2006年05月29日

替え歌で歌へ君が代

久々に産経新聞らしい面白い記事が今朝の朝刊に出ていた。
Sankei Webの
「君が代」替え歌流布 ネット上「慰安婦」主題? だ。こういう記事を毎日読みたいものである。
 卒業式、入学式での国歌斉唱が浸透するなか、「君が代」の替え歌がインターネット上などで流布されている。「従軍慰安婦」や「戦後補償裁判」などをモチーフにした内容だが、本来の歌詞とそっくり同じ発音に聞こえる英語の歌詞になっているのが特徴で、はた目には正しく歌っているかどうか見分けがつきにくい。既に国旗掲揚や国歌斉唱に反対するグループの間で、新手のサボタージュの手段として広がっているようだ。
歌詞全文は産経紙面にも載っていたが、検索してみたところ反ひのきみネットあたりが発信元だろうか。私はこんな歌があることは今まで知らなかったので、1面トップで報せてくれた産経新聞には大いに感謝したい。
紙面には大学教授の「陰湿な運動」と批判するコメントも載っているが、恐らく出稿した記者は「君が代」が強制されている実情に対する批判の思いがけない広がりぶりを産経読者に伝えたかったのではなかろうか、と推測している。違ったらごめん。

別に君が代に限らず、どのような心情を歌ったものであれ、歌は他人に強制するものではないと思う(ましてや愛情を押し付けるなど言語道断)。私は「踊るダメ人間」は好きだが、誰もがこの歌を歌わねばならない状況になったら絶対に反対する。どういう状況だ。
歌うことを強制された側の最後の抵抗手段が替え歌だろう。歌いたくない人たちを、言論の自由を奪われた戦時中の市民による非暴力的抵抗を思わせるような状況にまで追い込んだのは、教育委員会、文部科学省の側の責任だ。既に我々の社会は言論統制化にあるのだろうか。

天皇制という制度と個人に対する好き嫌いをごっちゃにしてはいけないが、個人的には今の天皇はいい人っぽいので好感を感じている。天皇夫妻との面識はもちろんないが、彼らがかかわる集会などに万が一自分が居合わせて「君が代」が流れたら、場合によっては唱和、はしないかもしれないけど、まあ笑顔で耳を傾けてもいいんじゃないの、ぐらいの感じだ。ほかの人が音楽を奏でたいのならば邪魔はするまい。
その天皇自身が「(君が代唱和は)強制になるということでないことが望ましいと思います」と園遊会で言っているのだし、何も歌いたくない人間にまで無理に歌わせることはないやね、というのが一般的な受け止め方ではなかろうか。
つい歌いたくなるぐらいいい歌ならばみんな勝手に歌っているだろうが、そういう気配は今のところ学校以外の世間においてもほとんど見られない。残念ながら私も「君が代」のメロディーとリズムは好みと合わない。最初は趣味でなくても何度も歌わされているうちに好きになる? そうですかねえ。

「君が代」を無理やり歌わせることがこの国のためにどう役に立つのか、私にはまったくわからない。柔和で控え目な微笑を振りまき、伝統を大事にしたライフスタイルを実践し、広く世界に日本に対する好感を抱かせることこそがシンボルとしての天皇家にふさわしいあり方だと思うし、今の天皇家はその点結構いい線を行ってる。それで十分だろう。天皇に要らぬ反感を買わせるような施策を行うことこそが不敬罪もの(この言葉は嫌いだけど)でなかろうか。
対中、対米戦争などが先代の天皇の下で行われたことは事実で、その事実関係や責任の解明はまだまだ不足しているとは思うが、それはそれとして、今の天皇家のあり方とは切り離して語ってもいいのではないか。ゆるくてすみません。>左翼な方

ところで替え歌そのものについては、まあまあの出来か、という感じ。同じ音でも、もう少しバカバカしい内容にしてくれた方が愉快に歌える気がする。政治的主張が織り込まれた結果なのかもしれないが、目くじらを立てては相手と同レベルの争いになってしまうので、更なるナンセンスへ向けた洗練に期待したい。そういうもんでしょ、替え歌って。
posted by NA at 18:34| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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