2009年10月20日

映画版「カイジ」はなかなかの拾いもの

いくらなんでも藤原竜也がカイジって無理ありすぎだろ、顎丸いし。と思っていたらあに図らんや、なかなかのはまり役だった。あなどってはいけない。
冒頭のコンビニでバイトをするあたりの演技は世を拗ねた青年というよりは頼りない坊主の風情だったが、物語の進行と共に原作譲りの大仰な台詞がちゃんと似合うようなキャラづくりをしていた。えらいえらい。
多額の予算を注ぎ込まなくとも、原作と主人公キャラがしっかりしていれば骨格がぶれないいい映画ができるという好例だと思った。たとえエスポワール号がぜんぜん豪華客船に見えなくとも、物語の妙味は損なわれていなかった。

画としては単純極まりない「鉄骨渡り」がしっかり見応えあるドラマになっていたのも収穫。原作の感動が損なわれていなかっただけでも評価に値する。失敗する負け組たちを見て喝采を上げるセレブの描写には月並みながら本当に敵意を覚えたもんなあ。そして石田さん役の光石研が好演。彼の演技がこのシーンを光らせた。
そういえば好演といえば地下飯場班長役の松尾スズキもだ。今うさんくさい人間を演じさせたらこの人の右に出る俳優はいないだろう。オーバーアクトぎみの香川照之もマンガっぽくてよかったです。

長大な原作のあちこちを摘んで130分にしているのでかなりせわしい(限定ジャンケンはオリジナルのルール通りにやってほしかったが、まあ細かい心理ゲームは映画向きではないよなあ)し「その展開はないだろう」というところもままあったが、若手女優を出して恋愛展開、みたいな余計なことはせずに直球勝負しているところに好感を覚えた。ほぼ紅一点の天海祐希は事実上男役だからいいのだ。ビバ宝塚。
カイジといえばおなじみ「ざわ...」の音声化には笑った。これから行く人は聞き逃さないように。

ところで公式サイトのフラッシュは重すぎるのでどうにかした方がいいと思った。全部を見て回るには時間がかかりすぎる。暇で金のない負け組の人が観ていればいいということか。
ラベル:カイジ 藤原竜也
posted by NA at 05:36| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月19日

動画の音声フォーマットだけ変換する方法

極めて特殊なハードの組み合わせでの話なので汎用性はないと思うけど、一応自分用備忘録ということで書いておく。検索エンジンで見つけてこの頁に来た方のお役にはあまり立てないかもしれませんが、そのへんどうかご容赦を。

相変わらずYASHICA DVC588なる低価格低性能DVカムを使っている。どぎつい緑などのすっごい色やズームするとすぐピントがずれてぼけぼけになる画像を見ているともう少しましなHDカメラがほしくなるが、まあとりあえず人が動いて映っていればいいじゃん程度の用途であればこれでも十分ではあるのだ。
ただ、撮りためた画像をこれまた以前に買ったPopcornHour A-110にて観ようとすると音が出ないのが困りものだった。どうやらMicrosoft ADPCMには対応していない様子だ。公式サイトの掲示板を探ってみても「早く対応してくれよう」という声しか見つからない。

というわけで適当なフリーソフトを漁ることにした。VirtualDubあたりでいけるかと思ったが、VFWコーデックがないとかだだをこねられたので、結局選んだのはOxelon Media Converterだった。これがなかなかの優れもので、動画ファイルのビデオの方はDirect Stream Copy設定で、音声だけ任意のフォーマットに変換できる。
上記組み合わせでは試行錯誤の末、「PCM Signed 16 Bit Big-Endian」にしたらなぜかうまくいったので、理由はそれ以上追及せずこれで使うことにした。変換早いしファイルサイズも増えてないそれほど大きくなってはいないようなのでとりあえずは問題ないかと。

ただタイムスタンプを変更せずに変換するオプションはついていなかったので、これもフリーソフトの井上博計氏制作CopyTimeにてオリジナルの日付・時刻に書き戻す。「いつ撮ったか」は重要な情報なので、できれば時間情報は保存しておきたい。あるいはファイル内部で持っているのかもしれないが。

