2009年02月07日

泡坂妻夫さん逝く

訃報を聞いて別の二人のことを思い出した。引用はasahi.comの目にユーモア注ぐ 福田繁雄さん・木村恒久さん悼む
 人の「目」は常にだまされたがっている。そして、夢を見たがっている。だから、白い膜の上を踊る光を「映画」と呼び、うっとりとする。そんな目の欲望に、笑いを宿したトリッキーな作風で応えたグラフィックデザイナーが二人、相次いで世を去った。ともに昭和ヒトけた生まれ、11日に76歳で亡くなった福田繁雄さんと、先月27日に80歳で亡くなった木村恒久さんだ。
騙す、というと人聞きが悪いが、様々なテクニックを駆使してミスディレクションを誘う技で一世を風靡した匠らが同時期に亡くなったことには、偶然以上の何かを感じずにはいられない。


泡坂さんの紹介と業績については02/05付の読売新聞コラム「編集手帳」が短い文章でよくまとめてあった。
 本名を厚川昌男という。あつかわまさお――文字を並べ替えて「あわさかつまお」、推理作家の泡坂妻夫さんである。遊びの(たの)しさを至芸の域にまで高め、変幻自在なトリックで読者を魅了したその人らしい命名である◆生半可な遊び心ではない。例えば「しあわせの書」(新潮文庫)ではひらくページすべてに、ある仕掛けが隠されている。真似(まね)しろと言われたら脳みそが卒倒しそうな仕掛けが何かは、実際にお読みいただくしかない◆東京・神田の紋章上絵師(うわえし)、和服の家紋を描く職人の家に生まれた。幼いころ、縁日の夜店で見た手品で人を驚かせる喜びを知ったことが創作の原点になったという◆「乱れからくり」など数々の本格物には、職人肌の凝り性と奇術師の妙技が溶け合っている。貴公子風の名探偵・亜愛一郎(ああいいちろう)や、謎の外国人ヨギ・ガンジーの明察に、夜の更けるのを忘れてページを繰った方も多かろう◆遊び、みずから愉しみ、その愉楽を一作ごとに読者と分け合って泡坂さんが75歳で逝った。幾何の難問を解き終えたような心地よい読後感は、色あせることのない紋章として読者の心に残るだろう。
作風と戦中世代であることを安直に結びつけてはいけないが、常識を疑いものごとの姿を様々な角度から見ようとした懐の深さ、その視点を誰もが楽しめるエンタテインメントにまで高めた技術は共通していると思う。

一時期入手困難だった「しあわせの書」は幸い増刷されたようだが、これに続くトリック小説として同じ新潮文庫から上梓された「生者と死者」は、今時珍しい袋綴じ(もちろんそれが本全体のトリックにかかわっている)ということもあっておそらく再版は容易でないと思われる。実家のどこかに転がっているはずの文庫本を発掘しなくては。当時買い込んでアンカットのまま残しておけば一財産になったかもしれない。

「編集手帳」の短い字数では到底紹介しきれなかっただろうが、書名、章題、登場人物名、プロット、冒頭と結びの一文まですべて回文形式でできている長篇「喜劇悲奇劇」の途方もなさについてもぜひ触れてほしかった。軽いタッチで書かれているため正当な評価を受けていないきらいがあるが、現実の写し絵でなく、作り物細工物としての小説の極北を行く作品だと思う。
「亜愛一郎」シリーズにしても「妖盗S79号」連作にしても、泡坂小説の神髄は「人間を描こうとしない」ところにあったように思えてならない。人物描写が杜撰だったというのではなく、物語の枠組み全体をいかに奇妙奇天烈なものにするかが、特に初期においては最大の関心事だったのではないか、と振り返ってみて思う。中間小説寄りに重心を移した「折鶴」「蔭桔梗」などの諸作は職人らの世界を舞台に濃やかな人間像の彫琢に意を尽くし成功してはいるが、それは泡坂妻夫でなくても可能だった表現ではなかったか。

前述の二作の大仕掛けが「本」という媒体でしか実現できないという意味で、泡坂妻夫はきわめて書籍的な作家だった。ネット時代の泡坂妻夫は果たして現れるのだろうか。その功績の大きさを改めて痛感する。
posted by NA at 23:55| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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