2008年12月05日

ゲルギエフ+ロンドン響のプロコフィエフ

迷ったあげくサントリーホールまで行ってしまいました「プロコフィエフ・チクルス」。世界最高級のオケによる意欲的なプログラムなのに客が少なくて残念&申し訳ない、という感じ。コンサートの適正価格はどのへんにあるのか少し考えてしまった。

イープラスで当日引き換えのチケットを押さえたのだが、夕刻会場に行っても窓口がない。「当日券の列に並んでください」と言われ「そんなはずがあるか」と抗議したら、いきなりテーブルが出てきて引き換えてもらえるようになった。それも予約番号を無視してあわてて並んだ順にチケットを上からほいほい渡すだけ。いったい何年コンサート仕切っているんだか、しっかりしなさい。> 梶本音楽事務所

しかし金を惜しんだ(C席\12,000を予約。ちなみにS席\27,000、A席\22,000、B席\17,000)のが間違いだった。指定された席は左ウィング、もろに舞台の横である。ひどい場所だ。引き換えの時に場所を確認するんだった、と思ってもあとの祭りである。
ゲルギーの指揮ぶりを斜め前から見られるのはともかく、音のバランスは最悪。打楽器・木管・金管が何をやっているかはよく見えるが、対向配置で左側に来ていた第一ヴァイオリンとチェロとコントラバスは後ろ向きになってしまい、主旋律よりも真向かいにいる第二ヴァイオリンとヴィオラの音ばかりが飛んでくる。ちっ、掴んだな。

プロコフィエフの交響曲第三番の実演を聴くのはこれが二度目。前回は没後五十年企画だったからもう五年前になる。同じ三番でもピアノ協奏曲とは違って思いっきりハード、モダニズムごりごりの曲調ゆえおそらく演奏機会は多くないだろう。
その時のマイケル・ティルソン・トーマス指揮によるサンフランシスコ響の演奏は陶酔ものだった。クライマックスは空気が飽和したかと思うぐらい膨張した音響がホールを満たす中、さらに打楽器が一発二発とどめの打撃を容赦なく食らわすという、何とも暴力的かつ美しい音楽だったのだ。こりゃ家庭のオーディオでは再現不可能な音楽だよなあ、とつくづく思ったのを覚えている。
今回の演奏にもその感覚の再来を期待していたのだが、残念ながら空振りだった。私の座った位置では各パートの音は分離してよく聞こえるものの、弦木金打のアマルガムが手のつけようがないほど膨れ上がってもう大変、という体験にはついになり得なかった。せいぜい、山火事で奔走する消火隊の面々の健闘もむなしく最後に山は丸焦げに、という感じだ(どういうたとえだ)。プログラム冒頭だったので演奏者が全力を出し切っていなかった可能性もあるが、やはり音響の問題が大きいと思う。
これは次のピアノ協奏曲第三番でも同様で、クラリネットによる導入から水が一気に広く流れ出すかのような感動的な冒頭部分でも管のブレスなど雑音にばかり気が向いてしまって音響には集中できない。三楽章中間部でチェロが奏でる美しい主題も、奏者の皆さん松ヤニッシュに頑張ってますね、という印象に残らなかった。ああもったいない。

ということでインターミッションをはさんだあとの交響曲第四番はがらがらだった二階席後ろの方に潜り込む。本当はB席あたりなんだろうな。
驚いた。当たり前だが耳に入ってくる音がぜんぜん違う。ホールトーンに彩られたふくよかな弦の響きは見事にバランスされ、第一ヴァイオリンの艶やかな音色に魅了された。金管も木管も個人のノイズは影を潜め、音の束としてかっちりまとまり自在に綾なす旋律を奏でる。舞台の左右に20m以上離れて配置されたピアノとチューバの低音でのユニゾンが寸分の狂いもなく決まる。いや、オケってもともとそういうものなんだけど、前半とはあまりにも違う音楽体験に舌を巻くしかなかった。なんとなく「サントリーホールだったらどこに座っても大外れはない」と思い込んでいたが大間違いだった。

……とまで書いたところで眠くなったので続きはまた。
posted by NA at 04:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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