2009年08月29日

(選挙後の)自民党に期待する

総選挙の結果はどうやらこのまま民主党の圧勝で終わりそうだ。
自民党がjimin.jpドメイン内で展開している、ネガティブキャンペーンというよりはもはや公認怪文書(「怪」は出所不明の意味ではなく内容についてだ)とも言うべき悪口雑言の数々は、1955年以降ほぼすべての期間で日本の政治を担ってきたこの政党の断末魔を示すものとして末永く記憶とウェブ魚拓に残るだろう。
他方で民主党のラベルが貼ってあればそうとうめちゃくちゃな候補も議員バッジを獲得する状況にあるらしく、このへんは1989年、1993年、2005年あたりの選挙と何ら変わりはない。自民党にも石破茂のような真っ当な人間はいるので、彼らが引き続き国政に携われるよう、各選挙区の有権者の慧眼に期待するほかない。

改めて思うのは、明治維新との類似性だ。ビバ維新、ということではなく、一度「政権交代」の流れができたらとにもかくにも意義そっちのけで重心が一気に傾いてしまう付和雷同的国民性の変わらなさ、の方に関心がある。
歴史について専門に学んだわけでもない私が書くのも僭越だが、もともと尊皇攘夷を掲げて蜂起したはずの反幕府勢力が、列強との差の大きさや政治制度を学ぶにつれて当初の主張はどこへやら、とにかく形式的には大政奉還というかたちで政権奪取は貫通したものの理念的にはまるで違うかたちの結末を迎えたのが明治維新だったと思う。
93年総選挙も政策的には既存政党とどこがどう違うのかよくわからない新党ブームで一時は自民党が政権を失うところまで行ったが、今回のえじゃないか的民主党政権樹立(明日の夜の話だが)もその意味では同じだ。政策は選択肢ではない。マニフェストの詳細を取り上げて「だから民主党政権はとんでもない」と論ずる自民党のスタンスは、そもそも前提からして間違っている。誰もそんなもの読んでもないし気にしてもいないんだから。

93年は55年体制最後の切り札だった社会党カード(この政党は野党でありながら、最後まで総選挙で過半数を窺えるだけの候補者を立てることはなかった)を使うことでアンシャン・レジーム側が政権奪還に成功、さらに2001年にはこれまた禁じ手だった小泉純一郎の登用でさらに延命してきた自民党ではあったが、小泉内閣はまさしく人工心肺でしかなく、外したら機能が停止するだけの存在だった。というわけで2006年以降の自民党は政党としては事実上脳死状態で、個々の臓器だけが長らえていたのだろう。

まあそんなことはどうでもいい。
選挙後にこの党が「自民党」の看板を保つかどうかはわからないが、おそらく相当数の重鎮が落選するか、比例区で復活するにしても党内基盤の多くを手放し権力を喪失することになる代わりに、若手が台頭して精悍な保守主義を軸とした機能的政党に生まれ変わるならば、次回以降の選挙で必ずや国民に必要とされるであろう。
明治維新の主役は10代を含む若い志士たちだった。各地で誕生している30代市長は、今この国を覆う変革機運がもたらした以外の何ものでもない。本人は政治に直接かかわることに興味があるかどうか知らないが、切込隊長のようなイデオローグを中核に据えて若い世代の意見を中心に建て直しを図ることが急務だろう。まあだったら「自民党」でなくてもいいじゃん、ということになるのかもしれないが。

二大政党制は結局よく似た双子の鵺のような政党を現出させるだけで、あらゆる権益層に配慮しまくってばらまき合戦に勝った方が政権を獲得するということになるのかもしれない。だが、大敗して既存のしがらみから一度すっぱり切れた後の自民党だったら、あるいは別な展開もあり得るのではないか、と思う。
2ちゃんねるあたりに棲息している頭でっかちにイデオロギーを振り回す自宅警備の若者らに媚びを売る必要はないが、官僚であれ産業界であれ、老人の支配に飽き飽きしている若い世代に必要とされるような、そういう政党に生まれ変われるのであれば今回の大敗も決して無駄にはならないだろう。死亡宣告はまだだけど、自民党の復活に期待したい。
posted by NA at 14:27| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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