2008年12月02日

「キージェ中尉」との再会

ゲルギエフ指揮ロンドン交響楽団によるプロコフィエフ・ツィクルスが始まった。なぜかマニア筋の評価は高くないが、プロコフィエフはもっと評価されていい作曲家だと思う。ロシアの伝統を歪んで受け継いだ詩情豊かだがひねくれたメロディー、鋼鉄の響きを備えたオーケストレーションなどをこよなく偏愛している。
以前サンフランシスコ響のライブで大いに気に入った交響曲三番と定番のピアノ協奏曲三番が演奏される四日のサントリーホールにはぜひ行きたいのだが、適当な連れが見当たらず逡巡している。演奏会にひとりで行くのもつまらないし、さりとて決して安くはないチケットをクラシック素人のお嬢ちゃんに奮発するほど太っ腹ではないのだ私は(いや、別に野郎と割り勘でもいいんですけど)。
それにしてもクラシック愛好家って本当に生息数減ったなあ。妙齢の美女(自薦可)で同席していただける方はぜひご連絡ください。

ともあれ行くかどうかはさておき一応復習しておこうかね、と思ってプロコフィエフの交響曲全集のCDをがさこそ探していたら、先に出てきたのが交響組曲「キージェ中尉」が入ったディスクだった。うわー懐かしい。十何年ぶりだろうか。二度繰り返して聴いた。

「キージェ中尉」はもともと映画音楽で、成立の事情についてはサイト藤子まんがのルーツ「たかおか」に詳しく出ている。
私がこの曲を知ったのは小さい子供の頃、「プロコフィエフ」という名前を知るよりも先だった。父親がマゼール指揮だったかのレコードを買って聴いていたのだ。もちろんストーリーは知る由もない。
その音楽は子供心を魅了した。冒頭の遥か遠くから奏でられるかのような、淡雪にも似た柔らかいコルネットの響き、後にスティングが「ロシア人」で引用する「ロマンス」の甘美な旋律、「トロイカ」の疾走感。これらのメロディーが人生の楽しい思い出をなぞるかのように重なって再現される終楽章。ああ、「キージェ中尉」ってどんな素晴らしいお話なんだろう。

だが、先に参照したサイトを見ていただければわかるとおり、「キージェ中尉」は風刺を目的とした寓話であり、私が夢想していたような青年軍人のロマンと冒険に溢れた物語では決してなかった。後年それを知ったときの落胆を今でも思い出す。なんでこんな下らないストーリーにこんな極上の音楽が付されていたのだろう、と。

それはむしろ逆であったのかもしれない。美しいとは間違ってもいえない題材に対してさえも、プロコフィエフの天才は存分に発揮されたのだ。仮構の上にも美を築くことは可能である。
亡命先から帰国してソ連という国で生きることを決意した作曲家は、この曲を作った後も政治から様々な試練を受け、逆境のもとで多くの音楽をつくることになる。そう思って聴くと、この組曲の美しさはまた新たな装いをもって聞こえる。

チャイコフスキーほど朗々とロシアの壮大さを歌い上げるわけでもなく、ショスタコーヴィチほど分裂してもいないが、プロコフィエフの適度に屈折した、しかし耳になじみやすい音楽をもっと多くの人が親しんでくれたらいいな、と思う。
posted by NA at 01:10| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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