2010年04月12日

さようなら井上ひさしさん

本の世界に導いてくれた作家が亡くなった。以前、山下勇三さんが死去したときのエントリに書いたが、朝日新聞で連載されていた長篇「偽原始人」が、私にとって初めての自覚的な読書体験だったからだ。
asahi.comの作家・劇作家の井上ひさしさん死去 「吉里吉里人」などから引用。
 軽妙なユーモアをたたえた優れた日本語で「吉里吉里人」「國語元年」など多くの小説や戯曲、エッセーを書き、平和運動にも熱心に取り組んだ作家・劇作家で文化功労者の井上ひさし(本名・井上廈)さんが、9日午後10時22分、肺がんで死去した。75歳だった。
 山形県小松町(現川西町)生まれ。5歳で父と死別し、経済的な事情から一時、児童養護施設で育った。仙台一高から上智大フランス語学科に進み、在学中から浅草・フランス座で喜劇台本を執筆。卒業後、放送作家となり、1964年にNHKの人形劇「ひょっこりひょうたん島」の台本を山元護久氏と共作し、鋭い風刺と笑いのセンスで注目された。
 69年には劇団テアトル・エコーに「日本人のへそ」を書き下ろして本格的に劇作家デビュー。72年、江戸の戯作者(げさくしゃ)を描いた小説「手鎖心中」で直木賞、戯曲「道元の冒険」で岸田国士戯曲賞を受賞した。
 東北の一寒村が独立してユートピアをめざす小説「吉里吉里人」(81年)をはじめ、「不忠臣蔵」(85年)、「東京セブンローズ」(99年)、戯曲「天保十二年のシェイクスピア」(74年)、「化粧」(82年)など、壮大な想像力と平明で柔らかな日本語を駆使し、大衆的な笑いと深い人間洞察を両立させた秀作を多数執筆。エッセーや日本語論でも活躍した。
 83年には自作戯曲を上演する「こまつ座」を旗揚げ。「頭痛肩こり樋口一葉」(84年)、太宰治を描いた「人間合格」(89年)、林芙美子が主人公の「太鼓たたいて笛ふいて」(02年)などの優れた評伝劇や喜劇を次々と上演。97年には新国立劇場の開場公演「紙屋町さくらホテル」を手がけた。同劇場には庶民の戦争責任を問う東京裁判3部作「夢の裂け目」(01年)、「夢の泪」(03年)、「夢の痂(かさぶた)」(06年)も書き下ろし、10年4月から3部作連続上演が始まった。09年に初演した「ムサシ」が10年にニューヨークとロンドンで上演される。
「吉里吉里人」が30年近く昔の小説だとは思わなかった。あの鈍器のように重く分厚い単行本を、中学生だった私はこともあろうに数日がかりで全編本屋で立ち読みしたのだ。
小説新潮連載中から「すごい作品だ」という世評を聞いて、読みたい思いが募っていた。餓鬼の悲しさ、小遣銭は文庫本を買うのがせいぜいで、さりとて図書館に入るのを待っていたらいつになるかわからなかった。だから腕の疲れを感じながらそれでも朝から晩までずっと立ち読んでいた。週末だったのだろうか、なんでそんなに時間があったのかは覚えていない。おおらかだった駅前書店に感謝したい。

「日本人のへそ」「表裏源内蛙合戦」「天保十二年のシェイクスピア」「しみじみ日本・乃木大将」といった初・中期の戯曲は大好きだった。全共闘運動の失敗を踏まえた「それからのブンとフン」の苦さを少年の頃どこまで理解できたことだろう。思えば前記の舞台作品も「偽原始人」も「吉里吉里人」も敗北者たちの物語ではあった。「珍訳聖書」もふざけた題名に比して沈痛な読後感をもたらす戯曲だった。
私の十代は井上ひさしの小説とともにあった。「黄色い鼠」「十二人の手紙」「青葉繁れる」「ドン松五郎の生活」「手鎖心中」「下駄の上の卵」「イーハトーボの劇列車」「四十一番の少年」……ああ、思い出せばきりがない。筒井康隆と井上ひさしは少年時代の私のヒーローだった。
初期の珠玉の短篇「あくる朝の蝉」は日本ペンクラブ電子文藝館で閲読可能だ。兄弟を題材にした古今の小説の歴史に残る名作だと思う。再読して、孤児院という特異な環境に適応してしまった「弟」の振る舞いに、昨今の幼児虐待事件に通じる痛ましさを覚えた。井上ひさしが幼い頃から向かい合ってきた闇がここには映し出されている。

著作リストを見ていて、最後に彼の本を買ったのは十年以上前になることにも気づいた。長期連載の末に結実した長篇「東京セブンローズ」は、緻密な考証に基づく前半の太平洋戦争下の庶民の生活描写の素晴らしさと、イデオロギーが色濃く打ち出された後半の失速があまりに極端すぎた。なぜここまで丁寧に育てた舞台をただの主張のための小説にしてしまうのか、と残念に思ったのを覚えている。
作家井上ひさしの行動原理となっていた平和主義が小説の中で主張として展開されたとき、それをただのお題目としか読めなかった当時の私の狭量にも問題はあっただろう。今読み直したらまた別の景色が見えるかもしれない。しかし、政治活動に傾倒していく中で発信される彼の言葉の数々は残念ながら私の心に響くものにはならなかった。俺はその意見にはおおむね賛成だけど小説で読みたいとは思わない、と。

しばらく交渉の途絶えていた、でもとても懐かしい知人の訃報を前に、今私は申し訳ない気持ちでいっぱいだ。晩年の訴えにも耳を傾けるべきものはあったかもしれない。私は彼から読書の習慣をはじめ多くの知を手渡されたのに、ついにふさわしい敬意を払うことのないままだったから。せめて残された本にもう一度会いに行こうと思う。文豪という呼称は決してふさわしくない、わが友井上ひさし。
ラベル:井上ひさし
posted by NA at 01:30| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(1) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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「道元の冒険」等 井上ひさしさん死去
Excerpt: 作家の井上ひさしさんがお亡くなりになりました。75歳でした。
Weblog: つらつら日暮らし
Tracked: 2010-04-12 07:22