それほどヘビーに動画を撮っているわけでもないので、とりあえずはこの方法でしばらくやってみるつもり。もしほかにもっと簡便な方法があればご教示ください。>詳しい方
posted by NA at 03:09| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 電網 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月12日

困った映画「しんぼる」


「要らないからあげる」と知り合いから「しんぼる」のチケットが回ってきた。天才松本人志の映画に対してなんたる侮辱、と怒らなかったのは、前作「大日本人」を観ていたからだ。そして今作の風評(というかほとんど悪評)も聞いてはいた。
もっともただでなら行ってもいいか、と思ってチケットをもらったのが大間違いではあった。こういう困りものの作品を野放しにしていていいものだろうか。

人生の時間は限られている。93分を費やすましな選択肢は他にいくらでもあるはずだ。果たして劇場内には休日の夜にもかかわらず(休日の夜だから?)一桁しか観客がいなかった。我が県の民度にはかねて大いに疑問を抱いてはいるが、この映画については順当な反応だと思う。

「大日本人」を観ていなかったならばあるいはもう少し楽しめただろうか? 松本人志の興味はどうやら壮大な「間の悪さ」の現出にあるらしい、という前作に対して抱いた感想は間違っていなかったようだ。
二つの世界(メキシコのプロレスラー一家の物語と謎の白い部屋に閉じ込められた男の物語)が並行して描かれて終幕近くでクロスする、という、まあよくある手法ではあるが興味を繋ぐやり方としてはそれなりに有効な構成をこの映画は取る。だが、構図が明かされたときに待っているのは失笑だけだ。
ちなみに「大日本人」での特撮ヒーローの活躍は仮面レスラーに置き換えられ、前作のかわいそうな祖父の役回りは「しんぼる」ではルチャドールの小学生の息子に振り返られている、というしょうもない類似点を指摘するぐらいしか書くことがない。メキシコパートは真相が明らかになるまではそれなりに観られるシーンが作られていた(プロレスの試合場面はなかなかいい感じだったのだ)だけに、オチのつけ方がまったくどうにも納得できないのだが、所詮そういう映画ではないのだから仕方ない。咥えタバコで乱暴な運転をする修道女(ルチャドールの娘)はなんで物語に絡んで来ないのか、などと怒ってももうまったく本当にどうしようもないのだ。

前作の感想にも似たようなことを書いたが、松本人志が既存映画と違う感触を表現することを強く指向しているのはわかる。だが、それに意味があるかどうかはまた別の問題だ。少なくとも私は用意周到に「がっかり」を演出されて楽しめるほど人間ができてはいない。
白い小部屋での独り芝居として展開する松本パートがもう少し面白ければまた別の意味を見出すこともできただろうが、残念ながら監禁状態からの脱出などの描写に目新しさはなく、ひねりの少ない凡庸な進行に終始したと言わざるを得ない。
どちらかと言えば、終盤直前までモキュメンタリー形式を取っていた「大日本人」の方がまだ映画らしかったと思う。映画のふりをした何物かが二作続いたわけだが、さすがにこの路線での三作目はあり得ないだろう。吉本興業が何らかの理由で映画部門で赤字を量産したいか、松本人志の評判を地に落としたい理由でもあるのならば別だが。

人から貰った券で観てきてなお文句を言うとは私もずいぶん器が小さいが、繰り返す。人生の時間にはもっとましな使途があるはずだ。この映画のことは忘れていい。
posted by NA at 01:45| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月09日

今頃驚いていてはいけないのだが

今から五年もの昔、トレンドの象の墓場とも言われる朝日新聞紙上にて既に紹介されていたというのだから知らない方がおかしいのかもしれないが、女子高生の間ではファーストキッチンを「ファッキン」と略するのが一般的であることを今日知って少なからぬ衝撃を受けている私がここにいるわけですよ。ああ、認めたくないなあ。

まあ可能性ほぼ皆無ではあるけど、女の子の父親になってでもいたら狂死していたかもしれないな俺は。女子の人たちよ、君たちはそれで本当にいいのか。余計なこと言ってすまんね。
posted by NA at 22:35| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 重箱 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月01日

