2009年01月28日

都響定期にまたまたまた行ってみた

というわけで現代音楽の素人がよせばいいのに都響第675回定期にまた行ってしまった。場所はサントリーホール。


残念ながら一柳慧の音楽は肌に合わない。演奏された二曲「循環する風景」「アンダーカレント」を聴いてそう思った。名人技というにはあまりにも機械的に過ぎる音の運動。印象的な旋律を形成するには至らない動機の反復と堆積に、高揚よりも苛立ちを覚える。
ヴァイオリン独奏の山田晃子の眼鏡には萌えたが、それ以上の価値は見出し得なかった。<おい

ケージのバレエ音楽「四季」。ふつうと言えばふつうの音楽。点描風に奏でられる抑制的な響きにヴェーベルンの影を感じたりしたが、作曲年代(1947年)を考えればむしろ当然か。


日本初演のコリリアーノ「ファンタスマゴリア」は、同時代の音楽であることと聴衆を逃さぬポピュラリティの間での落としどころを模索したような作品。自作オペラ「ヴェルサイユの幽霊」を再構成した組曲で、ロッシーニやモーツァルトの旋律が織り込まれるほか、解説によればヴァーグナーも出てきたらしい(わからなかった)。折衷的だが、違う年代の様式を同居させてひとつの音楽として楽しませる技術はさすがだ。ベリオ「シンフォニア」のような混沌はそこにはない。

この人の作品は以前、ハイドン「告別」を裏返しにしたような「プロムナード序曲」を聴いたことがあった。引用を前提にした音楽を聴くと、もはやまったく新しい音楽というものはないのだな、という思いを新たにさせられる。録音媒体の発達で過去の全時代の音楽をすべてフラットに享受できるようになった現代の聴衆は、代わりに同時代の音楽を失ったのかもしれない。多彩な響きのコリリアーノ作品を楽しみつつ(指揮のHKグルーバーも楽しそうではあった)、そんなことを思った。
posted by NA at 02:41| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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