2009年03月01日

涙は出ないけど「チェンジリング」はいい映画なので見に行くべきである

およそ親たるもの、理由がわからないまま子供を奪われること以上の恐怖はなかろう。前宣伝や予告編などでクリント・イーストウッドの「チェンジリング」がそういう物語だと知って映画館に赴いた我々は、だから映画の冒頭、失踪する前の独り息子の仕草ひとつひとつを食い入るように見つめる。アンジェリーナ・ジョリー演じるシングルマザーが子供と結ぶ手と手、路面電車の中から見送られる子供の姿、背丈を測った柱の創。手数の少ない禁欲的なピアノ、押し殺した声のような消音ホーンの旋律(作曲もイーストウッド)は、まもなく訪れる不幸の予感をそそるかのようだ。
そして、当然ではあるが予告されていた粗筋通りの事件が起きる。

だが不思議なことに、絶望のどん底に突き落とされないのだ。主人公である母親のみならず、観客である我々もまた。
「子供はどうせ生きているに決まっている」という先入観があるからでも、主人公を襲った災厄の描写が甘いからでもない。劇中描かれるLAPDの恐るべき杜撰な捜査態勢に怒りを覚えない人はいないだろう。そして子供を狙ったシリアルキラーの関与が判明し、不幸の予感(この時点で既に不幸そのものだが)はいよいよどす黒く染まる。しかし事態が絶望的であるほど、母親はいよいよ強くなっていくのだ。自分が子供を必ず取り返す、というほとんど狂気にも似た信念と共に。

changeling.pngこの絵柄を採用したのは日本だけではないのかもしれないが、アンジェリーナ・ジョリーが頬に一筋涙を流す宣伝ポスターは、この映画をお涙頂戴ものとして売り込もうとする映画会社の思惑が反映したのだろう。
changeling2.png対して、全米の劇場展示限定で作成されたというポスターでは、むしろアンジーのアップが子供の大きさに比して異様に見えるほどのアンバランスなデザインになっている。
実際、この映画に涙は似合わない。子供の行方を求めて奔走し、挙げ句の果てには手がかりになる言葉を聞き漏らすまいと殺人鬼の絞首刑の模様まで凝視する母の姿は、たぶん単純な母子愛の物語という枠組みでは回収できない強さを映し出す。

だが、その極端さをも含めてイーストウッド監督が描き出した人間像は感動的だ。警察の不始末を揉み消そうとする公権力に対してフォー・レター・ワーズ(四文字言葉)を口走ることも厭わない、綺麗事だけではない執念をも含めて、イーストウッドは追いつめられた人間の強さを全的に肯定する。そこには同情の涙の介在する余地はない。
実話に基づくこの事件が結局どのような顛末をたどったかは、ぜひ映画館で観て深く溜息をついてほしい。常套句で恐縮だが、イーストウッド映画のいぶし銀の味わいは劇場を離れてからも深く重く残る。
posted by NA at 23:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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