若い頃からもともと熱い野心とは無縁のバンドだったので、この先ものらりくらりと老人ロック年金ロックの道をたほたほと歩んでいくのだろう、と勝手に信じていた。だから正直、今回の停止だか事実上の解散だか(わからない)がまだ納得できていない。

サンプラザ公演自体は、近年の若いミュージシャンによるリスペクトで知ったらしい組やはちみつぱいから追っかけてましたみたいなお年寄りもいたりと老若男女入り交じった多様な構成の観客層だったのが災いしたのか、満席だけどノリがいまいちという居心地のよろしくないオーディエンス環境だった。どうも調子が狂う。いつも以上の物販の長い列に心乱されて、自宅にターンテーブルもないのに暫定ラストアルバム「Ciao!」のLP盤\4,000を買ってしまったのは内緒である。
それでもライダーズ(このところのレギュラーメンバーだったサポートドラマーの夏秋文尚を含めた7人編成)は、ライブの常でおなじみのナンバーに新曲もきっちりやってラストは再び懐かしソングで盛り上げてくれた。聴きたい曲をあれもこれも全部やってくれたわけではないが、その要求に応えていたら夜明けまで演奏が続くことになるだろうから仕方ない。
最新作「Ciao!」は思いのほか馴染みやすい仕上がりで、昔からこういうアルバムばかり出してたらもっと売れていたであろうに、と思わされる傑作だったが、ライブでもそのサウンドを見事に再現していたのが出色。とりわけかしぶちさんの「ラスト・ファンファーレ 〜The Last Fanfare〜」は大陸的なスケールの大きい旋律と懐かしい言葉が繰り出され、ずっと前から知っていたと錯覚させる名曲。目頭が一瞬熱くなった。

だがそれ以外は湿っぽさとは無縁のステージで、新作からのラストナンバー「蒸気でできたプレイグランド劇場で」のあっけらかんとした調べで最後のライブはお開きとなった。そして驚くべきことに客がみんなおとなしくぞろぞろ帰っていくではないか。我々はここで「くれない埠頭」を力の限り合唱してメンバーを呼び戻すべきではなかったのか。だがそんなことをする者はなく、淡々と現実を受け入れて中野の夜は終わったのだった。

以来一週間、私はいつもに増して腑抜けの日々を送った。この先もそうかもしれない。ライダーズを失ったこの先の人生がどういうものになるのか見当がつかない。
よく考えれば(よく考えなくてもそうだが)ライダーズ成分が人生に占めていた割合というのは決して高くなかった。数年に一度、太陽黒点に連動して活発化する音楽活動に付き合ってディスクを買いライブに行ったり行きそびれたりしていただけだったのだから。この先活動再開する可能性は(低いだろうが)ゼロではないので、とりあえずは前と同じようにライダーズなしの日常に戻るだけの話ではないか。
だがこの胸に穴が空いたような感覚は何なんだろう。やっぱりつらいな。

特設サイトの鈴木慶一ロングインタビューを読んで改めて思ったのだが、少なくとも鈴木慶一は未だにビートルズをはじめとする海外のロックからの多大な影響下で音楽を作っていて、楽曲のしかるべき部分についてすぐに「これは誰それの何何で……」というフレーズが口をついて出る。熱心なフォロワーはいわばその元ネタも含めて聴いて愛しているのだろうけど、私は正直そのへんは(ビートルズはともかくとして)あまり関心がなくて、ライダーズというプリズムでねじ曲がり集光されて出力された輝きだけを愛でていたのだと思う。そのへんがもどかしくもあり、いろいろな意味でもったいなくも感じる。
思えばライダーズぐらいスタイルにこだわらずに音楽活動を続けてきたバンドも稀ではなかろうか。その時代その時代に鈴木慶一らが面白いと思ったサウンドを柔軟に取り入れ、しかしそういうものは往々にしてマニア以外には受け入れられなくて人口に膾炙するには至らず、そうこうしているうちに次のムーブメントを見つけてそちらへと走り出し、以下繰り返し。今回のアルバムもその振動の中で生まれ、それがたまたま最後になってしまったかのような印象を、インタビューを読んで思った。歌詞やタイトルの一部に終焉の色を匂わせつつも、全体としてはポジティブなトーンを失っていないのはそのためなのだろう。

彼らは自分たちにとって面白いことをやり続け、たぶんそれが何かの事情(明らかにされてはいない)によって一段落してしまった。そのための活動休止宣言なのだろう、と部外者としては推測するほかない。
もしかしたらムーンライダーズの価値をわかっていないのは本人たちなのではないか、と思ったりもする。もちろん彼らもこの先続けられるのならば続けたかっただろうけど、彼らにとっての音楽作りはどこかファン活動的、ライダーズ用語で言えばアマチュアの匂いがする。しかし私たちは人生の様々な局面で彼らの作った虹色の音楽の好きな部分に心を撃ち抜かれ、そこから離れられなくなってしまっていたのだ。その音楽はディスクで再生し続ければいいだろう、という問題ではない。我々にしてみれば、ムーンライダーズの音楽の本質は、ライブで共に年老いていく音楽というところにあった。懐メロを懐メロとしてでなく、一緒に過ごした年数だけ歳をとった音として彼らは提示してくれていた。一度ディスクに録音された音は未来永劫残るものの、今回失われるのはまさにその変化の可能性の部分だ。
もはや彼らの音の成長はない、という事実が胸を締め付ける。

私は何かを失うといつもおろおろしているようだ。今回もそうだ。答えはない。対処法はない。でもこのままではいられない。どうしたらいいのだろう。途方に暮れて年が暮れてゆく。
posted by NA at 02:25| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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