「空気人形」「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を観た

何だか人形づいてるこの頃である。


エヴァについて。
劇中曲「今日の日はさようなら」と「翼をください」は、誰の演奏かは知らないがおそらく意図的に下手な合唱を使っていると思った。下手というか、いやなエスプレシーヴォの入った歌というか。
ほとんど使徒との激烈な戦いに終始していた108分で、あれよあれよという間に見終わる。

私はテレビ版・旧映画版の熱心な視聴者や観客ではなかった(未だにこの物語が拠っている世界観はようわからん)けど、かつてのバージョンで登場していた場面・シチュエーションが違うかたちで読み替えられていることには気づいた。もちろんストーリーの自然な展開としてのさりげない引用なので、旧作を知っている人には意表を突かれる楽しみがあり、知らない人にも別に鑑賞の妨げにはならない。人気アニメの再映画化ならではの賢いやり方である。この工夫は物語のより深いところに関わっているのかもしれない(次作以降で前作の世界とパラレルワールドであることが明示されるとか)けど、ともあれ庵野監督に拍手を送りつつ次を楽しみに待ちたい。
鑑賞後、ゲンドウの冷徹無慈悲さや綾波の自己犠牲を厭わぬ底知れないまでの献身を思い返して、父性や母性という言葉はあるのに子性ってないんだな、と脈絡なく思ったりした。


空気人形」はペ・ドゥナの裸を見られてよかった。とだけ書くと馬鹿であることがばれてしまうのでもう少し何か書くか。
ラストで映画に登場した人物がすべて揃って主人公に「おめでとう」を言う映画、と要約するとこれまたエヴァンゲリオンになってしまうのだが、文字通りからっぽの存在である空気人形(ダッチワイフ)の切ない生を描いたファンタジーだ。最後で勢揃いする主な登場人物の誰もが内側に何らかの空虚(脇役の少女ですら)を抱えており、彼女はそのすべてを代表する存在として置かれている。
何分ダッチワイフなのでコスプレさせられたり常識がなかったり空気が抜けたりはするが、ふつうの素朴な少女の恋愛を描いた映画として違和感なく観ることができた。恋愛映画としては目を背けたくなる悲惨な場面やちょいグロ描写もあったりするのでそのへん要注意だけど。
ところでこの映画も調律の合っていないピアノがサウンドトラックで多用されていた。下手な音楽を使って耳を欹てさせるのが流行なのだろうか。

今更言うまでもなくペ・ドゥナはよかった。
もともとお人形さんのような大きな目と整った顔立ちなので当然のはまり役ではあるが、少し前のドラマで速水もこみちが演技の下手さゆえロボット役を振られていたのとはまったく違う意味で(もちろんたどたどしい日本語を逆に生かすという狙いもあっただろうけど)人形役を好演していた。命を得て身の周りの世界をひとつずつ体験し少しずつ「心」を育んでいく様子、愛しい相手から息を吹き込まれて宙に浮くシーンには観ていて胸が温かくなった。基本的に決して明るいトーンの映画ではないのだが(むしろ痛ましい映画と言っていい)、彼女の無垢さが救ってくれた部分は大きいと思う。
しかし相手がARATAであればまあ仕方ないとは思うが、空気人形の持ち主役の板尾創路には大いに嫉妬せざるを得ない。うらやましい。中年男のいやらしさ炸裂の岩松了は、何というかいつもながら登場カットは多くないのに印象に残る演技ではあった。

台湾や香港映画で活躍している撮影監督のリー・ピンビンの仕事がすばらしかった。隅田川界隈のこれまで何度も見たことのあるはずの風景が、逆光ぎみのアングルで柔らかい空気を纏って見たことのない映像になっていた。そういう人が撮っているとの知識がないまま観たが、冒頭のゴミ収集の景色(ある意味伏線になっていた)からして漂う雰囲気の違いからして「何が違うんだろう?」と不思議に思えたほどだった。さすが。空気の映画には空気をしっかり撮れる人がふさわしい。
デートムービーには向かないけど、ひとりで空いた時間があれば行った方がいい映画だと思った。都会に住んでいるあなたはぜひ。
posted by NA at 03:45| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 鑑賞 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする