2010年01月23日

「アバター」についての今更コメント


2009年末から年明けにかけて大ヒットした3D映画「アバター」の感想を書くのを忘れていた。基本的にはよくできた今風電影見世物でありあまり深読みせずに楽しむのがよかろう、と思ったのでとりわけ書く必要も感じなかったのだが、あとになっていろいろ思い出してきたので。以下当然のようにネタバレだらけなので行間ちょと空ける。
 
 
 
 
 
 
 
・主人公が下半身不随の元海兵隊員、というシナリオ設定は要するに「強靭な肉体を取り戻すことを切望する、極限状況に適応可能な人材」という位置付けだったのか、と納得。最初にアバターと接続したときに見せる興奮状態はなんだか大袈裟過ぎて変だと思ったが、あそこまで強調しないと人類を裏切り異星人のために戦うことになる動機付けにならない、と判断したのだろう。「ナウシカ」や「もののけ姫」などで異種共存物語に慣れすぎている(というかこの手の異種対立ストーリーの落とし所は基本的に共存共栄っしょ、みたいな)日本風作劇術との感覚の違いを少し感じた。
・ところでやっぱり宮崎アニメの影響ってあったんですかねえこの作品。誰かインタビューで触れていないのかな。
・ベトナムのジャングルとインディアンの延長(赤だと露骨だから青く塗った)みたいな原住生物ナヴィが登場する本作は、アメリカ合衆国の原罪に対する告発か、みたいに気負って観始めたが、まあよく考えたら直接間接的にそういう見立てのできる映画はキングコング以来今までにも随分あったわけで、特に強調することでもないのだろう。ただ侵略を指揮する海兵隊の大佐(スティーヴン・ラング好演)が、筋肉馬鹿でまるっきり問答無用の悪役という扱いなのには少し驚いた。途中で命令放棄して反旗を翻す女性パイロット(ミシェル・ロドリゲス)の扱いもちょと新鮮だったかも。
・3D表現(もちろんこっちで観た)は、すごいというよりも物語の中で浮いていないことの方に驚くべきなのだろう。いかにも3Dでござい、というこれみよがしな利用(観客の方に物を飛ばしてスリルを味わわせる式の。昔は多かったなあ)はほとんどなく、全編が当たり前に3Dで表現されていた。
ただ私の観た上映館だけの問題かもしれないが、思ったほどジャングルの雰囲気が立体的に表現されていなかったのは、ひとつには音響がうまく使われていなかったからではないか。もっと密林感を演出するサウンドの使い方があったと思う。視点が切り替わるたびに音の方向が変わるのも不自然だが、見た目の奥行が増した3D映画での音響効果の扱いは今後大きな課題になるのではなかろうか。
・シガニー・ウィーバーは樹木と一体化して惑星の意思を体現する存在になるのではなかろうか、と思っていたが外れた。地球人は所詮よそ者、そこまで出しゃばってはいけない。しかし彼女はどこでもシガニー・ウィーバー役以外をやっていないような気がする。大女優というのはそういうものか。
・3D映画は盗撮は難しいし家庭での再現も金がかかりそうなので、短期的にはブロックバスター映画の主流を占めそうな気がする。3D再生設備が広く一般的になれば、映画以外のソース(オペラとか歌舞伎とか人気歌手のライブとか)も流すビジネスが大きく育つだろう。違法コピー対策にはコピーできないものを、という、大量複製を前提とした20世紀の手法を否定する新たなメディア展開がここから始まるのかもしれない。
タグ:アバター 3D
posted by NA at 07:39| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月16日

シベリア少女鉄道スピリッツ「キミ☆コレ〜ワン・サイド・ラバーズ・トリビュート〜」

新宿タイニイ・アリスでの公演を観に行った。この劇団(今回からいわゆる劇団ではなくてプロデュース公演になったみたいだけど)は初めて。川上未映子さんのブログで紹介されているのを読んで前売り券を入手し、知人の美人を畏れ多くもお誘いして行ってみた。
公演中なのでネタバレは避けるが、漫画家とアシスタントらの仕事部屋を舞台に、前半スローテンポで敷いたそれぞれの片思い風視線をすべて台無しにする壮大な卓袱台返し展開に唖然とする。誰もがわかる漫画とドラマとアニメの最大公約数ってえとあのへんになるのかなあ。

その後、知人の美人と夕食を食べてワインを飲んで珍しくタクシー帰宅。彼女も舞台を楽しんでくれたみたいでよかった。
何も起きなかったし起こす気はなかったし起こる可能性もなかったけど、まあそのなんだ、とても楽しい時間を過ごした。感情飽和量の少なかった昔だったらつい言ってしまいそうな迂闊な一言は言わずに済んだ。大人になったなお前。
しばらく忘れていた感情が心を占めて離れない。でも私の頭には大きな穴が空いているので、きっとすぐ忘れてしまうだろう。
posted by NA at 05:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月09日

東響定期@サントリーホール

またベートーベンの第七交響曲を聴いてしまった。サントリーホールにて東京交響楽団の第574回定期。東響定期は一年ぶりである。

最初のシューマン「序曲、スケルツォとフィナーレ」は安心して眠れた(こら)。綺麗だけど、まあそれだけの曲だと思う。ただの客入れ音楽なのか、どういう狙いがあったのかわからないが、昨年もそういうプログラミングしていたと思い出した。

続いて英国の中堅作曲家フィトキンのピアノ協奏曲「Ruse」。本日一番期待した委嘱作品で日本初演。でも世界初演は昨年12月にイギリスで行われていた模様。別に最初にやった団体がえらいわけでも何でもないが、名曲かもしれない新作を他で先に演奏されたらちょっと悔しくはないか、と余計なことを考える。
編成は独奏ピアノと弦楽にティンパニ(奏者は二人でやたらいっぱい並べてあった)。ソロのキャサリン・ストットはストイックに音符の多いスコアを再現し、最後までペースを乱さなかった。というか、もともとペースはそんなに変わらない曲だったりする。三者入り乱れてのドカシャバぎこぎこカリコレラ大会が突然静まってはまた復活し、というあたりがruseすなわち「策略、計略」たる所以か。
シンプルな編成でのモノトーンの執拗な反復が作曲者の表現意図だったのかどうか、いかんせん音色のバリエーションに乏しいため、次第に当方の音楽脳の反応が鈍感になり「あーまた止まった、また動いた」ぐらいしか考えなくなってしまってどうもすみません。タコじゃないけどトランペットの一本でもあればまた色彩が変わったろうになあ。終わりの方はクライマックスを作るのに苦労していたように思った。部分部分は面白かったのだが、少々期待はずれではあった。

で七番。先月読響で乱暴極まりない絶品の演奏を聴いていたため、今回の大友直人の演奏は端正ではあるが面白みに今ひとつ欠けた。協奏曲でおやすみだった金管が集中を欠いたのか音を外したりぶわーっと行き過ぎたりで、どうもしっくりフィットしていなかったように思う。とりわけホルンの音程が気になった。大谷康子コンマスの奮闘(四楽章での嬉々とした刻みは見ていて楽しかった)あってか弦はなかなかいいノリでスウィングしていたのに残念だった。大谷さんは個人的に好みなので次もがんばるように。
posted by NA at 01:49| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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